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権力に囲い込まれた大学の研究崩壊 大学が崩壊している。 その始まりは10年前、すべての国立大学が一斉に独立法人になってからだ。それまでのような国立の大学ではなくなり、経営陣を大学外部から招き、国の予算を効率的に使うことや、大学自身で金を稼ぐことが求められることになった。もっとも昨今は私立大学でも国からの交付金がなければなり立たないから、私立大学でも事情は変わらない。 この「改革」は多すぎるといわれていた公務員の数を「見かけ上」減らすことには役立った。そして国立大学を運営する予算である運営交付金も年々減らされ、10年間で13%も減額された。自分で金を稼ぐこと、つまり外部資金を導入することが大学にとって不可欠になってきているのである。 他方、国からの予算を少しでも多く獲得するために文部科学省から天下りの官僚を国立大学に迎えることも一般的になっている。大学の経営にあたる理事に天下り官僚が入ってい
島村英紀が撮ったシリーズ 「不器量な乗り物たち」その2:極地編(+番外編) 「不器量な乗り物たち」その1:生活圏編はこちらへ 「不器量な乗り物たち」その3:深海編はこちらへ 「不器量な乗り物たち」その4:日本編はこちらへ 「不器量な乗り物たち」その5:鉄道・路面電車編はこちらへ 「不器量な乗り物たち」その6:戦前・戦中編はこちらへ 「不器量な乗り物たち」その7:その他編はこちらへ 「不器量な乗り物たち」その8:その他編の2はこちらへ 1-1:日本の歴史的な雪上車「KD60型」 南極の昭和基地での日本の南極観測は1957年に始まった。以後、一度だけ中断したことがあるが、現在まで続いている。 南極観測になくてはならないものが、雪上車だ。硬軟さまざまな雪や氷の上を踏破するための特殊な乗り物だ。 写真は国立極地研究所の1階展示ホール(南極の動物の剥製や南極隕石など、さまざまなものが展示してある。土
理化学研究所(理研)のSTAP細胞の問題がメディアをにぎわしている。「リケジョ」と持ち上げられた小保方晴子博士が一転、袋叩きに遭っていて、彼女だけを悪者にして、理研がせいぜい「監督不十分」だったという結末で逃げ切ろうという動向が目立つ。 しかし、科学者としてこの問題を見ている私には、本当に問題なのは日本最大の科学研究所・理研という組織のありかたや、日本の科学者全体が置かれている現状であるように見える。 研究には研究費が必要である。日本の科学は一時よりは研究費が潤沢になった。その研究費は20年前には西欧各国に比べてずっと見劣りしていた。だが、近年では「重点的」な分野では、少なくとも西欧なみ、あるいはそれ以上の研究費が出るようになっている。 しかし、ここには二つの問題がある。ひとつは「重点的」な分野を科学者ではない政府や官僚が選んでいることだ。そしてもうひとつの問題は、それら重点的な分野の多く
夕方、札幌駅の西口を出たばかりのところで、ふと見上げると、大学のネオンがあった。私が札幌で暮らしていた2004年までにはなかったものだ。 いや、ネオンと言ってはいけないかも知れない。しかし、緑、青、赤、白の鮮やかな光のサインは、どう見てもネオンの仲間である。いまや、大学は宣伝をしないと学生を集められない時代になった。全国あちこちの駅前の巨大な広告はサラ金やビール会社に占拠されてしまったが、そのうち、大学も負けず劣らず派手な広告を出す時代が近づいているのにちがいない。 こうなると、盛り場でチラシを配ったり、若者の袖を引くまでは、紙一重なのかもしれない。 以前、この「今月の写真」で「大学の生き残り」について書いたことがある。少子化で「過当競争」にさらされている大学がラベンダー畑を作って「客」集めを図っていることだった。札幌市のはずれにある東海大学である。 私が学生だった1960年代のはじめは、
