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note.com/nhk_syuzai
「NHK取材ノート」はこれまで、このnoteとNHKのサイトで、同じ記事を掲載してきました。 このうちnoteの記事は、2024年6月末で閉じさせていただきました。 個別の記事は引き続きこちらのNHKのサイトでご覧ください。
「え、壁がなくなってる・・・」 「ここまできたら、やりきります」と上司に言ってさらに取材を進めた。が、馬が乗り越えるあの壁が、こんな展開になるとは。 馬が急な坂を駆け上がる、三重の多度大社に伝わる伝統の「上げ馬神事」。 この神事がSNSで“炎上”していることを取材して記事にしたところ、「NHKは動物虐待を擁護するのか」といった批判が多く寄せられた。 記事の続きは、こちらのリンクからご覧ください。
おととし(2022年)の末から南アフリカのヨハネスブルクに駐在している。去年からは妻とふたりの子どもたちも日本から合流した。 ネットで「ヨハネスブルク 治安」などと検索すると、「世界一治安が悪い」「最恐都市」「入ったら15秒で死ぬビルがある」などと物騒なタイトルの記事が表示される。確かに治安がよいとはとても言えないから正直、家族を呼ぶことはためらった。 それが今では妻も子どもも「日本に帰りたくない。ずっとヨハネスブルクがいい」などと話すほどなじんでいる。 そこに、ヨハネスブルクが抱える巨大な矛盾があるのだけど。 記事の続きは、こちらのリンクからご覧ください。
NHKのニュースや番組をつくっている私たちが取材に込めた思いや取材手法などをお話します。一緒に「取材ノート」をつくっていきましょう。サイトはhttps://www.nhk.or.jp/d-navi/note/ 利用規約はhttps://nhk.jp/rules
ジョブズよ、なぜ、語ってくれてなかったのか…。 ジョブズは、2011年に亡くなっている。私が取材してきた「新版画」とのつながりについて、本人が直接話したり、書き残したりしたものは見つかっていなかった。 「ジョブズが直接、新版画に言及しているカギカッコがないことが最大の弱点でしたね」 これは、英語番組を一緒に制作した同僚の言葉だった。マッキントッシュの開発チームのメンバーやアップル社の幹部でさえ、誰も知らない。そう思わざるをえないほど、新版画とジョブズとのつながりは極めてプライベートで、ベールに包まれていた。 けれど、“状況証拠”はある。ならば、それを積み上げていくしかない。アメリカ取材に必ず行く。ビル・フェルナンデスさんがいるニューメキシコ州のアルバカーキがロケの最終目的地だ。50分の日本語番組は、きっとできる。 前年のリポートから番組まで一緒に仕事をしてきた荒木真登(あらきまさと)ディレ
やりたいことがあっても、 壁にぶつかり、突き返されてしまう。 そんな悩みを抱えたことは、誰しも、一度や二度ではないと思う。 記者歴30年超の私もしかり。2015年から4年かけて調べていた、スティーブ・ジョブズと「新版画(しんはんが)」との結びつきについて、アメリカ取材を目指して番組提案をするも、採用されなかった。 しかも、次なる機会をうかがっているうちに、世界はコロナ禍に突入。齢よわい五十六。定年まであと3年半、もう残された時間は多くない。でも、あきらめてたまるもんですか。 記事の続きはこちらのリンクからご覧ください。
しかし、これは、 どう考えたって、変な組み合わせだ…。 1984年1月24日。 スティーブ・ジョブズはステージの上にいた。 「これがあれば、なんでも思い通りに表現できる」 と、自信たっぷりに聴衆に訴えている。それは、アップル社が「マッキントッシュ」を世界にデビューさせた瞬間をうつした、過去の映像だった。 ただ、私の視線は、ジョブズではなく、マッキントッシュの画面に集中していた。そこに映っていたのは、1枚の絵。描かれていたのは、流れるような黒髪をくしでとかす妖艶な日本人女性だ。 「マッキントッシュ」に映し出された日本人女性の絵 その絵は「新版画(しんはんが)」と呼ばれる日本の木版画だった。 ジョブズは、会社の命運を賭けた場に、なぜ、この絵を使ったのだろうか? このネタに私が出会ったのは、2015年のこと。以来8年間、ジョブズの知られざる素顔に迫ろうと、WEBの特集記事を書き続けた。日本語だけ
