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アメリカ大統領選
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帝国の民族政策の基本は同化か?――一九九八年度大会「ロシア・ソ連の帝国的秩序」セッションの反省に寄せて 一九九八年度ロシア史研究会大会において「ロシア・ソ連の帝国的秩序」というセッションがもたれ、私は竹中浩、西山克典とともに報告者に指名された。報告自体は別に発表予定だが(報告そのものはA、関連する拙稿として@B)、ここでは、このセッションにおける議論がやや生煮えに終わったのではないかという観点から、議論の前提に関わるような事柄について、若干の反省を試みたい。この小論は、そうした意図から書かれたので、実証的歴史研究そのものではなく、一種の問題提起的エッセイだということを予めお断わりしておきたい。ロシア・ソ連史から離れた抽象論や、ロシア・ソ連史の中でも私自身が直接研究していないような事柄に触れるので、「研究」と称し得るような精度をもったものではない。そのような文章を『ロシア史研究』誌に掲載して
著者、小熊英二は、これまでにも一連の力作((『単一民族神話の起源』、『〈日本人〉の境界』、『〈民主〉と〈愛国〉』)など)で、その力量を遺憾なく発揮しており、私の注目を引いていた。私はややもすると他人の著作を読んでその欠点に目が向いてしまうという、教育者にあるまじき困った性格の持ち主なのだが、彼の仕事に関しては、多少の部分的批判がないわけではないにしても、概して非常に高く評価してきた(1)。その彼が、一九六八年前後の日本の若者たちの叛乱を主題とする本を書いた。これはちょっとした事件である。ちょうどあれから四〇年を経たということもあり、刊行の時点で、世間全般でもこの主題への関心が高まりつつあった。あの時代に若かった世代の人間にとってと、当時のことを直接知らない今日の若い世代とでは、関心の持ち方も大きく異なるだろうが、とにかく四〇年前の出来事を振り返り、なにがしかのことを考えてみたいという欲求は
どういうわけかアーレントとは相性が悪い。大分前から気にはなっており、ときおりいくつかの作品や解説類を読んだりしてきたが、なかなか腹にストンと落ちたという感じになれないままに、今日に至っている(1)。 一つの不幸な事情は、私が最初に読んだ彼女の作品が『全体主義の起源』であり、この著作は、他の点ではともあれソ連論としては全く評価できないという点にあったのだろうと思う。歴史家ではなく、ましてソ連専門家でもないアーレントにそれを求めること自体が無理なのだが、この本のうちのスターリン体制に関わる個所は、素人芸としか言いようがない。それでいながら、「全体主義論の名著」とされ、スターリン体制についても明快な解明を与えた作品だという評価が広まっていることが、私を苛立たせずにはいなかった。 もう一つ付け加えるなら、ここで取り上げる『イェルサレムのアイヒマン』とも関わるのだが、彼女の思想の中で独自の位置を占め
このあまりにも有名な著作を、私は若い時期には読まなかった。もちろん、その存在は早い時期から知っていたが、当時は既に本書に対する諸種の批判が出ており、それを耳学問で聞きかじった私は、読むまでもなく分かっているし、その限界も露わだという先入観をいだいてしまったのである。にもかかわらず、「あれほど長い期間批判され続けつつ、それでも一種の古典としての地位を占めているのは何かあるのかもしれない」という気のすることも時折あった。そんなわけで、私の中で文化人類学への関心が高まったときに、とりあえず一応読んでみようという気を起こしたわけである。 先ず何よりも強い印象を受けたのは、第一章で述べられている方法論が私の先入観とは相当違うものだったという点である。本書を読む前にいだいていた先入観をいうと、西欧にとっての異文化としての日本文化への内在的理解を欠き、日本文化と西欧文化を「恥の文化」と「罪の文化」という
