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枯れ葉剤に関するunyounyoのブックマーク (12)

  • 時事ドットコム:ドク氏「未来へ向かって」=問われる米国の人道性−ベトナムの枯れ葉剤問題

    ドク氏「未来へ向かって」=問われる米国の人道性−ベトナムの枯れ葉剤問題 「過去を振り返るのではなく、未来に向かっていきたい」。1975年4月30日のベトナム戦争終結から40年。結合性双生児「ベトちゃんドクちゃん」の弟グエン・ドク氏(34)は、サイゴンが陥落して改名されたホーチミンのツーズー病院で、自分に言い聞かせるように話した。  ドク氏は81年、米軍が大量に枯れ葉剤を散布した中部高原で生まれた。先天障害は薬剤による影響の可能性が高いとされる。7歳の時、日も協力して分離手術に成功、今では手術を受けたツーズー病院で事務員として働いている。旅行会社で講演活動も行う多忙な生活を送っているが、兄のベト氏は腎不全などで2007年に亡くなった。  米軍の枯れ葉剤作戦はゲリラの拠点である森林の枯死を目的に、1961年から71年まで続けられた。毒性の高いダイオキシンを含む薬剤を浴びた住民は約450万人、

    時事ドットコム:ドク氏「未来へ向かって」=問われる米国の人道性−ベトナムの枯れ葉剤問題
  • ベトナム戦争から37年 ようやく始まる枯れ葉剤除去 - NHK 特集まるごと

    ベトナム戦争中、アメリカ軍が散布した枯れ葉剤。 その汚染の影響と見られる健康被害が相次いだものの、アメリカは因果関係を否定し、問題は放置され続けてきました。 しかし、ついにアメリカが動きました。 巨額の資金を拠出して、枯れ葉剤を除去する作業が、先週、始まったのです。 新たな局面を迎えたベトナムの枯れ葉剤問題に迫ります。 傍田 「ベトナム戦争が終わって37年。 アメリカとベトナムは関係の改善を進め、経済交流も進んできましたが、両国の大きな足かせとなってきたのが、枯れ葉剤の問題でした。 アメリカが巨額の資金を拠出して、枯れ葉剤を除去する作業が、先週、ようやく動き出しました。 その一方で、ベトナムの人たちの間からは”遅すぎた”という声も上がっています。 今日(8月14日)の特集は、今も残るベトナムの枯れ葉剤問題の現状と除去作業の行方に迫ります。」 鎌倉 「アメリカ軍による枯れ葉剤の散布がもたらし

  • 朝日新聞デジタル:枯れ葉剤、復帰前の沖縄に ベトナム戦で使用、米は否定 - 社会

    米軍嘉手納基地で枯れ葉剤を積み込む飛行機を整備した当山征男さん  【奥村智司】ベトナム戦争で米軍が使用し、大きな健康被害をもたらした枯れ葉剤が、土復帰前の沖縄に持ち込まれていたことが米軍の公文書や沖縄の住民の証言で明らかになった。ただし、米政府は「(公文書の)記述は誤り」と否定している。  猛毒のダイオキシンを含む枯れ葉剤が沖縄に保管されていた可能性は以前から指摘されてきたが、米政府が認めたことはない。  米陸軍化学物質庁(CMA)は2003年、米軍が化学兵器の保管や処分をしていた北太平洋の米領ジョンストン島の環境調査報告書を作成。報告書には、72年に「エージェント・オレンジ」と呼ばれる枯れ葉剤が入ったドラム缶2万5千(520万リットル)が沖縄から同島に運ばれた、との記述がある。沖縄にはベトナムから持ち込まれたという。 続きを読むこの記事の続きをお読みいただくには、会員登録が必要です。

  • 枯れ葉剤汚染 県内取材 ジャーナリスト・中村梧郎さん - 琉球新報デジタル

    「沖縄での枯れ葉剤汚染は今こそ明らかにされなければならない」と語る中村梧郎さん=10日、那覇市民ギャラリー ベトナム戦争で米軍がまいた枯れ葉剤による人体・環境被害を取材しているジャーナリストの中村梧郎さん(72)の写真展「枯れ葉剤と子どもたち」が、11日からパレットくもじ6階の那覇市民ギャラリーで始まる。 中村さんは22日までの沖縄滞在中、県内米軍基地の枯れ葉剤汚染の実態についても取材を進める。「あらゆる兵器や物資が沖縄を経由してベトナムに送られた。米国が言うような文書がないからという理屈では、沖縄に枯れ葉剤がなかった証明にはならない」と語り、県民に情報提供を呼び掛けている。 中村さんは二重体児のベトちゃん、ドクちゃんを世界に訴えた写真家。先天異常やがん患者が今も続くベトナムの現状を通じて、ダイオキシンを含む枯れ葉剤の使用がいかに深刻な戦争犯罪かを告発してきた。 近年は沖縄で枯れ葉剤を浴び

