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私は部下育成の方法として「失敗を楽しむ」ことを推奨している。すると、医療関係者や介護の現場の方から「我々は人間相手だから失敗させるわけにいかない、どうすれば」というご意見を頂く。実は研究の世界でも失敗できないものが多々ある。高額機械は取り扱いを誤るとあっと言う間に壊れてしまう。 そこで私は「模擬失敗」をしてもらう。「ここを押すとどうなると思います?」と問うて、考えてもらう。最初は皆目見当がつかないから、初心者スタッフは何を聞かれてるのかさえ分からない。そこで次にヒントを散りばめながら次の問いを。「ここがこっちにつながっているでしょ。だとしたら?」 「あ、ここでよけいな力がかかって壊れてしまいます・・・?」「ご明答。ではこのスイッチを押したらどうなると思います?」 このように、やっちゃいけない操作について、それをやったらどうなるかを考えてもらう。その際、着眼点を示し、スタッフに観察し、仕組み
なぜ日本は長らくデフレ経済に陥ったのか。金融政策に原因を求める意見もあったが、日銀総裁の黒田氏があれだけの金融緩和を続けてもデフレを食い止めるには不十分だった。ということは、別に大きな原因があるように思われる。私は、誤った経営モデルを選択したことに大きな原因があるように思う。 バブル崩壊後、日本経済は低迷を続けていた。阪神大震災後もそれは続いた。官僚たちはこのとき、何を経営モデルにしたらよいのか分からなくなっていたらしい。震災後、何を血迷ったのか、急に新聞などで持ち上げられ始めたのが百円ショップとユニクロだった。 この2つの業態は、海外で安く生産し、それによって国内でひどく安く売ることを可能にしていた。当時、ユニクロ以外の国内業者は国内でデザインし、国内で生産するとどうしてもTシャツ一枚千円を下ることはできなかった。しかしユニクロはなんと三百円で販売した。全く太刀打ちできなかった。 当時、
勉強しようとしない我が子を見て、「勉強しないとどうなってしまうか」という将来の話をし、なんとか勉強する気を起こさせよう、とする親は多い。気持ちは分かる。勉強しなければ損をする。我が子を思えばこそ、勉強しとけとアドバイスせずにはいられない、と。ただ。 「勉強しなければこうなってしまうぞ」という話は、子どもにとって脅しとなる。そうした脅しを聞いた子どもは勉強に対してどう思うかというと、「こんな脅しでもかけないと勉強しないと思われるくらい、勉強というのはつらくて面白くないんだ」という裏メッセージを受け取ってしまう。その結果。 ますます勉強するのが嫌になる。脅さなければ勉強するはずがない、という親の思いを感じ取って、ますます勉強に対して気が重くなる。ほとんどの子はこのためにますます勉強が嫌になり、なるべく逃げようとする。逃避しようとする。 ごくたまに例外がいる。もともと勉強ができる子。自分は良い成
気になることを聞いた。とある地域で水路が古くなり、国が改修費20億円のうち19億円を負担、地域の人は1人7万円の負担で済むという。この破格の条件でも反対の人が多く、水路を修理できなさそうという。もしそうなれば、その流域数百haの水田がダメになる恐れがあるのに。 反対する理由は、もし農業用水の水路を修復してもらうと、農業振興地域の指定がかかり、田畑を売って宅地にするということができなくなってしまうから。 こうした事例が全国的に起きているかも。実際、農業関係者の集まるサイトで尋ねてみると、似たような話が続出しているらしい。 コメというのは、その田んぼだけ水田にすれば育てられるというものではなく、その流域の農業用水の水路がきちんと機能している必要がある。もし水路がダメになってしまうと、その流域では水田を保つことが難しくなり、コメの生産はかなり難しくなる。 コメは、水田でなくても畑で育てることは可