留萌市民文化誌『波灯』(第16号、2003年5月20日発行。連載その7) 世界でいちばん雨の多い国 1:■年平均気温 「年平均気温」という指標がある。一年のうちには寒い日も暑い日もあるが、その一年分を平均した温度のことだ。 東京の年平均気温は15.6℃、札幌は8.2℃だ。札幌の方が7℃ほど低いことになる。同じ季節のなかでも暑い日と寒い日の違いは7℃とか、もっとあるのが普通だから、東京と札幌とがたった7℃しか違わない、というのは意外に思われるかもしれない。しかし、年平均気温が7℃も違うというのは、じつは大変なことなのだ。 いま心配されている地球温暖化でも、温度から言えば地球の平均気温が2、3℃上がることが心配されているだけなのだ。たった2℃か3℃。人間がようやく気がつくほどの、この程度の温度差でも、氷河や南極の氷が融けて海の水が増え、海面が東京やニューヨークや上海など、世界の多くの大都市を水
原子力規制委員会(以下、規制委員会)が2012年9月に発足した。その後現在までに、規制委員会の専門家調査団は各地の原発(原子力発電所)敷地内の活断層調査を行っている。 福井県の敦賀原発は直下に活断層があると判断し、再稼働を認められないとの見解を示した。また青森県の東通原発の敷地内にも活断層がある可能性が高いとの報告書案を示した。福井県の大飯原発も調査を行い、調査団の意見は割れたものの、活断層だと判断する委員もいることが報じられている。この調査団は地球科学者から構成されていて、規制委員会の地震学者の委員一人と、おもに変動地形学を専攻する学者たちである。 当初は規制委員会が原発推進派の人事で固められたという批判があって、手続き上、本来は必要な国会の同意も得られないまま発足した。しかし、民主党から自民党に政権が変わったあとは、規制委員会の行方をもっと危惧している向きも多い。 それだけに「脱原発」
島村英紀『長周新聞』2012年1月1日号。6面{2400字}と2012年1月9日号。4面{2000字} 2011年3月の東京電力・福島第一原発の原発震災以来、原子力ムラ(近頃は原子力マフィアと言う)の御用学者たちがあぶり出されている。 当初はNHKをはじめテレビや大新聞などのメディアでこれら御用学者たちが出演して、大した事態ではないと解説し、地元の人々の避難を遅らせて大量の被曝をさせたのだが、その後、それまでの「原発の安全神話」を作り上げてきたのも、これら御用学者たちだったことが明らかになってきている。 しかし、じつは御用学者たちは、原子力ムラだけにいるのではない。1950年代から熊本県の水俣で、そして後に新潟県の阿賀野川流域でも多大な人体被害を生じた水俣病のときも、工場が廃水として流した有機水銀が原因であったことを熊本大学医学部の研究者たちが早くから指摘していた。 だが当時の政府や国策企
島村英紀が撮ったシリーズ 「不器量な乗り物たち」その4:日本編 「不器量な乗り物たち」その1:生活圏編はこちらへ 「不器量な乗り物たち」その2:極地編はこちらへ 「不器量な乗り物たち」その3:深海編はこちらへ 「不器量な乗り物たち」その5:鉄道・路面電車編はこちらへ 「不器量な乗り物たち」その6:戦前・戦中編はこちらへ 「不器量な乗り物たち」その7:その他編はこちらへ 「不器量な乗り物たち」その8:その他編の2はこちらへ 1-1:敗戦国日本の「庶民のための車」その1・フジキャビン5A型 (1955年) 第二次世界大戦の敗戦国として焦土から立ち上がった日本とドイツは、1950年代には経済成長を遂げ、戦争の傷跡も消えかけていた。 ファミリーカーは、当時の人々にとって、とうてい手の届かないものだった。このため、メーカーとしては、少しでも安く、少しでも簡素に作った質素な車を一生懸命作り上げた。これ