アメリカの社会科学にはあまり通じていない私だが、その中における亡命者の役割や、ある時期に社会主義・マルクス主義の洗礼を浴びたことのある人の位置といった問題については、かなりの関心をいだいてきた。 そうしたテーマについて書かれた文献も相当の数にのぼるが、その一つに、コーザーの『亡命知識人とアメリカ』がある(1)。一九三三年のナチ・ドイツ政権成立から第二次世界大戦終了までの時期に、主にドイツ・オーストリアからアメリカに移住した知識人たち(著者自身もその一人)の群像を描いたものである。これを読むと、実に綺羅星のごとくに、各界著名人が並んでいることに強く印象づけられる。クルト・レヴィン、ヴィルヘルム・ライヒ、エーリヒ・フロムといった心理学者・精神分析学者に始まり、フランクフルト学派、アルフレッド・シュッツ、カール・ウィトフォーゲルなどの社会学者・社会思想家、ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス、アレクサ
エドワード・ハレット・カーはいうまでもなく二〇世紀イギリスを代表する歴史家・国際政治学者であり、日本でも広く知られ、影響力の大きい人である。しかし、その活躍範囲があまりにも広かったために、その全体像をつかむのは容易ではない。初期の外交官時代はさておくとしても、研究者としての主な対象領域は、一九世紀ロシア思想史研究に始まり、国際政治学・国際関係論、ソ連史研究、歴史学方法論などに及び、著作の数もきわめて多い(そのかなりの部分が日本語に訳されている)。彼の文章は一見したところ明快だが、その背後に意外に複雑な含意を込めている場合も少なくない。また学者として書いた文章とジャーナリスティックな評論との性格の違いとか、それぞれの時点での現実政治状況に見合った論争性――それは当然、時期によってかなりの揺れがある――といった問題もあり、そうした点を踏まえてカーの作品を読み解くのはそう簡単な作業ではない。 こ
文学作品を政治論や歴史論の素材として利用してしまうのは社会科学者の悪い癖である。私は、日頃それほどたくさんの文学作品を読んでいるわけではないが、たまに読むときは、できるだけ専門の仕事を離れて読むようにしており、また読んでいるうちにいつのまにか自分の仕事とのつながりが出てくると、「文学作品の読み方としては邪道に陥らないか」という警戒心を働かすように心がけている。にもかかわらず、いつのまにか作品に触発されて、政治と人間のかかわりとか、歴史における人間とかいった問題について考えてしまうのは、業のようなものだろうか。 ただ、そのような場合にも、文学と社会科学の位相の違いということは常に念頭においているつもりである。既成の政治論を確認し、それを例解する実例として文学をとりあげるというのではなく、むしろ政治についての常識的理解を問い直すきっかけにするという姿勢を保ちたいというのが私の考えである。これは
なお、東京大学法学部の内部規律として、教授昇任12年を区切りとして「研究結果報告書」というものを提出することになっており、私の場合、2004年夏にそれを提出した(『東京大学法学部研究・教育年報』第18号(2003・2004)、2005年刊に収録。ここにリンク)。 (2001.10.18更新)(2002.6.21更新)(2002.10.15更新)(2002.10.23更新) (2003.7.23更新)(2003.8.29更新) (2004.1.13更新) (2004.5.14更新) (2004.7.8更新) (2004.7.30更新) (2004.9.30更新) (2005.1.25更新) (2005.2.1更新) (2005.3.17更新) (2005.6.9更新) (2005.11.11更新) (2006.12.5更新)(2007.3.27更新) (2007.4.23更新) (2007.