国語力を上げることは難しい、とよく言われる。本を読むことが推奨されるけど、本なんてすぐにはなかなか読めない。どうしたらよいか? 私は「品詞分解」が非常に効果的だと考えている。 たとえば「私は品詞分解が非常に効果的だと考えている。」という文章を品詞分解する場合、写真のように ①横棒で文節を区切る。 ②単語に分ける。自立語はタテ一本、付属語は二重線。 ③単語の品詞を書く。 ④単語の細かい分類を書く。名詞なら代名詞や普通名詞、動詞なら何行何段活用何形か。 ①文節に切る。「私はね、品詞分解がね」というように、「ね」で区切れるのが文節。ちなみに写真では「考えて」「いる」を区切り忘れている。②③④これを毎日少しずつやり、学校の先生か塾の先生に見てもらう。半年もやると文法のことがすっかり理解できるようになる。 私はこの品詞分解の訓練をするまで、修飾部や述部とかもわからないし、修飾語や主語と何が違うのかも
中学生で偏差値64未満の子(※)は、小学校の内容であやふやな部分が残っているリスクがある、と書いたら、意外に思われた方もいらっしゃったよう。偏差値64って、結構高い。小学校の内容「ごとき」ができないもんだろうか?と思われる方がいらっしゃるのも不思議ではない。しかし小学校の内容、侮りがたし。 私の許には旧帝大の学生がよく研究しに来る。で、濃度計算をしてもらうのだけれど、結構間違う。最初から間違えずに済んだ学生はこれまで2,3人しかいない。それ以外は全員苦労した。勘違いを回避するポイントを知らないと、よく間違える。そして、濃度は小学校で習う内容。 私の体感だと、旧帝大の学生は小中学校の学習内容をマスターできているけれど、それに達しない成績の学生は、小中学校の内容でどこかアヤフヤな部分を残している。しかし結構よい成績をおさめてきた学生は、小中学校の内容を見直すことをしようとしない場合が多い。これ
人類にとって厄介なこと。それは、「石油が儲からない資源になり始めている」こと。 石油が利用され始めた頃は、噴水のように石油が吹き出していた。この時代は、採掘に1のエネルギーを投じたらその200倍のエネルギーが得られた(EROI=200)。しかし現代は10倍を切り始めている様子。 シェール革命とひと頃騒がれたが、シェールオイルは水などを地下に注入するためのエネルギーが膨大で、石油エネルギーは10倍程度しか得られない。このため、投資家にとっては「割の合わない商品」になりつつあり、石油に投資することを見合わせるようになり始めている。 石油を採り続けるには、古くなった設備を更新しなければならないのだが、投資が集まらない。石油会社も及び腰。かなりのお金を投じても10倍程度のエネルギーしか得られないなら、儲からない。このため、特にシェールオイルに関しては、油田が放棄され始めているという。 ロシアによる
NHKはかつて、「欲望の資本主義」という特集を組んだことがある。資本主義の駆動力は欲望だ、ということを端的に表した言葉だと思う。 けれど、私は欲望以外の駆動力が可能なのではないか、と考えている。それについて、言語化を試みたい。 これまで、資本主義が欲望を原動力にしてきたのは無理もないと思う。第二次世界大戦が終わるまでは、実は先進国でも貧しい人が多かった。その日を生き延びるので精いっぱいの人がいた。そうした労働者の苦しみを見て、共産主義が生まれたようなもの。 しかし共産主義は、その名の通り、産み出したものはみんなのもの、共有財産、という考え方だから、頑張っても頑張らなくても報酬は同じ。このため、多くの人々がやる気を失い、頑張らなくなったと言われる。どれだけ欲望を持っていても報酬が同じなら、働かないでおこう、となってしまった。 欲望を原動力にできなくなった共産主義は、やがて社会が停滞し、発展で
