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ブックマーク / zeromemory.sblo.jp (33)

  • suVeneのあれ: 読者なんて勝手なモノです

    2008年08月05日 読者なんて勝手なモノです 記事のカテゴリーが偏ると閲覧者に文句を言われる - ARTIFACT@ハテナ系 を読んで思ったこと。 それは読者、というか、どこぞの人物やら文章やらに興味を持った第三者というのは、えてして勝手なモノだろう、ということだ。(当然自分も含めて) 最近、中島聡氏のブログでは、自身が運営しているPhotoshareの話題が多い。気に入った写真などの紹介も多いのだが、そうしたらその記事でこんなコメントが。 最近、この手のエントリが続いていますが、そもそも技術系のエントリに興味があって、RSS 購読を始めた私としては、RSS 購読の継続をためらってしまいます。 RSS リーダの時代になって、更新が長期間滞る事は一向に構わなくなったので、技術系エントリだけ RSS を別に分けてもらうような事は出来ないでしょうか? Posted by: Otchy | 2

    aozora21
    aozora21 2008/08/07
    『そういう意見にめげたり、妙な強迫観念を持ったりせず、自分の思うように表現してほしいなぁ』私もそう願ってブコメしているつもりです…。しかし「書いてあることが分からない」と言われちゃさすがに書けないがw
  • suVeneのあれ: 「共感」とは何か

    2008年07月07日 「共感」とは何か 普段から俺は、書き手の価値観とは異なる意見を述べても、ネガティブコメントだとは思わないし、否定的意見や批判的意見に関しても同様だ。逆の立場(俺が書き手)だとしても、色んな意見があるんだなぁくらいに思うことが多いはずだ。たぶん。 まぁ、それは置いておくとして、だからといって「共感」がまったく無意味だとか不必要だなどとは考えていない。寧ろ「味方」を増やすためには有効な手段なんだろうと考えているし、「否定」は「敵」を生みやすいというふうにも考えている。そこまで打算的な損得として掘り下げなくとも、普段の交友関係などにおける「共感」はコミュニケーションを円滑にする上でも欠かせないものだろう。 んな訳で、今回は否定的意見や批判的意見や異論・反論の話ではなく、「共感」について考えてみる。まぁ、異論・反論などの二項対立として「共感」を持ってくるところが、水掛け論に

    aozora21
    aozora21 2008/07/07
    批判者を異なる視点で批判している人に共感を示すと「味方を引き入れている」という見方をされることがある、ということを最近知った。幼稚園児じゃあるまいし、と思うのだが共感の意もみやみに出さない方が吉かも。
  • suVeneのあれ: 「否定」に対する嫌悪感について

    2008年03月28日 「否定」に対する嫌悪感について suVeneのあれ: 「何故ですか?」「理解できない」に潜む否定的意味 において、「何故ですか?」と問うことが、「否定」的な意味と「質問」としての意味を持つというようなことを書いた。そして、やや意識してではあるが、「否定」的な場合の例を、非難めいた価値観を織り交ぜたものとした。 しかし、来俺が考える、主張に対する「否定」は、それほど嫌なイメージはない。寧ろ、不特定多数に対する意見を交換できる場所ならば、好ましくあることも多い。 嫌な「否定」と嫌じゃない「否定」 まず、嫌な否定の話。人は何故、主張に対する否定的意見に嫌悪感を持つことがあるのだろうか。 ひとつは、(全人格とは言わないが)自分の価値観の一部である「感受性を否定された」と感じるからではなかろうか。 これは、「ネガティブコメント」などにも絡む問題だとは思うが、「○○だと思う」

    aozora21
    aozora21 2008/03/30
    意見が違えば否定されるのは当たり前ですが、正されるのには拒否感がある。
  • suVeneのあれ: 「何故ですか?」「理解できない」に潜む否定的意味