島村英紀が撮ったシリーズ 「不器量な乗り物たち」その1:生活圏編 「不器量な乗り物たち」その2:極地編はこちらへ 「不器量な乗り物たち」その3:深海編はこちらへ 「不器量な乗り物たち」その4:日本編はこちらへ 「不器量な乗り物たち」その5:鉄道・路面電車編はこちらへ 「不器量な乗り物たち」その6:戦前・戦中編はこちらへ 「不器量な乗り物たち」その7:その他編はこちらへ 「不器量な乗り物たち」その8:その他編の2はこちらへ 1-1:ハンガリーの「世界でも、もっとも貧しい」自動車 1980年、ハンガリーのブダペストで。なんとしても自動車になりたかったオートバイ。 キャンバス地(麻布)でボンネットやリアフェンダーを作っている。中には金属の骨が入っているのだろう。まるで傘のような仕掛けだ。 屋根とドアも、もちろん布製である。 見られるように、後輪は1輪だけの3輪車である。二人乗り。床はないし、中は
1-1:1963年4月。東京・千代田区大手町。当時の気象庁屋上から東を撮った新設工事中の首都高速道路(神田橋インター付近) 当時、気象庁は現在の竹橋会館(現在の気象庁から道を渡った北西側。公務員共済組合連合会, 別名KKR東京)のある場所に本拠があり、この写真下方に写っている敷地にも、平屋や2階建ての、いくつかの建物があった。 こちらの敷地に現在の本拠である8階建ての気象庁の新築が始まっていた。 工事中の首都高速道路の後方には、池袋から水道橋を通って数寄屋橋に行っていた17番の都電が見える。元の写真では、高速道路の橋梁に川崎重工と書いてあるのが読みとれる。 (撮影機材はNikon S。レンズはNikkor 35mmf2.5。フィルムはフジ・ネオパンSS) 1-2:2004年3月の同じ地点での写真。 首都高速道路は、毎日慢性的に渋滞が続いている。上の写真に見える都電は、とっくの昔に撤去されて
島村英紀 『長周新聞』 2012年1月9日(月曜)。4面。「人はなぜ御用学者になるのか」(下) 社会は「危険な科学」を規制できるのか この文章の(他のウェブページへの)リンク付き)テキストファイルはこちらへ 島村英紀『長周新聞』2018年1月1日号「研究費打ち切りの恐怖」 島村英紀『長周新聞』2017年1月1日号 「”神の手”に踏み込んだ現代科学」 理研・STAP・小保方問題を島村英紀が書いたらこうなります (島村英紀『長周新聞』2014年4月9日号) 島村英紀『長周新聞』2015年12月23日号 「科学者にとっての軍事研究」 島村英紀『長周新聞』2015年1月1日号 「権力に囲い込まれた大学の研究崩壊」 島村英紀『長周新聞』2014年1月1日号「科学を左右しはじめた世界的な大企業」へ 島村英紀『長周新聞』2013年1月1日号 「イタリアの地震予知裁判---他人事ではない日本の体質」へ 島
島村英紀『長周新聞』 2012年1月1日(日曜)。6面。「人はなぜ御用学者になるのか」(上) この文章の(他のウェブページへの)リンク付き)テキストファイルはこちらへ(「追記」もあります) 「人はなぜ御用学者になるのか」(下)はこちらへ 同じ長周新聞2013年正月の島村英紀の論説「イタリアの地震予知裁判――他人事ではない日本の体質」 島村英紀『長周新聞』2018年1月1日号「研究費打ち切りの恐怖」 島村英紀『長周新聞』2017年1月1日号 「”神の手”に踏み込んだ現代科学」 島村英紀『長周新聞』2014年1月1日号「科学を左右しはじめた世界的な大企業」へ 島村英紀は科学者と社会について、こんな指摘をしていました。 このエッセイを評価して、敷衍してくださったブログがありました。 【追記:上記長周新聞のあと、こんな記事が出ました】 原発推進:11大学に104億円 国と企業が提供 東京大や京都大