「ヤンキーはどこに行った?」という話が、いつものウェブ飲み会で。昔はいわゆる不良、非行少年がいて、大人にやたらと楯突くヤンキースがいた。暴走族など、かなりヤンチャな青少年がいた。今もいないわけではないが、ほとんど目にしなくなったのはなぜだ?と。 補導員がシンナー少年に刺されて死んだ、という事件がきっかけのように思う。その補導員の子どもが私の塾に来ていた。あの事件以来、大人が子どもの前に立ちはだかることがなくなった。「もしタバコを吸ってるのを注意したりなんかして刺されたらたまらない」と。 それまでの大人は、子どもに注意するのが当たり前とされていた。ガンコ親父、ガミガミ親父という人は一定数いた。そしてヤンキーの子らはそのオヤジ達を挑発するかのように目の前でタバコを吸い、シンナーを吸い、暴走行為を働いていた。しかし肝腎の大人が壁として立ちはだからなくなると。 いくら大人たちの目の前でタバコを吸っ
NHKやEテレを見ても、あるいは新聞記事でも、食品ロス(フードロス)ゼロを目指せ!とよく呼びかけられている。しかし食品ロスゼロは決して目指してはいけない。多すぎる食品ロスは減らした方がよいが、決してゼロにしてはいけないものだということを、今回お伝えしようと思う。 安全余裕という言葉がある。例えば原子力発電で、発電に必要なギリギリの強度にしてしまったら、とても怖いことだと思われないだろうか。少々の事故が起きても爆発したり異常を起こしたりしないように、意図的に原子炉は余分に頑丈に作られている。その余分を安全余裕と呼んでいる。 これは車のエンジンも同じ。最大出力ギリギリの強度に設定してしまうと、車は壊れてしまいかねない。だから最大出力で走ったとしても壊れはしない頑丈さでエンジンを設計する必要がある。全ての製品はそうした安全余裕を確保した形で作られている。 食料供給もこれと同じで、安全余裕が必要。
FB で面白い投稿があった。オーストリア人のピアノ教師と結婚した人の話。その人は子どもの頃、6年間もピアノを習っていたが、つまらなさ過ぎてやめた経緯があった。ところがあることがきっかけでピアノの面白さに気が付き、夫に教えてもらうことに。そのときの話が衝撃的。 日本だとピアノ習い始めの子に必ずと言ってよいほど課されるバイエルは、その夫によると、学生時代、音楽教育法の講義で「昔の悪い例」として習ったのだという。 悪い教え方の見本! オーストリアではとっくの昔に、その子にあった教本を探して教えるのが一般的なのだという。 日本では正しい指使い(運指)を習得するのに最適だとして、バイエルを教えるのが普通だと言われる。そしてそのために、ワクワクしてピアノ教室に通い出した子どもたちが、次々とピアノ嫌いになっていく。その曲があまりにもつまらなさ過ぎて。 私は剣道をやっていた。ピアノでバイエルが基礎として重
日本の農家は超高齢化が進んでいて、それでいて後継者がいないのが悩みとなっている。実は先進国はどこも同じような悩みを抱えているらしく、15年前、イギリス王立農業大学に留学していた学生が「イギリスでも高齢化と後継者不足は問題になっていますよ」と。 これは「エネルギー革命」に関係しているように思う。戦前にも石油の利用は始まっていたが、まだ石炭の利用が主だった。自動車はまだそんなに普及が進んでおらず、トラクターなどの農業用機械も普及していなかった。まだ牛や馬を飼って耕していたら大したもの、人力で耕す農家も多かった。 戦後、石油で動く動力が急速に普及した。トラクターは大面積をあっという間に耕すことを可能にした。一人が土日に耕すだけでコメを育てられる時代になった。国民の約半数が農家だったが、労力がいらなくなった分、農家はもっと減ってよい時代になった。そして減った。 もう一つはケインズ経済学。戦前の自由