    2008年03月25日 「何故ですか?」「理解できない」に潜む否定的意味 よく俺はネット上の文章におけるコミュニケーションで、「何故ですか?」とか「○○が理解できない」という事を書くわけだけれども、それを「主張に対する否定」という意味と解釈されることがあるから、一応気をつけているよ、という話。 質問としての「何故」、否定としての「何故」 まず、「何故?」にも二種類の意味があると思われる。 それは、質問する側が、「自分が正しいと思う主張と異なる」と考える時に発せられる「何故」と、そうでない場合に発せられる「何故」である。 前者の例を挙げると、目上の人間が目下の人間(母から子や、上司から部下、など)に対して叱咤の意味で発せられる、「何故そんなことしたんだ!」「あなたのやったことが理解できない!」といったものがあるだろう。この場合の「何故」や「理解できない」には、明らかに「叱咤される側の方法は間

    aozora21
    aozora21 2008/03/30
    否定的な問いをする場合には相手に対する非難がことば(文章)の端々に込められているように思う(戦略的に込めることもあるみたい)id:suVeneさんは人の内面に関知しないので質問を受けても否定的には感じないのです。
  • suVeneのあれ: SBM上におけるネガティブコメントについて

    2007年12月11日 SBM上におけるネガティブコメントについて すちゃらかな日常 松岡美樹 私がソーシャルブックマークにネガコメを書かない4つの理由 こちらのエントリで、ネガティブコメントの具体例として、俺のコメントが引用されていた。 (「私は書かないコメント」と峻別して書かれている可能性もあるが) 引用された部分は 【モデルケース1】 以下は、私のアスキー連載『信頼できる「場の空気」はいかにして生まれたか? 「発言小町」に見る読売新聞社のCGM観(後編)』にいただいたsuVeneさんのブクマ・コメントである。 「んで、いかにして生まれたんだ」 すちゃらかな日常 松岡美樹 私がソーシャルブックマークにネガコメを書かない4つの理由 の強調の部分なのだが、これがネガティブだかそうでないかは置いておくとして、松岡さん(引用元の人)の定義するネガティブコメントというのはどのようなものなのか見て

    aozora21
    aozora21 2007/12/14
    ウチのような閲覧数の少ないブログの場合、はてブでネガ※するより自分とこに書く方が見つかりづらい「陰口」になりそうだ(笑)
  • suVeneのあれ: “「うわべだけ規則に従って、規則違反はコッソリやるべし」という規律は、「健全な社会」にとって極めて重要である。(炎上と、<他者>のメンツを立てること) - 草日記”を読んで

    2007年12月05日 “「うわべだけ規則に従って、規則違反はコッソリやるべし」という規律は、「健全な社会」にとって極めて重要である。(炎上と、<他者>のメンツを立てること) - 草日記”を読んで 視点としては面白いのだが、「私たち」という単語の元に、「大して悪くない(と、筆者が思う)こと」を目の前でやられると、「メンツが立たない」という一方向の視点としているところが、どうも納得できない。 <たいして悪くないけど悪いこと>がコッソリ行なわれているうちは、私たちはそれを黙認しうる。だが、それが大っぴらに行なわれれば、私たちはそれを見過ごすわけには行かない。メンツを潰されてはたまらない。 「うわべだけ規則に従って、規則違反はコッソリやるべし」という規律は、「健全な社会」にとって極めて重要である。(炎上と、<他者>のメンツを立てること) - 草日記 まず、「コッソリ行う」事についてだが、これは<

    aozora21
    aozora21 2007/12/06
    いろいろ共感。「批判はメンツゆえ」、「大して悪くない」も固有のモノサシで、問題があるとすれば他のモノサシを承認しないことだと思うので。
  • suVeneのあれ: 「~~すれば(しなければ)よいのに」という反応について

