小学3年生の時、国語の授業で「詩を読もう」と言う単元があった。 そこに書かれていた「詩」は2つあって、1つは「夕日が背中を押してくる」でもう1つは「ひばりのす」という詩であった。 「夕日が背中を押してくる」は阪田寛夫さんの詩で、合唱曲にもなっており、テンポも良く、ユニークで、さらに「夕日」は身近なものだったので、みんなが楽しそうに読んでいた記憶がある。 「ひばりのす」は木下夕爾さんの詩で、ひばりのすを見つけた喜びと高揚感が伝わる素晴らしい作品だと思う。 ひばりのす みつけた まだたれも知らない あそこだ 水車小屋のわき しんりょうしょの赤い屋根のみえる あの麦畑だ 小さいたまごが 五つならんでる まだたれにも言わない この詩は「誰」を「たれ」と書いているのだが、この表現にハマってしまう子が何人かいて、真面目に読んでいるのにどこからかクスクスと笑い声が聞こえてくることが多く、それが私はイヤだ
冷泉氏の記事に書かれている誤解のうち「第5の誤解」を除く部分について。 朝日「誤報」で日本が「誤解」されたという誤解 - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代 一点目 一点目は、80年代末にこの「従軍慰安婦」問題が知られるようになって以降、たとえ偽りの証言や、誤報によって「狭義の強制」があったという伝わり方をしたとしても「現在の日本国の名誉や評判」はまったく傷付かなかったということです。 ですから「国際社会における日本の評価に悪影響があった」という印象、あるいは加藤官房副長官の言う「誤報による影響」というのは、そうした理解の全体が「誤解」です。 理由は簡単です。国際社会では、サンフランシスコ講和を受け入れ、やがて国連に加盟した「日本国」は、「枢軸国日本」つまり、常任理事国でありながら国際連盟を脱退し、更にナチス・ドイツ、ファシスト党のイタリアと組んで第二次世界大戦を起こした「枢
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