私の父はいわゆる不良や非行少年の面倒を好んで見ていた。幼かった私から見れば気のいい兄ちゃんらで、私に乱暴したりちょっかい出したりすることはなかった。 父がふと漏らした言葉を覚えている。「教師と警察官の子は、どうもグレることが多いなあ」。 調べてみたが、教師や警察官の子どもが非行に走りやすくなるという統計は見当たらなかった。ただ、「不良塾」とも呼ばれた私の塾には、なかなかの問題児が集まっていたのだけれど、教師と警察官のグレたのが散見された。多いかどうかは分からない。しかし、グレた理由はどうも親の職業にあるらしい。 ではなぜ彼らは親が教師、警察官だからという理由でグレたのか。私の見たケースでは「家の中に教師はいるけど親はいない」「家の中に警察官は居るけど親がいない」のが理由であったようだ。 しかし子どもにとっては親。子どもがいてほしいのは親であって教師ではない。なのに親がいなくて教師がいる。
真面目に育児した人から意見を聞いた形跡がまるで見えない。びっくり。 https://news.yahoo.co.jp/articles/6a8002cf6e47f2a86464bf9c074221be94d3c9d9 知人は産後休暇・育児休暇という「休暇」という名称が様々な誤解(特に育児経験のない一定年齢以上の男性)を生んでると指摘する。そこで知人の推奨してるのが「出向」。産後出向、育児出向と呼べば、育児は仕事と匹敵するどころか「こんなに大変とは思わなかった」というイメージに一歩近づく。 職場からすれば、職場を離脱したら休暇だと言いたいのだろうけど、休暇という言葉は「何もすることがなくダラダラできる」というイメージがこびりつき、これが育児経験のない高齢男性に思い違いを増幅させる原因になっているように思う。しかも育児休暇を取った男性まで勘違いするケースがあるという。 せっかくの休暇なんだから
私は頬を噛んだ跡が必ず口内炎に。チョコラBBを教えてもらい、飲むようにしたら、口内炎で悩まされることがなくなった。 チョコラBBが切れたので薬局に買いに行くとプライベートブランドを勧められた。「成分同じ!量もたっぷり!しかも安い!」騙されたと思って買ってみた。 そして騙されたと思った。チョコラBBなら一回1錠なのに2錠飲めと。倍。これじゃ増量の意味がない。何より効かない!噛んだところが口内炎になる!意味ない! 確かに成分表見ると一緒なのに効果がない。成分同じでも効くとは限らないんだなあ、と思った。 以来、プライベートブランドの薬は買わない。 体操服の頑固な汚れを落とす特殊な洗剤を売ってるメーカーの方から聞いた話。ある時、顧客から「汚れ落ちない」と苦情が相次ぐように。製造プロセスや製法などを全部チェックしたが原因が見つからない。疑うのは原料しかない。そこで原料を提供してる会社に電話してみた。
ある人と喋っていて「農林水産省さえ動かせば国が動くと思ったが駄目だった」という話があった。二昔ほど前だったら農林水産省を動かせば国を動かせたかもしれない。しかし今は無理。官僚の練り上げた政策を政治家が取り上げることがほぼなくなってしまったから。 官邸主導ということで政治家が政策を決定するようになっている。このため政治家が気に入らなければ官僚の提案はまるで無視されるようになった。他方、政治家の思いつきのアイデアが政策になり、それがあまりに粗雑で問題含みでも、官僚は怖くて忠告できなくなった(忠告した者は飛ばされた)。 そして、政治家はお気に入りの人間からしか意見を聞かないものだから、現場で起きてることを政治家の耳に届けようとしても馬耳東風。そんなシステムになってしまっている。いまや省庁に陳情に行っても取り上げてもらえるとは考えない方がよい。一応、首相が変わって風向きは変化してるのだけど。 政治
食料危機の話になると「弱く貧しい者が餓死するのはやむを得ない」と、物知り顔に、平気で口にする人に結構出くわす。自分にはお金や社会的地位があるから餓死することはないと安心しきっての発言のように思う。しかし一つ大切なことを見逃しているのでは。人間は餓死する前に餓鬼になるということ。 私は計2回、断食したことがある。最初の断食は特にキツかった。 山にこもり、テントを張って、塩と水だけで過ごすことに。最初の2日間はなんとかなった。腹が減れば水をがぶ飲みしてしのいだ。あとはフテ寝すれば空腹をしのげた。 三日目は手を上げるのもつらくなり、本を読んでいられなくなった。それでも日中は、葉が風で揺れているのを眺めたり、アリの行進を眺めてヒマ潰しができた。味覚が敏感になり、水は金属臭がするようで、空腹を紛らわすことはできなくなった。塩をなめてもダメ。滋養のあるものを食え!と体が命じる。 嗅覚が敏感になり、なん