    2007年10月04日 「~~すれば(しなければ)よいのに」という反応について ブログ上のエントリや、誰かの話に対して「~~すれば(しなければ)よいのに」という反応はよくあることである(俺もよくいう)。そして、その「~~すれば(しなければ)よいのに」という反応は、合理的な解決という意味において一理ある場合も多い。 しかし、自分も含めて注意しなければならないのは、その反応の対象が「~~すれば(しなければ)よいのに」ということを理解した上で書いているのではないかということだ。または、どのようにして解決すればよいかというような視点で書いていないという可能性だ。つまり、自分の中にある葛藤や心理を聞いて欲しい、見てほしい、そしてできれば理解して欲しいという為の言語化である。 具体例を挙げると 人と話すのが恐い〇〇のブログの内容が・△△のコメントの内容がむかつく上司がむかつくし会社にもウンザリ などと

    aozora21
    aozora21 2007/10/04
    mixiいけばいいのにと「思った」だけでなく書いたとして、批判し続ければ相手は嫌がり続けるわけですよね。対等に相手は「気にしなければいいのに」と返すこともできる…結局は感受性の強弱で進退が決まるような。
  • suVeneのあれ: 「釣り」について

    2007年10月02日 「釣り」について 「釣り」についての個人的な態度など ウェブ上の文章などを読んでいて、あまり一般的ではない、どちらかといえば過激な言葉使いの文章があったりすると、その反応でよくみうけられるのが、「はいはい、釣り釣り」というような反応がある。 というか、俺自身も「これは釣りだろう」という反応をすることがあるわけだ。 じゃぁ、俺はどんな時に「釣り」というのかと考えてみたところ 明らかに間違った(と俺が判断・解釈する)前提のもとで大袈裟な極論を展開している時 などが多いようだ。 実際気でその著者がその論を主張している場合に対する、揶揄的な意味合いを持つタグ付けな場合もある。 来俺が期待する「釣り」というのは、過剰反応を期待したツッコミどころ満載の文章の中にも、実はロジック的な解答が忍ばせてあったり、叙述トリックであったりというミステリ小説的な何かや、どこかに笑いやユー

    aozora21
    aozora21 2007/10/02
    私も常にマジレス全快です。迷ったときは黙って通りすぎる。
  • suVeneのあれ: 本当の友達

    2007年07月04日 当の友達 当の自分、当の幸せ、当の友達…… 今考えればなんとも青臭い話ではあるが、真剣にそれらの事について考えた時期があった。 同じようなことを考えたことがある人、こんにちは。 なかった人さようなら。 その中でも、俺が幼き頃(10歳~15歳程度か)とりわけ真剣に考えたのは、「当の友達」問題だった。 思い起こせば、「友達」というものは何なのか?という問いから始まった気がする。 何故このようなことを考えるようになったのだろうか。 そもそも俺は、遊ぶ友達がいないというタイプではなかった。 寧ろ、積極的に発言し周りを笑わせたりすることが好きだった(悪く言えば仕切りたがりでもあった)訳だが、ふと虚しさを感じていたからなのかもしれない。 では、何が虚しかったのだろうか。 さすがにその原因を客観視することは、昔のことだという理由と、自分自身のことだという理由で難しいのだ

    aozora21
    aozora21 2007/07/04
    「ほんとうの」かは分からないけれど、これまでの人生の中で一番辛かった時そばにいてくれた、そばにいてあげられた友だちの幸福をいつも願っています。掛け値なしにその幸せを願うことのできる相手かなあ<友だち
  • suVeneのあれ: 私的制裁

    2007年06月24日 私的制裁 元々、口が達者だと言われるような子どもだった。 理屈・屁理屈・ルール・善悪を問わず思ったことを口にする子どもだった。 神経質すぎる子どもでもあった。 5歳前後にして、髪の毛が抜けて10円はげができるほどに。 小学校にあがる前に引越をした。 それまでの近所の友達とはお別れをし、新しい場所での生活が始まった。 幸い同じような年齢の子供は近くに沢山いたので、遊ぶ友達はすぐにできた。 しかし、子どもというものは時として残酷なものである。 ある日、1歳~3歳上の子ども達に家に呼ばれた。 その家の両親は留守だった。 そこで人生1回目の私的制裁を受けた。 つまり、リンチというものを経験した。 新参者であり、生意気でもあるその子は目障りだったのであろう。 同時にそれは、信じるものからの裏切りという意味でもあった。 その時の記憶は朧げである。 覚えているのは、ソファ、音量の

    aozora21
    aozora21 2007/06/25
    逆恨みされちゃったのかなあ。/憎悪の目で見られる体験て普通に生活していたらめったにないと思う。私はある理不尽な理由であるのだけど、背中が凍るほど恐ろしかったです。
  • suVeneのあれ: ネット上の言論において価値観の「押し付け」というのは無理