恥ずかしい話だが、私は近代日本史について――ましてそれ以前の時代についてはなおさら――あまりまともに勉強したことがない。関心がないわけではなく、むしろ非常に大事なテーマだと感じてはいるが(1)、何分にもあまりにも研究史が厚いので、恐れをなして、敬して遠ざけてきたというのが実情である。たまに、いくつかの関連書を読んで啓発されることがないわけではないが(2)、これまでのところ、それは至って断片的・非系統的なものにとどまっている。 そういう中で、ともかくも多少は近代日本史について基礎知識を得ておこうと考えて、非専門家にも読みやすそうに見える本書をひもといてみた次第である。近代日本史についてきちんと勉強したことのない私は、著者である三谷博についても、名前だけはずいぶん前から知っていたが、著作を読んだことはこれまでほとんどなかった。近年では、いわゆる歴史教科書問題に関連して活発に社会的発言をしている
私は5、6年ほど前から多言語社会研究会のメンバーになってはいるが、あまり真面目な会員ではなく、どことなく「余所者」意識が抜けない。そのような者が大会の場で「講演」なるものを行なってよいのだろうかというおそれのようなものを感じる。しかし、せっかく大会企画者によって機会を与えられたので、いわば「風変わりな会員」による「異端の問題提起」のようなものをさせていただき、ご批判を受けて、対話と討論のきっかけとすることができればと期待している。 そこで先ず、どういう意味で「風変わり」で「異端」の会員なのかということを説明しなくてはならない。第1は単純なことで、私は若い頃からずっと言語学に憧れていたが、それは漠然たる憧れにとどまり、実際には言語学も社会言語学も本格的に学んだことはない。また語学の才能に乏しく、多数の言語をマスターしているわけではない。多数の言語を操ることのできない者が「多言語社会」について
本書の著者、大澤真幸について、私はこれまで名前は一応知っており、多少気になってはいたものの、作品を読んだことはほとんどなかった。専門が違うとか、分厚い大著が多いということも理由の一つではあるが、それが全てではない(異なる専門分野の大著を読むためには時間的・精神的なゆとりが必要で、そう簡単にいつもできることではないが、できる限りそうしたことにも挑みたいという風に、私は常日頃念じている)。 私はある時期、社会学に惹かれたことがあり、本格的に学んだとはいえないものの、自己流にある程度かじってみたこともある。一口に社会学といっても、壮大な社会理論を構築するタイプのもの(ウェーバー、パーソンズ、富永健一、見田宗介=真木悠介等々)と、具体的事例に即した実証的社会調査に力点をおくものとがあるが、私はある時期まで前者に惹かれ、それから後者の重要性を感じるようになり(これは歴史学について、壮大な歴史理論より
「サイエンス・ウォーズ」とは、科学者と「科学論者」――「科学論」という耳慣れない言葉については後述――の間で、主にアメリカで一九九〇年代半ばに戦わされた激しい論争(その余波はその後にまで及び、また日本の一部にも波及してきているようだ)を指すらしい。私はごく最近までこの「戦争」について何も知らなかったし、「科学論」という分野についても比較的浅い関心と知識しかもっていない。にもかかわらず、そしてまた、「世間をいま現在賑わしている流行の話題には、どちらかというと距離をおき、あまり迂闊に乗らないようにする」という日頃の性向にもかかわらず、一部で「話題の書」となっているらしい本書を刊行後まもない時期に読んだのは、いくつかの理由がある。 第一。ここでいう「科学」とは基本的に自然科学のことであり、自然科学と人文・社会系の学問の間には種々の相違があるが、それでもなおかつ、広い意味での学問としてのある種の共
「スターリン批判と日本」というテーマがどの程度の人の関心を引くかは、にわかには何ともいえない。スターリン批判半世紀という記念の年(二〇〇六年)にほとんど行事らしいものがなかったことからすると(1)、一般の関心は高くないというのが現実かもしれない。 社会主義が過去のものとなった以上、その歴史の一こまに過ぎないスターリン批判(一九五六年)についても、今頃ほじくり返してもあまり意味がないという感覚が一般なのかもしれない。確かに、長い時間が経過し、その間にソ連・東欧の社会主義圏の解体という事態を挟んでいる以上、現状と直結する形での「総括」やら「教訓化」やらは時代錯誤になりかねない。スターリン批判をバネにして社会主義論の再検討や新しい左翼運動の形成を目指すという考えは、一九六〇‐七〇年代にはかなりの広がりをもち、アクチュアルなものであるかに見えたが、今日の情勢にそれを直接持ち込もうとしても、空回りと