「説教」考。 「SEKAI NO OWARI」という人達が紅白で「説教するってぶっちゃけ快楽」と歌っていた。説教は若者のために話しているフリして、実は年配者の自己満足に過ぎない、マスタベーションだ、ということを短く喝破した見事な歌詞だと思う。 そういえば、年配者が私に語るに。 「今の若者って、説教嫌がるだろ」と言った。ところが当時まだ若かった私は、「とんでもない、若者は説教大好物ですよ」ととっさに答えた。「ただし自慢話は嫌いですけどね」と付け加えて。 事実、私の父のもとには若者がよく集まり、何時間もの説教を聞きに来ていた。夜通しになることも。 私も学生と食事に行くと、何時間も話し込むことがあった。ファミレスで学生がトイレに立ち、そろそろ私の話も聞き飽きたろう、と思って帰り支度していると、フリードリンクをお代わりして戻ってきて、「さあ、話の続きを」とやられて、また何時間も話し込んだことが。若
バブルの頃、仕事から帰ってくると、母親と子どもたちの楽しそうな団らんの輪の中に入れず、居場所をなくした男性の話をよく聞いた。 同じ頃、定年退職した男性が「濡れ落ち葉」になる話も。会社という居場所を失った男性が、濡れ落ち葉のように妻にベッタリまとわりついて離れなくなる現象。 昔、仕事人間だった男性から久しぶりに電話が。日本会議に参加して充実してるという。話を聞くと、貞淑さを失った女性、年上への敬意を欠いた若い世代を嘆き、男性が再び敬意を受ける社会に戻したい、という話をしあっているらしい。そうか、日本会議は居場所のない男性に居場所を提供してたのか。 再びバブルの頃。新興宗教が盛んだった。景気はよいからお金には困らない。しかし、自分を必要としてくれるものがなく、居場所を見つけられない若者が多かった。そんな中、「退廃した社会を正すのは君だ、それが君の使命だ」と言葉をかけられ、居場所を新興宗教に見出
阪神大震災は1月17日に起きた。真冬でともかく寒かった。このため、救援物資として毛布を送ってほしいという呼びかけがなされた。すると、全国から大量の毛布が送られてきた。この時困ったのが、汚れた中古のものが少なくなかったこと。というか、多かった。衛生面で不安があり、それらは廃棄した。 困ったのは、仕訳に人手がかかること。大量に積まれた段ボール箱を一つ一つ開け、何が入っているかを確認せねばならなかった。何が入っているのか外側からは全く分からないものも多かった。使えないものはゴミ。これが非常に大量で、場所も取られた。 これと同じことが、「食品ロスとフードバンクを結び付けるアイディア」で起きている。貧しい人に食品を配るには、余って捨てられるだけの食品ロスを食べてもらえば一挙両得じゃないか、ということで、ニュースなどでもよく取り上げられている。しかし、現場の方から聞くと、阪神大震災の毛布状態。 あまり
日本にイノベーションが起きにくくなった理由。それはもしかしたら、大卒が増えたからではないか、という気がしている。 戦後の日本は、大卒は非常に少なかった。多くが中卒、高卒。場合によっては尋常小学校まで、という人が多かった。パナソニック(松下電器)の創業者、松下幸之助は小学校中退。 高度成長期時代、日本の製造業には、「金の卵」と呼ばれて中卒の人たちが地方からたくさん就職した。で、開発研究する部署には大卒が多かったかというと、どうもそうでもないみたい。「お前、これをなんとかものにしろ」といきなり部署につき、必死になって勉強するしかなかった、という話が多い。 ホンダの創業者、本田宗一郎も大卒ではない。しかし勉強熱心で、エンジンのことを学ぶために大学の先生のところを訪ねて聞きまくったり、ともかく吸収しまくった。その強い学習意欲が、あれだけの大企業を一代で育てる原動力になったのだろう。 やれるかどうか