    2007年02月28日 ネット上の言論において価値観の「押し付け」というのは無理 という立場を俺は取っている。 ただし、いくつか例外がある。それは、特定のコミュニティ内の立場やルールにおいて、権力者の発言に従わない場合不利益な結果がもたらされる事が自明である場合や、現実の生活におけるしがらみと紐付いている場合、明らかに法に触れる行為をしている場合などだ。 ここでは例外について細かく説明するのもアレなので、タイトルの話は、一般的(というと語弊があるか?)なブログのコメント・トラックバックを含む意見交換や、HNを含む匿名発言を許す掲示板などでの意見交換、かつネット上での交流しかない場合という話に限定しておこう。 んで、「押し付け」ってのは、ある個人(集団)が他の個人(集団)に対して、抗うことが不可避な状態で相手に同意を求めることだとしておく。責任の「押し付け」は、ここでは除外し、あくまで思想・

    aozora21
    aozora21 2007/03/03
    稀にこうしろああしろと言われる場合もあるが。聞いてもいないのに持論を聞かせに来るな、みたいな。それならチラシの裏にでも…。議論を目的としないスタンスを表明すればok、ただSBMは望む望まぬ構わず繰り出される
  • suVeneのあれ: 強者と定義する者への逆差別

    2007年02月27日 強者と定義する者への逆差別 世の中の価値観や物事・立場というのは、色んなかたちで分断できる。 そして、ある一定の「恣意的な境界」で一刀両断する事により、マイノリティとマジョリティに分断できることは当然である。 よく、「世の中には二種類の人間がいる」などと言われるが、この種類分けは無限に存在する。 問題はそのマイノリティに分類される側が、マジョリティから抑圧を受けていると考えていたり、マジョリティに対してコンプレックスを持っている場合である。個人的には、その抑圧が社会的・構造的・制度的に見て不当なものであれば解消していかなければならないと考えるし、コンプレックスがあるならば、いや、コンプレックスの有無に関わらず、無理にそのマジョリティの価値観を押し付けるべきではないと考える。その意味で、問題を定義し解消しようとするならば、マイノリティが(できれば結託し)声を上げること

    aozora21
    aozora21 2007/03/03
    どちらかと言うと恣意的に境界を付けたがる傾向が強いような。マイノリティと言う固定された人というのはいなくて、数の移動が決定付ける。中庸であり続けるのはとても難しい。人は政治的なイキモノだから。
  • suVeneのあれ: その発言には「悪意がない」という免罪符

    2007年02月20日 その発言には「悪意がない」という免罪符 という主張を、意識して利用することがある。 いや、「悪意がない」ことについて虚偽はないのだが、それでも尚主張せざるを得ない状況というものが個人的にある。 勿論、「悪意がない」ことで全てが許されるとは思っていない。「相手が悪意を感じた」ことによる責任が発生することもあるだろうし、「傷つけたという事実」が過失に当たる場合もあるだろう。ただ、それに怯えて必要以上に相手を配慮した(かのように見える)発言を俺はしたくない。 このようなことを書こうと思ったキッカケは、前回id:b_say_soさんとのやり取りに続き、今回id:laddermoonさんとのやり取りがあったからではあるが、この両者だけに向けて書きたい訳ではなく、今までの実体験としての全般的な話として書き記しておこうと思ったからだ。 * どのような時に「悪意がない」ことを主張す

    aozora21
    aozora21 2007/02/22
    お互い感覚の相違が確認できて良かったですね。
  • suVeneのあれ: [bookmarklet]はてブ追加(似非GreyBox風)ブックマークレット

