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ブックマーク / bat99.hatenablog.com (3)

  • 南京1945年-日僑集中営- - bat99のブログ

    昨日紹介した「南京1945年」だが、Amazonで検索しても見つからないので、もう少し詳しく引用してみる。 副題の日僑集中営とは「日僑」は華僑と同じような使われ方で在留日人というほどの意味で、不安や危険をなくすために一か所に集まって集団生活を行った記録である。 在華日人が一番恐れていたことは、戦争に負けたら敵兵が侵入してきて自分たちが掠奪や暴行をうけるに違いないという恐怖や不安であった。少なくとも従来の戦争というものはそういうものりであったし、日の軍隊も現に中国各地でそうしてきたのである。 しかし、私たちは敗戦後すぐに全中国にラジオを通じて放送された、 「われわれに加えられた残虐と凌辱は筆舌につくし難いものがあったけれど、敵は日の軍閥であり敵国の無辜の人民に汚辱を加えてはならない。」 という、在華日人に報復的な行為をしてはならないと諭した蒋介石総統のあの有名な「以徳報怨」の演説に

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  • 「英霊」と「怨霊」と - bat99のブログ

    前回の続きだか、以前から気になっているというか、違和感を感じているのが「英霊」の代弁者をもって自らを任じているかのような人の言動だ。 倉聰氏や石原都知事のように「英霊」に仮託して今の日人に怒りをぶつけているような人は、自分の感情と「英霊」の感情が重なり合うと気で考えているのだろうか。 アジア太平洋戦争の戦死者で靖国神社に祭られている「英霊」はその大部分が敗戦前に亡くなっている。という事は、もし「英霊」が現在の日を見たとき、真っ先に怒りを覚えるのは「負けたこと」ではないのか。 彼らの戦死は結局は勝利に結びつかなかった上に、敗戦の責任を取るべき上層部の免罪*1に使われてしまっている。 正直、こういった点を無視して、 経済と科学文明の中で己を見失って狂奔している今の日人の姿を見たら、一体、彼らは何を想うのか。怒りと悲しみと絶望の中で、ただ唖然と立ち尽くすのではあるまいか。 http:/

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  • 自らの不明を恥じる - bat99のブログ

    法華狼さんのところでこんなコメントをしたのだが、 『正直、否定論が海外に発信されて国際的な批判にさらされた方が結果としては良いのかもしれないと思うこともあります。南京事件否定論は欧米の宣教師や新聞記者も嘘吐きよばわりしているわけですので、反発が大きくなる可能性はかなり高いでしょう。 従軍慰安婦に関しても安倍首相が恥をかいたおかげで、政府としては慰安婦問題に否定的な態度をとるのが難しくなってしまったわけですし。 ただ、日人ということで否定論者と同程度と見なされたりするのは、まあ人並みの羞恥心を持っていたら耐えられないことであるということはありますが。』 (2007/06/14 21:28) そしたら、直後にこんなニュースが出てきた。 「慰安婦強制の文書ない」 日の国会議員ら米紙に広告 すみません、私の考えが甘かったです。安倍首相が恥をかいた程度では懲りていないようです。 日人はこんなの

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