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映画評に関するunyounyoのブックマーク (8)

  • 『ゼロ・ダーク・サーティ』(Zero Dark Thirty 2012 USA) Kathryn Ann Bigelow監督 アメリカが掲げた対テロ戦争という大きな物語の終幕の一つ - 物語三昧~できればより深く物語を楽しむために

    評価:★★★★★星5つ (僕的主観:★★★★☆4つ半) ■全体の感想〜同時代史の立場からアメリカの今を告発する物語 全体の評価としては、見る人は選ぶな、と思いました。僕は、見にいって大正解の傑作(自分の鼻の良さには感心!)だと思いましたが、痛快無比なアクション映画などのカタルシスを求めるというのとは違う作品です。頭を使わないと、全体の意味は良くわかりません。ただひたすらに、CIAの情報分析官のマヤという女性が、潜伏しているUBLを探していく諜報戦が2時間。徹底的にマヤのみの視点から描かれます。その後、ラスト40分は、アフガニスタンのUBL邸に突入する特殊部隊シールズの行動を、そのまま再現しているので、突入している兵士の気分で見れます。この一人称的な映像感覚は、ドキュメンタリー以外では『The Blair Witch Project(1999/ブレア・ウィッチ・プロジェクト)』などを思い出す

    『ゼロ・ダーク・サーティ』(Zero Dark Thirty 2012 USA) Kathryn Ann Bigelow監督 アメリカが掲げた対テロ戦争という大きな物語の終幕の一つ - 物語三昧~できればより深く物語を楽しむために
  • 男への恨みと母性愛と「世界は私たちのもの」‥‥『マレフィセント』感想 - ohnosakiko’s blog

    ジブリの『思い出のマーニー』が今日から公開で、これから次々レビューが出て盛り上がろうとしているこのタイミングだが、あんまり盛り上がってない(気がする)『マレフィセント』の感想を。 三ヶ月前、「アナ雪」の感想記事の追記に書いたこと。 ついに悪女をヒロインにした7月に公開予定のディズニー実写映画『マレフィセント』(『眠りの森の美女』の魔女)が楽しみでならないのだが、これまでの流れから勝手に想像すると、悪女と聖女に女を振り分けるシステムへの怨嗟と糾弾の中で、「女の自分語り」がますます加速するものと思われる。 期待と不安半分で見た結果、当たらずとも遠からずといったところだった。 「悪女」マレフィセントと「聖女」オーロラ。二人の不幸な出会いは「システム」(男が出世だけを目指す社会)のせいだった。そこに取り込まれたかつての恋人ステファンに対するマレフィセントの「怨嗟」は、彼の娘オーロラに向かうが‥‥。

    男への恨みと母性愛と「世界は私たちのもの」‥‥『マレフィセント』感想 - ohnosakiko’s blog
    unyounyo
    unyounyo 2014/07/20
    ちょっと違うけどABC『Once Upon a Time』のレジーナもどうぞ。(同じ役の設定違いかと思ったが両方出るらしい)
  • 「中国イヤな話」のパッチワーク、映画「罪の手ざわり」を喜ぶのは誰か?(高口) : 中国・新興国・海外ニュース&コラム | KINBRICKS NOW(キンブリックス・ナウ)

    中国を代表する映画監督の一人、 賈樟柯監督の最新作「罪の手ざわり」を見た。 現代中国社会の屈を描いた傑作という映画評が多いようだが、実際には「中国イヤな話」系ニュースをつなぎあわせたパッチワーク。日のウェブニュースやいわゆる「反中」とほぼ元ネタは同じだったりする。正直残念な一作だったのだが、「この映画をほめているのは誰か?」という問題に目を向けると興味深い構造が浮かび上がる。 ■実際の事件を題材に 作は4つのエピソードによって構成されているのだが、いずれも実際に起きた事件を題材としている。 (1)「村長をたらしこんで安値で炭鉱を手に入れた成金村民にむかつく男―山西省」 →2001年、胡文海事件 (2)「銀行で大金をおろした金持ちを専門に強盗する男―重慶」 →2012年、周克華事件 (3)「エロ中年に迫られて刃物を抜いてしまった女―湖北省」 →2009年、鄧玉嬌事件。 (4)「飛び降

  • 映画『子宮に沈める』感想 - iCharlotteblueの備忘録(新)

    『子宮に沈める』という映画を見ました。 これは以前書いた映画『子宮に沈める』感想 | iCharlotteblue を加筆修正したものです。ストーリーの結末に言及しています。 2010年7月に大阪市西区で起こった大阪2児餓死事件を題材にしています。 緒方貴臣監督2013年最新作『子宮に沈める』映画公式サイト あらすじ - 映画『子宮に沈める』 オレンジリボンの活動に共感していますし、この映画の社会的な意義は認めます。 映画としても、面白い部分は多々ありました。 前半の父親不在の孤独な子育ての密室感。 後半、ぐっと切り替わる視点。被虐待児の視点。低いアングルから映し出される密室。 密室感に苦しんでいたような母親が、子供を密室に閉じ込めます。 しかし、看過できない部分もありました。 水商売の母親への偏見を助長するような、演出、ストーリーではなかったかと。 私は監督のイントロダクションには非常に