留萌市民文化誌『波灯』(第23号、2010年6月発行。連載その11) 12-44頁。{400字約100枚}、なお、ここには雑誌には長すぎて省いた分も掲載してある。 地震学者が大地震に遭ったとき---関東大震災から二ヶ月間の今村明恒の日記・注釈付きの現代語訳 1:■解説:島村英紀 今村明恒(東京帝大の助教授。一八七〇~一九四八)は当時としては珍しく、地震予知に情熱を燃やした地震学者だった。 今村は関東地震(一九二三(大正一二)年九月一日)や東南海地震(一九四四(昭和一九)年)がいずれ襲って来ることを予想して為政者や人々に防災の準備を説いた。また地震予知の基礎になる観測網を展開することにも熱心だった。そのために私財も投げうった。 しかし、やがて大地震が来て東京は大火災に見舞われるという彼の警告は、彼の本意をよそに新聞のセンセーショナルな扱いのせいで世間を騒然とさせた。同時に「世を騒がせる浮説だ
先日、菅首相が浜岡原発を停止する決定を発表した。 その決定の根拠は、政府の地震調査委員会が発表している将来の地震確率が30年以内に87%と高いことだという。そして、他の原発は止めないし建設中のものの工事も続けることが政府から引き続いて発表された。 地震学者である私から見ると、これは決定の責任を地震学に負わせた責任逃れにしか見えない。私がかねてから主張しているように、地震学は「地震予知」にも「将来の地震確率」にも「活断層調査」にも解決には遠い問題があるレベルでしかないのである。 今回の東北地方太平洋沖地震で、またも地震予知のむつかしさが明らかになった。もっとも地震予知がしやすいはずの海溝型地震で、しかもあんな巨大地震でも、どんな前兆も観測できなかったのである。 世界でも唯一の地震立法、大規模地震対策特別措置法(大震法)は1978年に施行された。この法律の前提として政府が東海地震の予知をするこ
【2011年3月21日に追記1。東日本を襲った巨大地震(東日本大震災。東北地方太平洋沖地震)で】 この本の後書きに書いてあるように、阪神淡路大震災が起き、その後に引きつづいて福井県にあるプルトニウム高速増殖炉の原型炉「もんじゅ」で大量のナトリウム漏れが起きたときに、私は何人もの欧州人に同じことを言われたことがある。 天災が少なく、責任観念が発達している欧州人にとっては、政府や動燃事業団がとった対策を静観しているだけの日本人の対応はかなり奇妙に見えた。かつて欧州でも同様の事故が起きたのをきっかけに廃炉にした国が続出したからである。日本人は、すべての事故を天災のように避けられないものと考えているのではないか、というのが私が知っている欧州人の反応だった。 そして、今回の大震災でも、その日本人の習性を利用すべく、大震災に引きつづいての福島原子力発電所の原発震災についても、「想定外の大きさの地震と津
地震予知の語り部・今村明恒の悲劇 (『武蔵野学院大学日本総合研究所研究紀要』 第7輯。2010年3月発行の原稿) 1:前書き 東大助教授で地震学者だった今村明恒(いまむらあきつね、1870-1948)(右下の写真。その下は今村が作った「今村式三成分簡単地動計(いまでいう地震計のこと)」。『科学知識・震災号』、科学知識普及会、1923年から)は当時としては珍しく、地震予知に情熱を燃やした学者だった。当時の学界では、地震予知は星占いのようなあてにならないものと考えられていた(【追記:註】)。 今村は関東地震(1923年)や東南海地震(1944年、マグニチュード7.9)がいずれ襲って来ることを予想して、為政者や人々に防災の準備を説いた。また地震予知の基礎になる観測網を展開することにも熱心だった。そのために私財も投げうった。 しかし、いずれ大地震が来るという彼の警告には「世を騒がせるだけだ」という
(いわゆる写真ではありませんが):画像つきエッセイ「島村英紀の原稿用紙学」 (いわゆる写真ではありませんが):画像つきエッセイ「島村英紀の大正期出版センセーショナリズム学」 (いわゆる写真ではありませんが):画像つきエッセイ「島村英紀の大正期出版広告”学”。その2。関東大震災直後の出版広告に見る企業の姿勢」 (いわゆる写真ではありませんが):画像つきエッセイ島村英紀の「外から見た日本」 島村英紀が撮った「今月の写真」一覧 最新の「今月の写真」へ 観光でなければ生きられない人々は必死なのです バスよりも鉄道がいいのでしょうか 「大学の生き残り」について・その4「大学の理念はどこに行ってしまったのでしょう」 モノを集めたがるのは人類の本能かもしれません 大学の正門の前に、不思議な群衆がいました 除雪スコップがこれほど「専門化」するのは、さすが北国です たまには夜空の星を見るのもいいものです 日
