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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/gb3616125 (4)

  • 終戦の日の産経「主張」がひどすぎる - トラッシュボックス

    MSN産経ニュースの8月15日付「主張」(各紙の社説に相当)「終戦の日 憲法改正で「靖国」決着を 参拝反対論は根拠を失った」の後半部分。 憲法論争以外にも、総理大臣の靖国参拝に反対の人たちは、さまざまなことに主張のよりどころを見いだそうとする。政治的思惑で異議を唱える勢力も存在する。 反対論の論拠の一つに、いわゆる「A級戦犯」14人の合祀(ごうし)がある。昭和天皇がそれを機に親拝を中止されたのだから、総理大臣も参拝を控えるべしとの主張だ。 「昭和天皇が合祀に不快感を示されていた」とする富田朝彦元宮内庁長官の日記など「富田メモ」が根拠の一つになっている。 しかし、昭和天皇がA級戦犯の何人かを批判されていたとの記述があったとしても、いわば断片情報のメモからだけで、合祀そのものを「不快」に感じておられたと断定するには疑問が残る。 むしろ、昭和50年のきょう、三木武夫首相(当時)が参拝した後、国会

    終戦の日の産経「主張」がひどすぎる - トラッシュボックス
    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2013/08/18
    はっはっは、あのネタ新聞の社説のひどさは今に始まった話ではない( ̄▽ ̄)。いつも独り善がりの妄想感溢れる厨二病的な社説ではなかろうかと( ̄▽ ̄)
  • 児童ポルノ規制法改正反対論に思う――そういう問題か? - トラッシュボックス

    5月29日、自民、公明、日維新の会の3党が児童ポルノ規制法改正案を衆院に共同提出したと報じられた。 この件については、少し前に改正反対論の記事をBLOGOSで読んで、ちょっと思うところがあった。 1.定義があいまいという批判について 山口浩・駒澤大学准教授の記事「嫌いな表現を守るということ」(2013年05月24日)より。 もともと現行法は、規制の対象となる「児童ポルノ」の定義自体に問題があるとかねてより指摘されていた。特に法第2条第3項第3号に規定されるいわゆる「3号ポルノ」は、「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの」というきわめて曖昧な定義となっている。自分の子どもや自分自身の写真も場合によっては児童ポルノとされかねないという意味で多くの人々を法的に不安定な状態にさらすだけでなく、いわゆる着エロ(着衣状態だが「性欲を興奮させ又は刺激する」とされ

    児童ポルノ規制法改正反対論に思う――そういう問題か? - トラッシュボックス
    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2013/06/01
    「これから法案を作りますので、たたき台を皆で議論できたら幸甚に存じます」ならいいんですけどね、有無を言わさずでしょ半ば(苦笑)こっちに非があって向こうには非はないという書き方しても…ねぇ( ̄∇ ̄)(続
  • 憲法前文に国の歴史・伝統・文化が語られるのは当たり前? - トラッシュボックス

    国憲法前文。 日国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。 日国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従

    憲法前文に国の歴史・伝統・文化が語られるのは当たり前? - トラッシュボックス
    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2013/04/22
    批判する方にとっちゃ、どっちも「おまゆう」あるいは「おまそう」ってゆーんだよな(苦笑)。
  • 「脱原発」に不賛成なら「非国民」? - トラッシュボックス

    朝日新聞夕刊に長期連載中の「ニッポン人脈記」。 12月10日付けの「民主主義 ここから」第13回は、「少しずつ社会を変える」との見出しで、反原発運動を取り上げていた。 その中の一節。 「脱原発」を訴える市民集会「さようなら原発10万人集会」。7月には主催者発表で約17万人が全国から集まり、会場となった東京・代々木公園を埋め尽くした。 作家の落合恵子(67)は「私たちは決してひるみません。野田政権に訊(き)きます。あなたたちが『国民』という時、一体誰を見ているのか。今日ここにいるのが『国民』であり、市民なのです」と訴え、大きな拍手を浴びた。 こうした主張、それを容認する感覚が、私がどうしても彼らに賛同できない部分だ。 反原発運動に参加する者こそが「国民」であり、それ以外の者は「国民」ではない。 将来の脱原発を志向するにしろ、安全性を確認した上での再稼働は認めてよいのではないかと考える者は「国

    「脱原発」に不賛成なら「非国民」? - トラッシュボックス
    suzu_hiro_8823
    suzu_hiro_8823 2012/12/14
    あー、頭から二元論で処理しようとするから迷宮に捕まる(でもそう仕向けられてるからムリ無いかと)。互いに「国民とは(我々の)支持者である」と言葉の殴り合い("アジテート"よりもこっちがいいw)してますし…
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