私は高校卒業時に「大学には行かしてやれんかもしれん」と父に告げられた。当時、母が大病し、死に病と宣告されていた。しかも借金だらけ、父は事情あって無職、アルバイトでくいつないでいる状態。経済的にも最悪で、進学どころではなかった。家賃も滞納、食べるのがやっと。 たまたま母は手術してみると死に病ではなく(しかし2,3日手術せずに放置していたら危なかった状態)、助かった。それで大学に進学することを再び真剣に考えたのだけれど、その時以来、「もし大学にあのまま行けなかったら」を常に考えて生きている。 大学に行けず、高卒で勤め始めたらどうだったろう?高校卒業してしまってからだと、高校によるあっせんもないので条件が厳しい。きっと仕事探しも苦労していただろう。しかしそうであっても、私は私。どんな仕事をしているかは外側の話。今の私と高卒のままの私、どちらも私。 学歴のないことを理由に見下したり、社会的地位がな
日本はこのところ、「儲かる農業」ばかりを目指してきた。儲かるといえば野菜などの園芸作物。野菜の売上は、もはやコメの売上を超えている。コメは作っても儲からず、トマトの方が高く売れる。なんせ、同じカロリーならトマトはコメの100倍高く売れるのだから。 農水省はコメばかりにこだわるのをやめ、儲かる農業を推進しろ!という声がこのところ、大きかった。国民からも政治家からも批判の大合唱で、さしもの農水省も世論に負け、コメを優先する政策を改めようとしている。そしてコメも、アメリカに対抗して安く作れるよう、生産性を高めようとしている。 では、世界一の農業国と言えるアメリカは、あれだけ世界中に食料輸出するくらいなのだから儲かる農業なのかというと、そうではない。小麦やトウモロコシなど穀物は、政府から所得保障という名の補助金が出てるから農家もなんとか生活できてる状態。つまり作れば作るほど政府からの持ち出しが増え
若い頃、日本酒が苦手だった。大学入学時に洗礼受けたのは日本酒一気飲み。当然吐いた。頭がグルグルする。変に甘ったるくてベタベタする。誰が好き好んでこんなもの飲むんだろう?と不思議だった。ポン酒と呼んで遠ざかっていた。 変わったのは阪神大震災がきっかけ。 当時は真冬。暖を取ろうにも薪がない。町を歩いていると、木造の酒蔵が全壊していた。申し訳ないけれど、避難所の人たちの薪にさせてもらえないか、そこにいたスタッフの人に頼んでみた。すると、コンクリートで無事な建物の中に手招き。私は怒られるのかな、と思いながら恐る恐る入った。 「しぼりたての酒だ」と言って、飲ませてくれた。果物ジュースのような香りと味。それでいてどぎつさは一つもなく、味も香りも柔らかく、比喩ではなく、生まれてはじめてこんな美味しい飲み物に出会った。それは日本酒だった。 聞くと、そこにある大きな樽は、大メーカーに買い取られ、混ぜられて大
自分が高学歴で勉強ができたと思っている人は、「自分は勉強についてはそんじょそこらの教師や塾講師よりも分かっている」という自己イメージを抱きやすい。で、学校の教師をバカにしたり、品定めする人を結構見かける。しかし名選手名監督ならず、とはよく言ったもので。 自分が勉強できることと、人に勉強を教えることは、全然違う。自分がなぜ勉強できるようになったのか、無自覚な人が多い。あまりに幼いころ過ぎて、記憶があいまい。しかも「うまくいっている」ケースは、なぜうまくいったのかを言語化、意識化しにくい。だから、無自覚になりやすい。 勉強しろと言われたことがなく、勉強で苦労した覚えがない、という人は、今回のツイッターへの反応を見ても、東大京大には多い様子。なぜ勉強が苦にならなかったのか、楽しんで勉強できたのか、はっきり自覚できている人は必ずしも多くない。 両親ともに高学歴で、学ぶことは楽しいことだと思っており