    映画『子宮に沈める』感想 - iCharlotteblueの備忘録(新)
  • 発電所で地震が起きる映画『HINOKIO』のスポンサーは東京電力 « 破壊屋

    HINOKIO(ヒノキオ) 東北大震災&原発爆発後の更新ということで、東京電力がスポンサーの映画『HINOKIO』を取り上げる。空想的な設定に子ども同士の純粋なラブストーリーをうまく組み合わせていて、俺は好きな映画だ。でもこういう事態になってしまった以上、ちょっと心苦しいけど『HINOKIO』をネタにする意図で紹介する。 東京電力の提供でお送りします どういう映画なのかは東京電力のサイトに載っているプレスリリースがわかりやすい。『HINOKIO』が東京電力のコマーシャル的な映画だということがよくわかる。 劇場用映画「HINOKIO(ヒノキオ)」製作への出資、参画について 平成16年4月28日 東京電力株式会社 当社はこのたび、平成17年初夏に公開予定の劇場用映画「HINOKIO(ヒノキオ)」(松竹配給)の製作に出資、参画することにいたしました。 作品は、明日というイメージの近未来を舞台に

  • アンブライドルズソングを聴け!〜『ジャンゴ 繋がれざる者』を観た〜 - 関内関外日記

    ある作品の中に、大量のオマージュやパロディが含まれている。だが、おれはその分野について不案内だ。さあどうする? どうもしない。「そうなのかもしれないなぁ」などと思いつつ、その上で面白いかどうかの話だ。もちろん、そのあとになって、元ネタを辿ることはあるかもしれないが。 が、クエンティン・タランティーノの新作『ジャンゴ 繋がれざる者』に関しては、偶然にも少しだけ予習をすることになってしまった。偶然にも『映画秘宝』の年間ベスト&ワースト号と、『仁義なき戦い』特集号を続けて買ったからだ。後者など「ジャンゴ大予習大会」である。もちろん、実際に元の映画を観ないで予習もないだろうという話だろうが、まあいくらかは勉強してしまったのである。おれが観たことのあるウエスタン? 西部劇? 『ワイルドバンチ』と……、『スキヤキ・ウエスタン・ジャンゴ』くらい? ウエスタンか? まあいい、して、その結果どうだったか。オ

    アンブライドルズソングを聴け!〜『ジャンゴ 繋がれざる者』を観た〜 - 関内関外日記
  • 『ブラザーズ・グリム』は伸び代の大きかった惜しい作品である - gurenekoのメモ(終活中)

    ブラザーズ・グリム [DVD] 出版社/メーカー: ハピネット発売日: 2007/02/09メディア: DVD購入: 2人 クリック: 32回この商品を含むブログ (80件) を見る 今まで私が見てきた映画では、ドイツ人は征服者・侵略者として登場する場合が多かったのだが、この作品ではナポレオン配下のフランス軍が支配していた地域のドイツが描かれている。被征服者としてのドイツ人という設定それ自体からして映画としては新鮮であり、来ならば加点要素にしたい所である。 フランス軍の将軍は近代精神の権化としてドイツの暗い森の迷信を打ち破ろうとするが、ついに森の中で戦死する。これは、「童話に代表される前近代の底力が、近代へのレジスタンスに成功した」という印象を持たせたかったと思われるシーンである。 しかし独仏の対立軸は、グリム童話を描くには実はあまり好ましくないのである。 現在の中世文学史の研究では、グ

    『ブラザーズ・グリム』は伸び代の大きかった惜しい作品である - gurenekoのメモ(終活中)
    unyounyo
    unyounyo 2012/07/31
    ジェイコブ役の人死んでんねんな。
  • ジジェクの 『アンダーグラウンド』 評

    哲学としての現象学の教えるところによれば,われわれの知覚の対象は主体がその対象に対してとる態度を通じて形成される.女性の裸体などはそのよい例だが,それは性的な刺激を引き起こすこともあれば,超然とした審美的眼差しの対象となることもあり,科学(生物学)の探究対象ともなれば,極端な場合,飢えた男たちのあいだで料理される餌等になることさえある.これと似たことは芸術作品について語ろうとする場合にもしばしば見受けられる.つまり,政治的な備給があまりに明白すぎて,政治的情念を留保して超然とした審美的態度をとることが,理論上はともかくも,実際には不可能になってしまう場合がそうである. エミール・クストリッツァの『アンダーグラウンド』(1995)の厄介な点もここにある.われわれはこの映画を美学の対象として扱うこともできるし,政治にはセックスに劣らぬ情念が費やされる以上,政治=イデオロギー闘争に賭けられたも

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