ある時期に多くの人々の情念を揺さぶった「熱い」出来事が、時間の経過とともに、距離をおいて振り返ることのできる対象となり、「冷静」かつ「客観的な」歴史研究の対象となるのは珍しいことではない。直後には沈黙していた当事者たちが自らの過去を淡々と語る心境になり、回想やオーラル・ヒストリーが素材として使えるようになるという事情も、それを促進するだろう。「忘却」という現象は、その対象が有意味性を失ったことの自然な結果とは限らず、むしろ「忘れてしまいたい」という半ば無意識的な抑圧の産物であることがよくあるが(1)、そのようにして「忘れられて」いた事柄が距離をおいて思い出されることは、ある種のカタルシス効果をもつかもしれない。 一九五〇年代後半から七〇年代前半くらいまでの時期に広い範囲の人々を捉えた「新左翼」運動――その二つのピークとして、六〇年安保と六〇年代末の大学闘争が挙げられる――が、最近になって回
丸山眞男への私の関心は、時期によってかなりの濃淡があり、ずいぶんと折れ曲がっている。最初の出会いは、高等学校に入って間もない頃、雑誌『中央公論』一九六四年一〇月号が「戦後日本を創った代表論文」という特集を組んでいたなかに「超国家主義の論理と心理」が再録されていたのを読んだ経験である。いまから思えばずいぶんと無茶な背伸びをしたものだが、ともかく、何か自分がひどく偉くなったような気がしたことをよく覚えている。なお、この特集には、丸山論文の他、坂口安吾、川島武宜、竹内好、桑原武夫、福田恆存、吉本隆明、梅棹忠夫、鶴見俊輔などの論文が収録されていた。高等学校に入ったばかりの私にそれらの意味がきちんと理解できたわけではもちろんないが、生まれてはじめて社会科学的文章に触れたということで、強い興奮を覚えた。これらの人の名前も、多くはそのときはじめて知ったものだが、その後長らく、私の脳裏に焼き付くことになっ
筆者は、最近のいくつかの小論で、「〈現存した社会主義〉の社会科学」という視角を提示してきた(1)。まだ思いつきの域を出ず、今後練り直していく必要を感じているが、ここでは、そのための準備作業の一つとして、〈現存した社会主義〉の政治学へ向けた試論を、全体主義論再考という文脈の中で提出してみたい。 近年における全体主義論リヴァイヴァルの徴候については、旧稿「社会主義と全体主義」(2)でも触れたが、この傾向はその後も続いている。それにはそれなりの背景があり、決して単純に無視することはできない。そこには、現状を踏まえたある種のリアリティーがあることは確かだからである。 しかし、同時に、リヴァイヴァル論者の議論には、現にソ連その他の社会主義が崩壊したという既成事実を「勝てば官軍」的にとらえ、「勝利」の勢いに乗って、はしゃぎすぎているところがあり、それをそのまま受け取るわけには行かない。このことは、たと
稲葉 本日は、私と立岩真也さんで共著で作らせていただいた、まあ共著といっても対談ですけど、いろいろ後で書き足したりしているので、喋り流した無責任なものではないと自負しておりますが、これの刊行記念というか、ちょっとポスト・スクリプト的に、まあこれを踏み台にしてこの次をやっていかなくてはいけないので、このような会をジュンク堂書店さんのほうで設けていただいて、ありがとうございます。そういうことですので、本日は二人だけで閉塞してお互いに誉めあうというのも醜いので、厳しいコメントをいただけるゲストの方を考えておりまして、本日おいでいただいたのが東京大学法学部教授、ロシア・ソ連史をご専門にされておられる塩川先生です。時間も余りありませんので、ご紹介はそれくらいで。 ファースト・スピーカーは塩川先生に我々の本を本でいただいたコメントをいただくのですけれども、まず、簡単になぜ私たちが塩川さんにコメントをい
