サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
大谷翔平
blog.aishokyo.com
月下の一群 堀口大學*1による海外詩のアンソロジー「月下の一群」は大正14年に第一書房から出版されました。フランスの近代詩人66人の作品340編を収め、その後の日本の詩壇に大きな影響をあたえました。 また、函入りで背革装、天金がほどこされた豪華な造本も話題になりました。価格も4円80銭(そばが10銭の時代です)になり、売れ行きが心配されましたが、初版1200部は数ヶ月で完売したそうです。 私の持っているのは昭和55年に日本近代文学館/ほるぷ出版が「名著複刻 詩歌文学館 連翹セット」として復刻したものになりますが、本の雰囲気をまずご紹介したいと思います。 #箱と表紙:金唐草模様の表紙、金箔押しの背革の装幀は、発行者・長谷川巳之吉の意匠です。 # 金箔押しの背革 #天には天金(ほこりが払いやすくなるように、本の上部に金が薄く塗られていること)がほどこされています。 #口絵は長谷川潔自刻木版 木
1930年に本そのものについての定義を変えてしまうような重要なマニフェストが発表されます。連載二回目ではそれを発表したボブ・ブラウンのおどろくべき先見性をご紹介したいと思います。
黎明期:本を解き放つ 電子書籍の歴史 その1で見てきたように、先人たちは読書に様々なテクノロジーを導入しようとしてきました。それらは本の「読み方」を変える試みでした。 1930年になると、「本そのもの」についての定義を変えてしまうような重要なマニフェストが発表されます。連載二回目ではそれを発表したボブ・ブラウンのおどろくべき先見性をご紹介したいと思います。 #ボブ・ブラウン(1886-1959)シカゴ生まれ 1930年 : ボブ・ブラウンの「リーディーズ」 アヴァンギャルド作家として活躍していたボブ・ブラウンは、音声つき映画「トーキー」を初めて見たあと、本も映画と同じくテクノロジーによって大きく変化するというアイディアを得ます。そして1930年にパリで発行されていたアヴァンギャルド雑誌「transition(トランジション)」の19/20号に「リーディーズ」という文章を発表します。そこには
オデオン通り「本の友の家」 #「本の友の家」オデオン通り7番地 1920年代のパリの文学シーン。ウディ・アレンの映画「ミッドナイト・イン・パリ」でも描かれていたようにヘミングウェイ、ジョイス、ヴァレリーなどきら星のような文学者が国をこえて集まり、街を歩き、議論をかわしたあこがれの時代です。 1915年にパリ左岸のオデオン通り7番地に開店した小さな書店がそのすべての始まりでした。店の名前は「本の友の家」、貸本と新刊を揃えたパリで初めての女性によって開業された独立書店でした。彼女の成功がヘミングウェイの「移動祝祭日」にも登場する「シェイクスピア&カンパニー書店」の開業につながり、2つの店を中心とする”オデオニア”が生まれます。今回は今では知る人の少なくなったこの書店をご紹介します。 のちの女主人、アドリエンヌ・モニエは1892年にパリで生まれました。文学や芸術が好きだった母は、仕事で不在がちの
ナショナル・メモリアル・アフリカン・ブックストア その書店はハーレムのセブンス・アベニューにありました。「良識の家、適切な宣伝活動のホーム」という看板が高々と掲げられ、「20億人のアフリカ人と非白人たち」とか「世界の歴史」とか様々な文字が店頭をかざっています。ここにあった本は、ウェブスター辞典と聖書、それにほんの幾つかの例外をのぞいてすべて黒人に関係あるものだったのです。 ハーレムで知らない者のなかったナショナル・メモリアル・アフリカン・ブックストアは1939年にルイス・ミショーというたった一人の男によって始められました。 ルイス・ミショーについて ルイス・ミショーは1895年(1894年説もある)にヴァージニア州ニューポートで生まれました。賢い子供でしたが、最低限の教育しかうけることができず、盗みに手をそめ留置所にも入りました。持ち前の反骨心からいつも警察ともめ、30才の時には殴られて片
内山書店の始まり 内山書店は1917年(大正6年)に内山完造によって上海に開かれました。完造の妻、美喜が自宅の玄関先で本を売り始めたのがその始まりです。最初は日本語の聖書などを扱うだけでしたが、商売はうまく行き始め、1924(大正13年)年に近くの空き家を買い取ると文学書や専門書も揃えて本格的に書店業に取り組みます。 内山書店は来客が自由に読みたい本を取って読むことができ、立ち読み歓迎、代金は掛売りでした。ある時払いで必要な本をどんどん注文できるシステムは本好きにはたまらないものでした。店内には談笑するスペースがあり、夫婦からお茶がふるまわれました。自然に本好きが集まり、店は中国、日本の知識人が集まるサロンのようになっていきました。日本からは芥川龍之介、谷崎潤一郎らも訪れています(谷崎は「上海交遊記」の中で内山書店のことを記しています)。顧客に支持される夫婦の篤実な性格と、昭和に入って始ま