「美談にしないでね」 ことし1月、母校で開かれた同窓会で、同級生たちから言われた言葉だ。 12年前のあの日、ぼくの母校は津波に襲われ、地域で多くの人が亡くなった。 そして、ぼくと家族はすぐに県外へ移った。 「ぼくは被災者なのか」 「あの日のことを伝えていいのだろうか」 記者として、ひとりの人間として、ずっと考えながら生きてきた。 あの日ぼくらはこの学校にいた石巻市立門脇小学校。「門小」の名前で親しまれていた、ぼくの母校だ。市内でも歴史ある小学校として知られ、かつてはおよそ300人の児童が通っていた。 しかし、東日本大震災で津波に襲われ、その後、児童数の減少によって閉校に。津波の痕跡を大きく残す校舎は、保存と整備を経て、去年4月から震災遺構として一般公開されている。 焼けた教室の壁。骨組みだけになった机やいす。 真っ白だった校舎は黒く変色している。 でも、確かにあの日、ぼくらはこの学校にいた
「ご覧いただいている映像は、地震が起きたときの神戸放送局の放送部の様子です」 画面全体が激しく揺れている。机も椅子も棚も波打つようにスライドしていく。 「大きな揺れが繰り返し襲っているようです。いろいろなものが棚から落ちたり机から落ちたりしています」 放送局の泊まり当番で仮眠中の記者に向かって本棚が倒れてくる。 記者が間一髪に飛び起きると、次の瞬間、周りが真っ暗になる。停電だ。 直後、記者は電話へと飛びついた。 1995年1月17日午前7時に放送された、朝の全国ニュース「おはよう日本」。 震度7を観測した阪神・淡路大震災の揺れのすさまじさが初めてテレビで全国に伝えられた瞬間だった。 地震発生からすでに1時間あまりが経っていた。あの日、いったい現場で何が起きていたのだろうか。 錯綜する情報 混乱する現場午前5時46分。阪神・淡路大震災が発生。 NHK大阪放送局がテレビとラジオで放送を開始した
「沖縄が日本に戻ったら雪が降る!」 これ実際に今から50年前、沖縄がまだアメリカ統治下だったころに広まったうわさ話です。 SNSのない時代に、 どうしてこんな突拍子もないうわさ話が広まったのか? いったい誰が広めたのか? ふだんの取材では”ライバルどうし”の「NHK」と「沖縄タイムス」が今回はタッグを組んで、うわさの真相を追いかけました。 どうしてタッグを?うわさの真相を追いかけることになった経緯を、はじめにちょっと説明させてください。 沖縄は戦後27年の間、アメリカの統治下に置かれていました。 ことし5月15日で、アメリカの統治下から日本に復帰して50年の節目を迎えます。 「日本復帰」は沖縄の歴史上、まさに大転換期といえるものでした。 当時を知らない人はなかなか想像しにくいかもしれませんが、復帰前の沖縄では、通貨はドルで、車は右側通行だったんです。 復帰後、銀行ではドルから円の切り替え作
「知りたがりモンスター」の脳をパカッと開けて見てみたい…!元ゼミ生のディレクターたちが語る立花隆の教え 「ゾウの糞ってどれくらいでかいの?」 立花さんのことばで一番覚えているのは、これ。 当時、大学の農学部生だった私は研究室の関係で、上野動物園でゾウの糞を洗うというバイトをしていた。 確か野生のゾウが植物の種をどれだけ遠くまで運ぶかを検証するべく、ゾウが木の実を食べた後、何時間後に糞に種が出てくるかを調べるという研究だったような・・・それでゾウの糞に入っている種を見つけ出すため、糞をひたすらシャワーで洗い出すというバイトだった。 それを立花ゼミのブログに書いたら次に会ったとき、立花さんから質問攻めに遭った。 「ゾウの糞ってどれくらいでかいの?」 「糞には何が入ってるの?」 「においはするの?」 他にもゾウの糞についてあれこれ聞かれた気がするけど、実は詳しく覚えてない。でも食いつき具合がすご
突然ですが、探検と冒険の違いって知っていますか? 似ているように見えて、実は違います。 漢字をよく見てください。「けん」の漢字が違いますよね。 冒険の「険」は「危険」の「険」。「危険を冒す」と書きます。 一方の探検の「検」は、検査や検証の「検」。「しらべる」という意味です。探検は、自然に挑んだり、記録に挑戦したり、達成感を味わったりすることが目的ではありません。 誰も行ったことがない場所や限られたスキルを持った人しかいけない場所に行って、そこを調査すること。それが探検です。 これは洞窟探検で人生が変わった1人のカメラマンの話です。 山に登らない“山岳班”カメラマン洞窟って聞いても、正直、あまりイメージが湧きませんよね。ああ、ゲームで魔物が出てくるところだよね。修学旅行で鍾乳洞に行ったことがあったなぁ。そのくらいの印象じゃないでしょうか。 私、門田真司は、NHKの報道カメラマンの中で唯一の洞
「行かないとダメって言われて行く投票にどんな意味があるんだろう?」高校生たちと話しながら考える、#私たちの選挙
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