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一九八九年一一月の「ベルリンの壁」崩壊、そして翌九〇年一〇月のドイツ統一という大事件をうけて、それまであまり東ドイツへの関心が高くなかった日本でも、消滅したこの国への関心が一時的に高まり、「東ドイツもの」(あるいはドイツ統一関連)ともいうべき本が、一九九〇年代を通して多数刊行された。 私自身は、旧社会主義圏の専門家ではあるが東ドイツの専門家ではないという中途半端な位置にあるため、大量に出た「東ドイツもの」にある程度関心を引かれ、いくつかを読みはしたが、片端から読破するというところにまでは至らなかった(1)。今回取り上げるこの本も、刊行直後に一応買ってはいたが、すぐは読まなかった。読まなかった理由はたくさんある。単純に、すべてを片端から読んでいたら、いくら時間があっても足りないということもあったし、一般に新刊書をすぐ読むことをあまり重視せず、「時期遅れでもまだ有意味と感じられる本をこそ読むべ
本書の著者、市野川容孝のことを私はこれまであまりよく知らず、作品を読んだこともほとんどなかった。それでも、漠然たる知識として、医療社会学という分野の研究者らしいということと、この分野は私自身は通じていないがなかなか面白い分野らしいという程度のことは意識していたので、ある程度気になる存在ではあった。 本書は医療社会学という特定分野の作品ではなく、それともある程度関連してはいるが、ずっと広いテーマを扱っている。体裁としてはソフトカバーの本で、制限枚数超過といっても二〇〇頁強程度の小著だが、そのわりに重厚な書物であり、力作である。もっとも、紙幅の限られた一冊の本にしてはやや欲張りすぎているのではないかという気もしないわけではない。取り上げられているテーマは、現代日本の政治・思想状況、西洋社会思想史、「社会」(あるいはむしろ形容詞としての「社会的」)という用語の概念史、「社会科学」の概念史、社会学
人が議論するのを聞いたり、誰かの書いた文章を読んだりする。そこには、おびただしい量の言葉が飛び交っている。その中には、意味のはっきり分かる言葉もあれば、そうでない言葉もある。よく分からない言葉について、「それはどういう意味ですか」と質問しようかと思う。ところが、そうする間のないうちに、話題は別の方向に転じていって、またまたよく分からない言葉が次々と流れていく。無理をして議論を遮り、質問をしようかとも思うが、そうすると、「話の腰を折って、つまらない奴だ」と思われるかもしれないし、何より「こんな言葉の意味を知らないとは、教養のない奴だ」「流行遅れな奴だ」と思われそうな気がする。こうして、意味の分からない言葉が問いただされることなしに、そのまま流通していく。 自分が発話する側にまわっても、似たようなことが起きる。自分が書いたり話したりする言葉の全てについて、その意味が明晰に分かっているとは限らな
数年前に本書が出て間もない時期に、はじめて本書を手にしたとき、「おわりに」にある次の文章が目に入った。 「この本を書く作業の大部分は単独行としてなされた。(中略)。約二年間、ほとんど何も読まなかったと思う」(四四三頁)。 「特に誰かのアイデアをもとにするのでない、手作業によって考察の多くの部分は進められた。書かれることは特に何かの『思想』に依拠していない。ひとまず必要がなかったからだ。それに何かを引合いに出せば、それとの異同を確かめる必要がある。そのためには相手の言っていることを知らなくてはならない。注釈が増えてしまうだろう。かえって面倒なことになる。そういう作業はきっと必要なのだろうし、それを行うことによってきっと私も得るものがあるのだろうとは思うが、相手から何かを受け取るためにも、まずは私が考えられることを詰めておこうと思った」(iv頁)。 それでいながら、すぐに本書を読んだわけではな
著者、和田春樹は日本を代表するロシア史研究者であり、その著作は明快な図式と文章表現とによって、広い影響力をもっている。また、私にとっては、長い期間にわたって多くを教えられ続けた師でもある。その師に対して、私はここ数年(いつからとはっきりは覚えていないが、おそらく一九九一年の前後から)、様々な機会に種々の批判を書いてきた(1)。読む人によっては、「しつこい」「どうしてここまでこだわるのか」という印象をもったかもしれない。そこで、和田批判ということの意味について、先ず断わっておかねばならない。 第一に、和田の影響力が大きく、それだけに無視しがたいものがあるということは先に記した通りである。また、個人的には、永らく教え続けられ、尊敬し続けてきた師との隔たりがとうとうここまで大きくなってしまったということに深い感慨をもつが故に、書かずにはおれないということもある。私には、溪内謙をはじめ、他にも幾人
