考える事や基礎の修練をいきなり放棄されるのは不幸だと思う。誰よりも教わった子が気の毒なんだよね。あわせてひとりで全部教えないといけない小学校の先生なんかもあわせて気の毒ではあるのだけど。 もっと学校で、テクニックを教えてくれればよかったのに 技術を教えてくれた先生:しっぽのブログ これらを拝見して。 浜口さんちのお父さんが "気合いだー!!" ってやってたけれど、あれは五輪に出場してメダリスト同士の戦いでの最後の一押しで、一番最初に精神論とか、自由にやってもいいよとかも、ある程度極めた上でやることで、いきなりそれは、やっぱり教育において教える側の責任を何も考えてない事の証左だと私も思う。 守破離ってやっぱりいい言葉だなと最近は思う。はじめは"守"でよくて、その基礎がないのであれば、本人は「型破り」とおもっていても「形無し」なだけなんだよね。だいたい基準として考える材料もなしに考えられないし