    2007年02月18日 [bookmarklet]はてブ追加(似非GreyBox風)ブックマークレット GreyBoxを利用したブックマークのリンク方法 - youmos aki77の日記 - livedoor ReaderからGreyBoxを利用してはてブにブックマーク このあたりみて、インターフェースが気に入ったので俺用に適当に作った。 GreyBoxをどっかに用意するか、Greasemonkey使うかしたらもっとちゃんとできるのだが、メンドウだしやらね。 はてブ追加(似非GreyBox風) for FireFox only こんな感じで、ページ遷移やポップアップなしでブックマーク。 IFrame の中まで透明がかってるとか、×ボタンがカクワルイとかはしらねー! ゴージャス版も作ったぞ!(追記: 2007/02/21) suVeneのあれ: [bookmarklet][ネタ]はてブ追加

  • suVeneのあれ: 人を「嫌う」ということ(その1.5)

    2007年02月15日 人を「嫌う」ということ(その1.5) 次の記事は「「嫌い」であることと「ウザい」「苦手」「不快」と思うことの境界」について。つまり、「嫌い」という感情はなんなのかってのを考えてみようと思ったのだが、前回の記事で「相手に伝える」という事の状況やニュアンスについて、幾人かに誤解を受けているようなので、少し補足してみよう。(やはり言葉や文章で考えを伝えるのは難しいなぁと実感) *「嫌い」を伝える状況 まず、状況についてなのだが、前回の記事で追記したように「自然と距離を置くことが可能」な場合については想定していないということを述べておく。そのように心理的にスルーしたり、適度な距離を保てているのならば前回の話はほとんど関係がない。わざわざ関係の薄いところに出張して伝えることで、揉め事を起したり軋轢を作れという話ではないのだ。 次に、いまいちそのような状況が思い浮かばないという

    aozora21
    aozora21 2007/02/15
    消極的伝達なのね(最初のネタが公表だったので解釈が左右された)/心因的なものと気質的なものに分かれるんじゃないかなあ。人を食ってるとも思えるし気の毒にも感じたり。/気にかけるsuVeneさんでした。
  • suVeneのあれ: 人を「嫌う」ということ(その1)

    2007年02月13日 人を「嫌う」ということ(その1) こないだの記事はネタだ。ただ、書き方はまるっきりネタだが、内容についてはそんなに考えてることとずれていない。 今日は「人を「嫌う」ということ」について書いてみようと思う。 まず、ブロガーについてなんだが、「嫌い」なブロガーってのはいない。これは、id:umeten さんの考えとほぼイコールだ。2007/02/11 12:38 umeten しかし、嫌いなブロガーってのは、普通目にしないし読まないものなのであんまりいないものなのでは?それでもブクマ数ゆえに目に付く場合に気に障るようになるとか。 はてなブックマーク - suVeneのあれ: 嫌いな(ハテナの)ブロガーの ID を挙げようぜ! (抜粋)先ほどもいったように「嫌い」なブロガーなどは「あんまりいない」というか、つまらん記事と判断したり、何いってんだこいつ?って思う記事はそもそ

    aozora21
    aozora21 2007/02/13
    負の感情を制御しているのは単純に「損」だからでしょう。嫌いを伝えても相手の反応に寄ってはデメリットに変化なし、それと、個人に伝えるのと公表する(人に言う)のは違う。その辺りの処理は?
  • suVeneのあれ: 嫌いな(ハテナの)ブロガーの ID を挙げようぜ!

    2007年02月11日 嫌いな(ハテナの)ブロガーの ID を挙げようぜ! あれだ。 好きなブロガーとか、興味のあるブロガーの記事は見かける事が多いんだが、嫌いなブロガーやツマラネーと思ってるブロガーの事書いてる記事ってのは見かける事が少ない気がするな。この場合、メディア系とか OhMynews とか GIGAZIN とか FPN とかそういうのじゃなくて、ほんと個人のブログの話な。大手も省く。(どこから大手かってのはまぁ感覚で。俺の感覚では 404 Blog Not Found みたいなのは大手って感じだな) いや、見かけない事はない。「こいつのこういう書き方が嫌いだ」「こいつはこういう部分がバカだ」などと、正面から DIS っている記事はたまに見かける。ただ、なんつーかあれだ。「好き」なブロガーほどは、気軽に書けないって事だな。 何故かと考えると、そりゃ簡単だ。 「好き」というのは関わ

    aozora21
    aozora21 2007/02/11
    嫌いにしても好きにしても公表は政治的目的を達成する手段の一つだと思う。
  • suVeneのあれ: Google Calendarとかでみんなは何を管理してるんだ?