島村英紀が撮った北極圏の島・スピッツベルゲンの写真 1 : 世界最北の町ロングイアービエンを基地にしての海底地震観測・その1 私たちはスピッツベルゲン島を基地にして、2回、海底地震観測を行ったことがある。1回は1998年夏、もう1回は2002年の夏だった。 2002年の海底地震観測では、ノルウェー・ベルゲン大学の観測船『ホーコンモスビー』(497トン)と北海道大学から運んだ海底地震計を使って、海底地震観測を行った。 海底地震計は、ノルウェーの北方沖の北極海にある北緯78度のスピッツベルゲン島で準備して、そこから船に乗せて出港した。 このときの観測の目的は、二つの海域の地下構造の研究で、一つは、グリーンランドから南東方向に大西洋中央海嶺に向かって海底を這っている謎の海嶺、グリーンランド海嶺がいったい大陸起源なのか、海洋起源なのかを研究するためであった。 私たちは以前から大西洋が約6000万年
島村英紀の「原稿用紙学」 いまや、原稿用紙の存在は風前の灯火かもしれません。原稿を依頼されるときにも、原稿用紙を送ってくることは、かなり珍しくなりました。ある大手出版社の編集者は、もう、使わなくなって10年以上になる、といいます。しかし、一昔前は、それぞれが、さまざまな工夫を凝らした原稿用紙を競っていたのです。 1-1:私が最初に使った原稿用紙、1960年代はじめの東大新聞社の原稿用紙、ペラ。 私が東京大学入学後、すぐに「入社」した東大新聞社(財団法人で、記者は「社員」だった)で、使っていた原稿用紙。 20字10行、1枚200字、通称「ペラ」といった。大きさはB5判。かなり上質の紙で、印刷は濃い緑だ。 なんの変哲もない、文房具屋でよく売っているコクヨの原稿用紙のような、ありきたりの原稿用紙である。まわりの余白は、原稿を推敲したり修正するためのスペースで、これはコクヨよりも広い。 1-2:さ
岩波『科学』2003年9月号に掲載 地震予知計画の(意図せざる結果としての)欺瞞 (雑誌での原題は「大震法の制定過程とその問題点) イントロ 大規模地震対策特別措置法が作られてから四半世紀がたった。ここでは、地震学という一つの科学が、法律を作るのをどのように後押しし、どのように法律の恩恵と庇護を受け、そしていまはどうなったか、ということを、科学の面から検証してみよう。 1978年に成立した大規模地震対策特別措置法(以下大震法と略す)は、世界でも類を見ない、地震を対象とする法律であった。この法律は地震予知が可能なことを前提にして、被害を少なくするために、社会や人々の生活を規制する法律である。 この法律にもとづいて警戒宣言が発せられたときには、ほとんど戒厳令のような、さまざまな規制が行われることになっている。たとえば新幹線は停止し、高速道路は閉鎖される。また、銀行や郵便局も閉鎖される。スーパー
ENGLISH TRANSLATION (先年までは「英紀」がEnglish Periodになったりして、本人も仰天していたのですが、まだ滑稽ながら、機械翻訳も少しずつは進歩しているようです) 最終更新日 : 2024年4月28日 島村英紀 (しまむら ひでき) 地球物理学者。日本文藝家協会(日本文芸家協会)会員(日本文藝家協会とは) よくいらっしゃいました。あなたは1999年9月の開設以来 人目のお客様です。 ことしは開設以来23年目になります。 ●メインのページはこちら(*)ですが、そのほかに、 ● ミラーサイト1(携帯サイトへの自動変換が可能)とミラーサイト2(*)の二つのミラーサイトの運用をしています。背景のシボシボがない方がいい方は前者のホームページをご覧ください。 それぞれのサイトは技術的な理由から、更新が遅れることがあります。 なお、(*)のサイトでは、ホームページにあるpd