    枯れ葉剤汚染 県内取材 ジャーナリスト・中村梧郎さん - 琉球新報デジタル
  • 県内に枯れ葉剤を貯蔵 1972年 米領に撤去 (琉球新報) - Yahoo!ニュース

    沖縄が日に復帰した1972年まで、ドラム缶2万5千個分に上る「オレンジ剤」と呼ばれる枯れ葉剤が県内に貯蔵されていたことが7日、分かった。米陸軍化学物質庁(CMA)が2003年に作成した報告書に明記されていたことが判明した。沖縄に貯蔵された除草剤の種類が「オレンジ剤」であることや、貯蔵数量を明示した資料が米軍関連機関から見つかったのは初めて。沖縄での枯れ葉剤貯蔵・使用を「記録がない」と否定してきた米政府や、それを理由に独自調査を拒んできた日政府の姿勢にも影響を与えそうだ。 文書の存在は7日付の英字紙ジャパンタイムズで、同問題を調査し続けてきたジャーナリストのジョン・ミッチェル氏が明らかにした。文書名は「ジョンストン島の生態アセスメント」と題した報告書。 報告書は、ベトナムから沖縄に持ち込み、貯蔵していた「オレンジ剤」と呼ばれる枯れ葉剤について、知花弾薬庫に貯蔵されていた毒ガスを米領ジ

  • 沖縄タイムス | 元米高官証言「沖縄で枯れ葉剤散布」

    元米高官証言「沖縄で枯れ葉剤散布」 政治 2011年9月6日 09時32分Tweet(3時間44分前に更新) 【平安名純代・米国特約記者】米軍がベトナム戦争での実戦を前提に、1960年から約2年間にわたり、国頭村と東村の米軍北部訓練場内と周辺一帯で猛毒のダイオキシンを含む枯れ葉剤「オレンジ剤」の試験散布を実施していたことが5日までに分かった。当時の枯れ葉剤散布作戦の立案に関わった米陸軍の元高官が沖縄タイムスの取材に対して明らかにした。 米軍は61年から始めたベトナムでの枯れ葉剤作戦の格展開を前に、沖縄でその効果を試していた。沖縄での枯れ葉剤使用に関する公式記録がないことから、これまで米軍は作戦そのものを否定してきたが、今回の証言はこうした事実の立証につながるものといえそうだ。 米軍が沖縄に枯れ葉剤を貯蔵、散布していた事実は当時作業に携わった元米兵らが証言しているが、散布を裏付ける元当局者

  • 外務省 枯れ葉剤「調査しない」 米側の疑義理由に - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース

    政治 外務省 枯れ葉剤「調査しない」 米側の疑義理由に2011年11月25日  Tweet 猛毒のダイオキシンを含む枯れ葉剤が島北部で使われたとする元米軍人の証言が報道された問題で、外務省沖縄事務所は24日、「米側が一連の記事の信ぴょう性を疑っている」との理由から、国としても追加調査はしない方針を初めて示した。同日、名護市議会の比嘉祐一議長らが真相究明や基地周辺の環境調査実施を求める意見書を提出した際、明言した。 対応した伊従誠副所長は「現段階で追加調査は予定していない。北谷町などが情報収集していると聞いている。新情報があれば検討する」と述べた。伊従副所長は報道を受け米側に再確認した結果、米側は(1)報道写真のように枯れ葉剤を他の薬剤と一緒に貯蔵することはない(2)枯れ葉剤なら容器に印があるはず―など疑義があると回答したという。 仲村善幸市議は「新事実が出るのを待つのではなく外務省は

    unyounyo
    unyounyo 2012/02/08
    ベトナムや防衛省を笑えない外務省の対応。
  • 沖縄タイムス | [解説]県の水がめ 汚染可能性