    2007年02月02日 Google Calendarとかでみんなは何を管理してるんだ? ご存知の人もいると思うが、俺は少々プログラムを組んだり組まなかったりする。 この時期になるといつも思う事がある。この時期といっても、もう既に2月になってしまったのでやや過ぎてしまった感はあるのだが。 それは何か。 それは、スケジュール帳のことである! スケジュール帳の何を考えるのか。それは一社会人として、スケジュール帳を使いこなしてみたいという欲求である。恥かしい話だが、俺はスケジュール帳とやらを使いこなした事がない。(買ったことはあるのだが、誕生日に記しをつけて終ってしまう) 「おいおい。この能無しは、スケジュール帳スカスカのダメ人間かよwww」 と思ったやつ出て来い!!! 正解。 まぁ、言い訳すると営業職ではないので基的に人と会う約束ってのが、時期によっては全然ないのだ。日々のタスクの工程などは

    aozora21
    aozora21 2007/02/04
    Google Calendarの使用方法についてこんな指摘もありました→http://ohnishi.livedoor.biz/archives/50249647.html
  • suVeneのあれ: りんごの実とムラ - 伝えたいこと聞きたいこと(laddertothemoon さんへの返信含む)

    2007年01月31日 りんごの実とムラ - 伝えたいこと聞きたいこと(laddertothemoon さんへの返信含む) 前回の記事でのコメント欄で laddertothemoonさんに返信しようと思っていたら、ちょっと長くなってしまったので記事にする。laddertothemoon さんのコメントについては全文引用するのも気が引けるので、興味のある人は参照してください。 自分自身の「りんごの実とムラ」に対する見解を述べておくと、どのように読んでも個人的解釈において誤読は原理的にありえないと考えている。あれは、そういったムラがあり、そこに住む人がいて、そこに旅人が現れたという話だからだ。ただ、それだけの話なのだが、個人的に伝えたいことや伝えることによって聞きたいことなどはある。そんな話を書こうと思う。 以下 laddertothemoonさんへ返信 自分はこれは前の記事「抑圧と弱者につい

    aozora21
    aozora21 2007/02/01
    まず存在そのものを承認する気持ちを伝え具体的に行動する。その後はじっくり話を聞く(本人が私の考える“解決”に向かいたいのか否か探る)/あくまで想像、理想論。
  • suVeneのあれ: りんごの実とムラ

    2007年01月30日 りんごの実とムラ このムラには大きなりんごの木が幾つもある。このムラのりんごの実はとても栄養が豊富で、一生べても飽きない味だと思われていて、そのりんごの実と水さえあれば生きていける。 このムラには大きなみかんの木も幾つかある。このムラのみかんの実はそこそこ栄養があるのだが、味がそんなにおいしくないと思われているので、このムラではみかんはべない。べてはいけない事はないのだが、みんなべない。 このムラでは、りんごをべるのが当たり前であり、このムラのムラビトはみんなりんごが好きだと思っていて、りんごが嫌いだなんてとんでもない話だと思われる。それでも極々たまにりんごが嫌いな人もいる。しかし、このムラではりんごをべるのが当たり前であり、りんごをべなくては生きていけないので、頑張ってりんごを少しだけべて、後はみかんを隠れるようにべる。 ある時りんごが大好きなム

    aozora21
    aozora21 2007/01/31
    記事とは関係ないんですがみかんが好きじゃなくて…。いよかんとかオレンジやグレープフルーツは好きなんですが…。