戦死した兄は「軍神」として沖縄戦への県民総動員に利用され、姉は16歳の若さでひめゆり学徒として戦死。兄と姉を失った元沖縄県警刑事部長の大舛(おおます)重盛さん(84)は「遺族としての発言なら」と本紙のインタビューに応じ、「再びあのような戦争のない世を願う」と沖縄本島の自宅で語りました。沖縄戦から69年、戦後70年を前に、いまだ癒やされない遺族の痛苦の胸中は―。 (山本眞直) 大舛さんは、8人きょうだいの三男として与那国島で生まれました。沖縄県警の第11代刑事部長として1989年3月に退官。 長兄の大舛松市陸軍大尉は、43年1月13日に南太平洋のガダルカナル戦で25歳の時、戦死しました。遺族の元に戦死公報が届いたのは同年10月でした。 軍人最高の栄誉である「個人感状」が授与され、当時の新聞はいっせいに「軍神大舛に続け」と沖縄戦への県民総動員報道を繰り広げました。 「兄に続く」 重盛さんは当時