この古典的な著作(原著は一九五七年、邦訳は一九六一年)のことを私がはじめて知ったのは、あまり記憶が定かではないが、おそらく一九六〇年代の後半、私が大学に入って間もない頃だったと思う。どういう文章を読んでポパーのことを知ったのかも覚えていないが、ともかく何かの解説を読んで、ある程度関心を引かれ、何となく分かったような気になり、しかし敢えて本そのものを読もうとは思わずに、うちすぎてしまった。 当時の私がこの本を読もうと思わなかったのは、反撥のせいではない。と書くと、事後的な自己正当化の気味を帯びてしまうかもしれない。かつて反撥して読まなかった本について、後になって、実は大事な著作なのだと気づき、過去の自分の不明を押し隠すために、「昔から、別に反撥していたわけではない。ただ何となく読む機会がなかっただけだ」と言訳する、というような心理作用はよくあることだ。私は、できるだけそうした自己正当化はすま
副題が示すように、世界の紛争地域へのアメリカ(およびその同盟国)の関与ないし介入が本書のテーマであり、古典的帝国と対比される「軽い」帝国という特徴づけが、著者の視角を物語っている。なお、本書が刊行された二〇〇三年初頭の時点で、イラク戦争そのものはまだ始まっていなかったが、戦争開始は既に必至とみなされており、そのためイラク問題も陰に陽に本書に影を落としている(イラク戦争そのものに著者がどのような態度をとったか――「リベラルなタカ派」としての武力行使支持――は訳者解説で述べられている)。 著者イグナティエフは、世界各地の紛争に関するルポルタージュ風の書物をこれまで三冊書いており、本書はそれらに続く「シリーズ第四作」ということになる。私は以前に、「第三作」たる『ヴァーチャル・ウォー』を中心としてそれ以前の作品にも触れた読書ノート(以下、「前稿」と記す)を書いたが、この「第四作」はそれらとかなりの
一九九九年にコソヴォ問題を名目として行なわれたNATO軍によるセルビア(ユーゴスラヴィア)空爆を主題とした書物である。この事件は、次々と新しい大事件の起きる今日では、ジャーナリスティックな注目から早くも去ろうとしている。だが、その後に起きた米軍によるアフガニスタン攻撃(二〇〇一年)や英米軍によるイラク戦争(二〇〇三年)――あるいはまた、今のところ現実化してはいないが、北朝鮮に対して軍事行動をとれという声も一部にはある――という、冷戦後の一連の「戦争」ないし軍事行動の中に位置づけるなら、今日につながる重要な意味をもつ事件といえる(1)。 著者マイケル・イグナティエフは多面的な人物であり、どういう人なのかを理解するのがなかなか難しい。とりあえず外面的な経歴をいえば、亡命ロシア人貴族――いわゆる「白系ロシア人(2)」――の血を引き、カナダで生まれ、アメリカで教育を受け、イギリスに移住した。ハーヴ
Will Kymlicka and Magda Opalski (eds.), Can Liberal Pluralism Be Exported?: Western Political Theory and Ethnic Relations in Eastern Europe. ウィル・キムリッカの名はロシア・東欧研究者の間ではあまり広くは知られていないが、政治理論・法哲学などの分野では世界的に著名なカナダの研究者である(1)。その理論の概要を敢えて乱暴にまとめるなら、基本的にリベラリズムの立場に立ちつつ、従来のリベラルが軽視しがちだった集団的アイデンティティの問題を正面から見据えることでリベラリズムを豊富化しようとするものといえるだろう(2)。種々の民族・エスニシティ論、共同体論、フェミニズムなどからの挑戦を限定的に吸収しつつ、リベラルな多文化主義論を構築するのが彼の課題である。この試
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