京都大学に入学して面白いと思ったのは、「勉強しろと親に言われたことがない」という同級生が多かったこと。京大だから、というのもあるかもしれない。東大に行ってガツガツ勉強なんかしたくない、したい勉強だけしたい、という性格の連中が多かった。強制されるのは大嫌い、というのが多かった。 で、本人が親になって、困ってるケース複数。「勉強しろなんて強制したら勉強嫌いになるから言っちゃだめだ、放っておけっていうんだけど、妻はものすごく教育熱心で」と。塾に複数通わせ、帰宅してからも勉強に付き合い。そんな勉強漬けじゃ、勉強嫌いになるよと心配していた。 小学校から受験、中学も受験。中学までは親の強制でどうにか勉強したけれど、高校で母子の確執が激化し、勉強嫌いになるケースが多かった(私が見たケースはすべて)。勉強嫌いなりに大学はなんとかそれなりのところに進んだけど、すっかり勉強嫌いに。 不登校になるケースもある。
「日本は世界第5位の農業大国」という本がかつて話題になった。農業行政を大きくシフトさせた、影響力の大きかった本だと言える。日本の農業と言えば低い食糧自給率の事ばかり。でも売り上げ(GDP)で言えば、日本は世界第5位なのだ、という意外な事実を浮き彫りにした内容だった。 それ以来、自給率を云々するのはナンセンスだ、売り上げ(生産額)でいえば自給率は63%に跳ね上がる、カロリーベースの食料自給率なんかを算出しているのは日本だけだ、などなどの意見がその後、食糧問題の言説の主流になったと言える。その流れを、先の本が作ったと言えるだろう。 では、世界一の農業大国であるアメリカのGDPは、どのくらいだろう。1754億ドルと、日本(593億ドル)の3倍(米国の農林水産業概況、農林水産省、2021年度更新)。さすが巨大。しかしアメリカのGDP全体(214,332億ドル)で占める農業の割合は0.82%。日本の
昔から不思議に思っていたことがある。「山には誰も肥料をまかないのに、なぜあんなに青々と木々が生い茂るんだろう?」山はむしろ雨にさらされ、上から下へと養分を抜き去られるばかり。それが百年も千年も続けば、山は肥料分を失い、いつか植物が育たない場所になるはずなのでは。 特に、リンはどうしようもないはず。窒素分は微生物が空気中の窒素ガスからアンモニアを作る窒素固定というのがあるからなんとかなる。カリウムは、海水の水しぶきが風に流され、雨に含まれて降ってくることもある。他のミネラルは岩石に含まれる。けれどリンだけはどうしようもない。 山にリンを運ぶものがいるはず。可能性が高いのは、鳥、魚、虫。海辺で魚を食べた鳥は、山の木々に止まってフンをする。サケやアユなどの魚は川をさかのぼり、クマやキツネに食べられ、それらの動物が山で歩き回りながらフンをする。そのフンを食べた虫がまたそこらじゅうでフンをする。 こ
ツイッターやフェイスブックのおかげで「言語化お化け」に出会うことができるようになった。言語化お化けとは、みんな分かっているようでわかっていなくて、言葉にしようと思うと意外と難しい、ついつい世間で語られているような表現しかできないことを、見事に言語化する人のこと。何人も出会う。 そうした言語化お化けを観察していると、興味深いことに気がつく。 言葉を後回しにしていること。 こういうと、言語化お化けと呼んでいることと矛盾するようだが、実際、言葉を操ることをどちらかというと軽視している。言葉にこだわるのは、なんならバカバカしいとさえ考えている様子。 大切にしているのは自分の身体感覚。いま、確かに感じているこの感覚を、他の人に伝えるのはどの言葉を選べばいいのだろう?と、感じていることを何よりも優先し、言葉は必ず後回し。そして言葉は、感じていることの輪郭しかなぞることができない、力不足なものだというこ
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