橋下市長のツイートは、橋下市長の考え方を伝える武器にも、また橋下市長の個性的なスタイルとしても定着しつつあるように思います。そして、ソーシャルメディアでは、ブログなどで今だに橋下市長憎しとばかりに粘着質な批判を書きつづけている人もいますが、それがまた橋下評価を高める役割を果たしているので興味深いところです。 さて、昨日の橋下市長のツイートで、真柄昭宏さんという方の『ツイッターを持った橋下徹は小泉純一郎を超える』の著書のテーマが「政治とは正解が分からない中で一つを選択するプロセス」だそうで、それに同感すると書かれていました。橋下市長ご自身も「そこを実体験しながら、政治と行政の役割分担、統治機構のあり方、政治決定のプロセスについて考えが進化していきました」とされています。まさに現代は、政治に限らず、ビジネスでも「正解が分からない中で一つを選択するプロセス」の質が重要になってきています。 ツイッ
国会事故調の報告書は非科学的であるばかりでなく、社会科学的にも幼稚だ。問題が経済学でおなじみのregulatory captureだとすれば、対策は簡単である。監視機関の独立性を強化して徹底的に規制すればよい。「原子力規制庁」をめぐる議論も、もっぱらこういう規制強化論だが、私はほとんど効果がないと思う。 それは日本の組織の欠陥が、規制当局の命令を業者が実行しないという(経済学の想定する)プリンシパル・エージェント問題にはないからだ。サラリーマンならよく知っているように、日本の大企業の意思決定の特徴は、小さな問題から先に決め、大きな問題を先送りすることだ。本書は、これを両論併記と非決定という言葉で要約している。 日本の組織には最終決定権者がいないため、みんなの合意が得やすい小さな問題については何回も打ち合わせして入念に決めるが、その前提となる大きな問題は意見がわかれるので、事務局が両論併記し
「新型うつ病」のデタラメ (新潮新書) 作者: 中嶋聡出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2012/06メディア: 単行本購入: 2人 クリック: 10回この商品を含むブログ (8件) を見る 内容(「BOOK」データベースより) 「上司に叱られ、やる気ゼロ」「彼女に浮気されたので休職したい」…。この十年、そんな理由で精神科を訪れる人が急増。従来のうつ病とは明らかに異なる病態をもつそれは、「新型うつ病」と総称されるようになった。診断書を手に堂々と会社を休む人々、手厚すぎる社会保障、肥大化する自己愛と精神力の低下。はたして「新型うつ病」は本当に“病気”なのだろうか。もはや社会問題。そのまやかしを、現役精神科医が暴く。 ※僕は内科医であり、精神科疾患については専門家ではありません。 また、このエントリで書いている内容は、あくまでも僕の個人的な見解であり、内科医一般、あるいは医師一般が同じ考えと
2012年07月09日10:00 カテゴリ日本経済経営 落日の経営者の想い 日経電子版で7月第一週によく読まれた記事ランキングで一位になったのが「さらばパナソニック、知られざるカリスマの胸中」と題された偉大なる経営者、パナソニックの中村邦夫氏の長文記事。同社に於ける氏のトップ在任中の手腕、そして業績回復、更には今年3月、再び最悪の決算を余儀なくされた社内からの中村氏復活の期待の声が高まるものの固辞し続け、6月の株主総会で役員を退きました。 本来、最後の晴れ舞台になるべき株主総会で巨額赤字に対する謝罪で頭を下げざるを得なかった中村氏の無念さが聞こえてきそうであります。 ではパナソニックがなぜここまでの苦境に追いやられたか、中村氏本人の弁として遅すぎた「テレビに対する経営判断の誤り」であり深く悔やんでいます。特にパナソニックの場合、プラズマに精力を注ぎ、途中から液晶にも参加するという苦渋の選択
Mozillaは、デスクトップメールクライアント「Thunderbird」について、今後は安定性維持のための更新のみを行い、新機能開発はコミュニティーに委ねる計画を提案した。 Mozilla Foundationは、オープンソースのメールクライアントThunderbirdの開発を事実上終了する。Webベースのコミュニケーションが普及し、デスクトップメールクライアントユーザーは基本的な機能で満足していることが背景にあるという。ミッチェル・ベイカー会長が7月6日(現地時間)、自身のブログで今後の計画を説明した。 Thunderbirdの開発チームを含むMozillaの首脳陣は、Thunderbirdに新機能を追加することはもはやMozillaにとっての最優先事項ではないという結論に達したとベイカー会長は説明する。だが、Thunderbirdのユーザー(ベイカー会長もその1人)は現在2000万人