島村英紀の著書の一覧 35:『多発する人造地震―人間が引き起こす地震』本の奥付は2019年5月25日。花伝社 171頁。A5判。ISBN-10: 4763408879 ISBN-13: 978-4763408877 1500円+税。 (これは本の表紙です。この絵をクリックすると表紙が拡大されます) (これは帯つきの本の表紙です。この絵をクリックすると表紙が拡大されます) この本の前書きと目次と新聞に出た紹介と読者からの反響 2019年2月下旬に話があり、書き始めました。 『長周新聞』 2019年5月27日 『多発する人造地震 人間が引き起こす地震』 著・島村英紀 (その記事は) 『夕刊フジ』 2019年5月28日【編集局から】宮崎、千葉で相次ぐ地震… 「人間の作り出す地震」を科学的見地から紐解く 『北海道新聞』 「人造地震 研究の遅れ示す」 2019年7月3日夕刊4面 (その記事は) イ
35:『多発する人造地震―人間が引き起こす地震』花伝社 171頁。A5判。ISBN-10: 4763408879 ISBN-13: 978-4763408877 1500円+税。 (これは本の表紙です。この絵をクリックすると表紙が拡大されます) (これは帯つきの本の表紙です。この絵をクリックすると表紙が拡大されます) この本の前書きと目次と読者からの反響(工事中) 2019年2月下旬に話があり、書き始めました。 出版前に、期待が出ました。 出版前に、別の期待が出ました。 追記6:東電福島原発の事故でこれから怖れなければならないのは誘発地震? DAISYの河村宏さんのtwitter(2011年8月8日)によれば、「メルトスルーした核燃料は地下で水蒸気爆発や誘発地震を起こす可能性を否定できない。大量の水等による原発地下の岩盤への影響も懸念事項」。 【 追記1~10は、この頁のいちばん下にありま
執行猶予期間は2011年1月に終わっています 控訴断念について島村英紀からのご挨拶(裁判通信・その23。付:執行猶予とは) 島村英紀の言い分(裁判で弁護側が述べた「最終弁論」。法曹界の文章にしては、論理的なのはもちろん、異例に分かりやすくて読みやすい文です) ノンフィクション・島村英紀の家宅捜索・逮捕・連行劇(裁判通信・その16」) ノンフィクション・島村英紀の札幌拘置所・獄中記(裁判通信・その17」) ノンフィクション・島村英紀『私はなぜ逮捕され、そこで何を見たか。』から。「取調室」と「取り調べ」。 ノンフィクション・島村英紀『私はなぜ逮捕され、そこで何を見たか。』から。「獄中のラジオ」(気の弱いNHK関係者の方は読まないでください) ノンフィクション・獄中での「読書記・書評・著者への思い」 ( この「逮捕連行劇」と「獄中記」は2007年10月、講談社文庫(『私はなぜ逮捕され、そこで何を
ENGLISH TRANSLATION (先年までは「英紀」がEnglish Periodになったりして、本人も仰天していたのですが、まだ滑稽ながら、機械翻訳も少しずつは進歩しているようです) 最終更新日 : 2024年2月28日 島村英紀 (しまむら ひでき) 地球物理学者。日本文藝家協会(日本文芸家協会)会員(日本文藝家協会とは) よくいらっしゃいました。あなたは1999年9月の開設以来 人目のお客様です。 ことしは開設以来23年目になります。 ●メインのページはこちら(*)ですが、そのほかに、 ● ミラーサイト1(携帯サイトへの自動変換が可能)とミラーサイト2(*)の二つのミラーサイトの運用をしています。背景のシボシボがない方がいい方は前者のホームページをご覧ください。 それぞれのサイトは技術的な理由から、更新が遅れることがあります。 なお、(*)のサイトでは、ホームページにあるpd
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