    [解説]県の水がめ 汚染可能性 政治 2011年9月6日 12時51分Tweet(3時間39分前に更新) 【平安名純代・米国特約記者】ベトナム戦争で使用された枯れ葉剤の沖縄での散布について、当時の作戦に携わった元当局者が初めて事実関係を認めたことで、これまでの証言の信ぴょう性が高まった。今後は散布場所や範囲などを早急に特定し、環境影響を調査することが求められる。米政府による情報開示が不可欠だ。 今回の証言で、枯れ葉剤の散布が明らかとなった北部訓練場の周辺一帯は「沖縄の水がめ」といわれる地域で、環境が広範囲にわたって汚染されている可能性もある。事実を解明するには米側に対する日政府の強い働きかけが不可欠だ。 米陸軍が初めて枯れ葉剤散布作戦を立案したのは太平洋戦争末期の1945年で、東京、横浜大阪、名古屋、京都、神戸の6都市の稲作地帯への散布を計画。しかし、原爆投下が優先され、実行には至らな

  • 「枯れ葉剤 北谷に埋めた」 元米軍人証言 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース

    社会 「枯れ葉剤 北谷に埋めた」 元米軍人証言2011年8月14日  Tweet 1969年に米軍が北谷町内に枯れ葉剤を埋めたと地図を描いて説明する元米軍人男性。地図上には嘉手納飛行場や普天間飛行場、那覇軍港と北谷町ハンビー地区が示されている(ジャパンタイムズに寄稿したジョン・ミッチェル氏提供) 【中部】米国在住の元在沖米軍人男性(61)が、1969年に55ガロン(約208リットル)容量のドラム缶数十に入った猛毒ダイオキシンを含む枯れ葉剤を米軍が北谷町海沿いの返還地に埋めたと証言していることが、13日分かった。在沖米軍基地の枯れ葉剤をめぐっては、60〜70年代に県内の広範囲にわたる施設で散布、貯蔵、運搬された影響で健康被害を受けたとして、100人以上の元軍人らが退役軍人省に因果関係の認定を求める申請をしていることが明らかになっているが、埋却に関する証言は初めて。 英字紙ジャパンタイムズ

  • asahi.com(朝日新聞社):ベトナム枯れ葉剤やっと汚染除去開始 散布から50年 - 国際

    印刷 約60人の子どもを受け入れている施設「平和村」。生後すぐに預けられた乳幼児たちに看護師が昼べさせていた=ホーチミン市、古田写す最も汚染が激しい場所は仮処置としてコンクリートで覆われていた=ベトナム中部のダナン空港、古田写すベトナムの地図  米軍がベトナム戦争(1960〜75年)で使った枯れ葉剤の汚染除去作業が今年始まった。散布開始から50年。ベトナム政府によると、対象地域は米軍基地があった同国中部のダナン空港周辺の約29ヘクタール。費用の約3200万ドル(約24億円)を米国が援助し、2013年までの除去を目指す。全国に28カ所あるとされる高濃度汚染地域の除去には20年かかるともいわれる。  米軍は61年に枯れ葉剤を使い始めた。密林や耕作地に散布し、南ベトナム解放民族戦線の拠点をつぶす作戦だった。71年までに約7200万リットルを散布。がんや障害児の出産などの被害は2世代、3世代

  • 枯れ葉剤被害償え/製造会社に賠償請求へ/被害者国際会議で発表 ハノイ

    【ハノイ=面川誠】第2回枯れ葉剤被害者国際会議が8日と9日、当地で開かれ、米政府と製薬会社に対して全面的な責任を果たすよう求めるアピールを採択して閉幕しました。主催団体の「ベトナム枯れ葉剤被害者の会(VAVA)」は会議で、新たな訴訟を準備中だと明らかにしました。 ベトナムの第1世代の被害者は2004年にモンサント、ダウ・ケミカル両社に賠償を求めて米国で提訴しましたが、09年に連邦最高裁が棄却しました。新たな訴訟は残留ダイオキシンが残る地域の第2世代の被害者を原告として、枯れ葉剤製造にかかわった37社のうち主な会社を相手に賠償を求めるといいます。 会議のアピールは、「米政府とエージェント・オレンジを製造した製薬会社は、(ダイオキシンが残る)現場の除染、被害者と家族への実効的で包括的な支援を行い、全面的な責任を果たすべきだ」としています。会議にはベトナム人被害者だけでなく、侵略軍として参戦した

  • 沖縄タイムス | 枯れ葉剤 在韓米基地でも

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