ホーンブックとは何か #ホーンブックを使って子どもたちに教える風景 ホーンブックは15世紀から19世紀の初めまでイギリスで使われていた初学者のための教則本です。アルファベットやその読み方、数字、主の祈りなどが一枚の紙に印刷され、取手のついた板に貼り付けられていました。傷つかないように鹿の角(ホーン)を薄く切った透明なシートで覆われていました。木以外にも象牙や革、金属など様々な素材があったようです。 16世紀に書かれたシェイクスピアの「恋の骨折り損」にもホーンブックの場面があります。 ホーンブックの詳細 1:アルファベット 2:発音 3:主の祈り 2の部分にはaeiouの母音が1のアルファベットと別には記されています。これはホーンブックが文字を「読むこと」を学ぶためのものであったことを示しています。読むことと書くことは長い間別の技術だと考えられていました。キリスト教社会においては聖書を読むた
愛書家日誌のツイッターでつぶやいた本の名言から特に好きなものをあつめてみました。 本が好きだ 「いくばくかでも金があれば、私は本を買う。それでも残ったら、食べ物と服を買う。」 エラスムス http://t.co/P4XmqEKzhd #エラスムス:1466年生。オランダの神学者。様々な著作を出版し宗教改革に影響を与えた。自分で名乗った名前はデジデリウス。 私は本なしでは生きられない。トーマス・ジェファーソン http://t.co/ywGML2JUxy #トーマス・ジェファーソン:1743年生。第3代アメリカ大統領。アメリカ独立宣言の主要な作者に一人。回転式ブックスタンドを発明したり、新種の鳥を発見したりした。 我々は本を読むために生きているのだ。 ウンベルト・エーコ http://t.co/e9FuEsnr17 #ウンベルト・エーコ:1932年生。「薔薇の名前」で有名なイタリアの小説家。
夜明け前:本とテクノロジーの出会い 15世紀半ばにグーテンベルク聖書が出版されると、本は私たちの知っている本になりました。それ以来、約500年の間その姿を変えずに現在まで続いています。 その間、人類は読書という行為にさまざまな形でテクノロジーの導入を試みました。記録にのこる最初の試みは16世紀になります。私たちの祖先はテクノロジーで読書の何を変えようとしたのでしょうか? 1588年 : ラメッリの回転式書見台 回転式書見台はイタリアの軍事技術者、アゴスティーノ・ラメッリによって考案されました。水車のように回転する書見台は、読者の前にくると読むのにちょうどいい45度の傾きを保ちます。当時の本はとても大きく、重かったので扱いが不便でした。そしてラメッリの時代には次々に本が出版されはじめたのです。 力をつかうことなく一箇所で複数の本を参照できるこの機械は大変便利だったでしょう。またさまざまな情報
読書をするのに一番いい場所 みなさんは読書をする時のお気に入りの場所はありますか? 少し通りからはなれた人の出入りが多すぎないカフェや昼下がりの公園、日曜の午前中のベッドの上で。読書家たちは自分の場所を見つけて本を読みます。静かでひとりになれる場所が本の世界に没入させてくれます。 それらの条件をみたす、あまり一般的でない場所があります。そこで読書に目覚め、その後の人生が変わった人たちをご紹介しましょう。獄中の読書家たちです。 マルコムX ニューヨークのハーレムでハスラーをしていたマルコムは1946年、21歳の時に強盗の罪でチャールズタウン州立刑務所に入れられます。ハスラーとはポン引きや非合法ギャンブル、ドラッグの密売などで生計をたてるギャングのことです。境遇にめぐまれなかった人たちが悪にそまってしまった時の、ありふれた末路でした。 1948年に移送されたノーフォークの犯罪者コロニーには一つ
自分が好きな装幀を楽しむ #天小口がアンカットの仮綴じ本 パリに住んでいた頃、フランスの古本屋さんをめぐっていると簡単な装幀の本をよく見かけました。ページは天の部分がくっついたままだし、綴じ方も適当で、紙の表紙はカットされず折り曲げて畳まれています。紙や印刷はいいのにフランスはずいぶん適当な製本なのだなと思いました。 しかし、それが自分で「ルリユール」という製本工房に本を託し、自分好みの装幀にしてもらうためなのだと知ったのは随分後のことでした。仮綴じ本は将来の製本を見こした一時的なものだったのです。 アンカットのページをペーパーナイフで切り開きながら本を読み、最後に好きな装幀にする。本を自分が完成させるいう話にとてもわくわくしました。 ルイ14世の勅命 16世紀の終わりからイギリスを始めとするヨーロッパ各国では分業が進みました。それにより産業が大いに活発になったのです。しかし、17世紀のフ
ポケットの中に書庫を! 本好きが電子書籍の端末を買う理由は「本がかさばるのでなんとかしたい」と「どこにでも全部の本を持ち歩きたい」ではないでしょうか?私も最初は部屋のスペースをどんどん侵食する蔵書増加対策に購入したのですが、そのうち出先で過去のアーカイブを調べられる便利さに気づきました。 15世紀半ばにグーテンベルク聖書が出版されて以来500年以上の間、本は本のままでした。電子書籍が登場する今日までほとんどそのフォーマットは変化していません。この間、本当に人類は何もしなかったのでしょうか?Science & Invention magazineの1922年6月号にこんな記事が掲載されました。「ポケットの中に書庫を」 フィスク提督の読書機械 アメリカ海軍のブラッドリー・フィスク提督が超小型の読書機械を制作したのです。 彼はまず本をポケットにはいるくらいの細長いスリップカードに縮小印刷します。
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『blog.aishokyo.com』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く