京都新聞のこの記事、大津市、遺族にいじめの日時特定要求 中2自殺訴訟には飽きれ果てて、流石に言葉も出ない。 大津市で昨年10月、マンションから飛び降り自殺した男子生徒=当時(13)=の遺族が、自殺はいじめが原因として市などに損害賠償を求めた訴訟で、「校内で教師がいじめを見逃していた」との事実認定をめぐり、市側が遺族に対し、いじめの日時や現場を特定するよう求めていたことが7日、分かった。遺族側は「学校内部で起きたことを両親が特定できるわけがない。本来は市側が調査し、明らかにするべきことではないか」と反発。いじめの実態や自殺との因果関係を立証する責任は原告にあるとする市の姿勢を批判している。 言うまでも無い事であるが、これは遺族側の主張が正しい。学校、更には教室は密室であり、保護者がその中身、実態を伺い知る事は不可能である。 従って、教室の統治は学校が責任を持って行う。教室の適正運営がされてい
「いじめ」は、民主主義の一丁目一番地である「基本的人権」の侵害行為で、あってはならない事は論を待たない。 とは言え、成熟した民主国家では、人権とは何か? と言う「普遍的」問題が日常の会話にも浸透しているが、直接的には何の役にも立たない「抽象論」を嫌う日本では、一過性の個別具体的な問題で「賛否」を論ずるのは好きだが、人権の様な「普遍的問題」で論議を闘わせて、国民的同意に達する事は至難の業である。 この事を頭に入れた上で「いじめた側の人権は、どこまで守られるべきか?」を考えてみた。 私は、「いじめた側の人権を限定する」だけでなく、「いじめ側の親の責任」も追及すべきだと思っている。その客観的根拠は、「憲法」と「親権」である。 憲法では、「自由と権利は、国民の不断の努力によつて守られるもので、国民はこれを濫用してはならず、公共の福祉のために利用する責任を負っている。又、国民の権利は、公共の福祉に反
私は色々な問題について辻元さんと意見が合うようだ(辻さんの方ではそう思っておられないかもしれないが)。だから、辻さんの6月26日付の「情報化が招く社会の退廃」という記事や、7月3日付の「情報教育より国語、算数教育の徹底を」という記事には賛同する点が多い。唯一つ違うのは「それでも情報教育は必要だ」と私が考えている事だけだ。この事については、「教育現場におけるネット利用」と題する私の6月25日付の記事でも少し触れたが、今日はもう少し具体的な考えを述べたい。 何故私が「情報教育」を必要と考えるかと言えば、これから育っていく多くの人達に、ネットという「革新的な道具」を有効に使いこなし、「ここで受けた刺激」や「ここで節約出来た時間」を、自らの成長の糧にして欲しいからだ。 「わざわざ教育現場に取り入れなくても、放っておいても子供達や若者達はネットを使いこなすようになる。教育現場は、そんなことよりも、必
さまざまな理由で育てられなくなった子どもを匿名で預かる、熊本市慈英病院の赤ちゃんポスト「こうのとりのゆりかご」に7日、パンダの赤ちゃんが入れられていたことがわかった。昨今パンダの世界では育児放棄が相次いでおり、この赤ちゃんも親パンダの事情により、育てられなくなったものとみられる。 慈英病院によると、赤ちゃんパンダがポストに入れられたのは6日の深夜2時ごろ。赤ちゃんが入れられるときに鳴り出すメロディに気づいた職員がポストを確認したところ、中には体長15センチ、生後2日程度のオスの赤ちゃんパンダが置かれていた。 現在病院側では、保育器に入れて24時間体制で観察を続けているが、赤ちゃんの健康状態は良好だという。 子パンダを預けた人物について、ポスト前に設置しているカメラには、母親と見られるパンダがあたりの様子をうかがいながら、子どもをポストに入れたあと、逃げ去るようにその場を離れていく様子が映っ
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