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本書の史実にはいろいろ誤りが指摘されているが、発想はおもしろい。明治維新の実態は、長州の狂信的なテロリストが尊王攘夷というカルト思想にもとづいて徳川幕府を倒した内戦だった。「明治維新」という言葉も同時代にはなく、「昭和維新」のテロリストたちが使い始めたものだ。 その教祖とされる吉田松陰が、松下村塾を開いて「明治の元勲」を教育したというのも神話である。1842年に松下村塾を開いたのは玉木文之進で、松蔭は1857年にその塾頭となったが、翌年投獄されたので塾は廃止された。だから彼が塾の指導者だったのは1年余りで、彼が直接教育した著名人は高杉晋作と久坂玄瑞ぐらいだが、久坂が松蔭を尊王思想の教祖にまつり上げたのだ。 「維新」や「攘夷」という言葉は松蔭のオリジナルではなく、水戸学の受け売りである。この始祖は「水戸黄門」として有名な徳川光圀だが、彼は地元では暴君として知られていた。日本の歴史をすべて天皇
ネット上でたびたびホットな論争となる、履歴書は手書きで書くべきか、パソコン作成が良いかという論争は、オフィスにパソコンが普及したころからある対立意見です。先日もホリエモン氏が「今どき手書き履歴書なんて!」と否定的発言をして、また盛り上がりました。これまで何万という採用の場面に関わり、採用する人事側、応募する側、いずれの立場も理解しているつもりですが、手書き履歴書の価値を検証することで、この論争の答も出せると思います。■手書きが評価される理由 ホリエモン氏のいうとおり、データでの取り扱いが容易なPC作成の履歴書は、IT企業やいろいろな意味で若い企業で重宝される傾向があるのは確かです。手書き履歴書でも、スキャンしてPDF化は可能ですが、ひと手間ふた手間めんどうが加わります。一方、手書きを評価する理由の多くは、「ていねいに書かれた履歴書は、それだけでていねいな人柄が感じられる」「仕事への取り組み
「大阪市を解体し、5つの特別区を設置する」ことをめぐり、5月17日に住民投票が予定されています。二期目の世田谷区長選挙を終えた私に対しても、この「大阪都構想・住民投票」をめぐり、関西のメディアからいくつか取材が重なりました。大阪都構想が、東京都と特別区の関係をモデルとしてつくられたと言われている以上は、都内最大の特別区である世田谷区を預かる立場から、特別区制度の置かれている現状について、しっかり伝えていく必要があると思っています。 関東にいると、大阪都構想の詳細な部分はあまり伝わってきません。大阪都構想には変遷があり、現在の焦点となっている住民投票は、冒頭に書いたように大阪府(880万人)の中で、大阪市(270万人)のみを対象として、「政令指定都市である大阪市から5つの特別区」に移行することを問うものです。東京の特別区(907万人)は、東京都(1335万人)の約7割をしめているのに対して、
公の場で権力を追及できる最後の砦となった日本外国特派員協会(FCCJ)。 FCCJでは「いま日本では報道の自由が脅かされている」として「報道の自由推進賞」を設けた。「世界報道の自由デー」にあたる5月3日に各賞の受賞者を発表した。 受賞者は官邸や日本のマスコミにとって不都合な人物と媒体ばかりだ。その一部を独断と偏見で紹介する。 『調査報道賞』 優れた調査報道を通じて報道の自由に貢献したジャーナリストや媒体に贈られる― ・月刊誌ファクタ JOC(日本オリンピック委員会)や原発など権力者のサンクチュアリー(聖域)に切り込む。SLAPPで威嚇されても怯まずに連載を続けた。 『報道功労賞』 報道の自由および言論の自由の促進に生涯を通じて貢献したジャーナリストに贈られる― ・ジョン・ミッチェル記者(ジャパンタイムズなどに投稿) 米軍沖縄基地における枯葉剤の存在はじめ基地問題を追及した。 『報道の自由の
安部首相の米議会での演説を受けて(なのかどうかはわかりませんが)、自民党の若手議員有志が、「歴史修正主義的な過剰なナショナリズムを排し、保守の王道を歩む」勉強会を始めたそうです。 これはまあ、どんな立場の人にとっても「良いニュース」と言っていいように思います。しかし、これがどの程度広がるのか、ただ一部の議員のヒソヒソ声に終わってしまうのか、それとも1つの大きな傾向として育っていくのか?には、「よくある陣営対立」を超えた視点で物事を見る姿勢が、どんな立場の人にとっても必要なタイミングではないかと私は考えています。 究極的には、安倍政権の一部に「やり過ぎな右傾的要素」が含まれているという「事情」自体を解決するように持っていかないと、いくら一部の議員が勉強会を開いても、「自民党のマジョリティ」や「その支持者」の方針は変えられないからです。 なぜ変えられないか? そりゃあ”アイツら”がゲスで愚鈍で
「遅くなりすみません」 今年2月の午後8時すぎ、甲府市中心部の居酒屋に、自民党の宮川典子衆院議員(36)が走り込んだ。 支持者の男性9人に「かわいいね」「ありがとうね」と迎えられ、ワイン片手に選挙の情勢を語る。1時間で切り上げ他の店へ。別の男性らと日本酒を酌み交わし、教育問題などを談議。午後10時、さらに1軒。終わった時、日付は変わっていた。当選2回の宮川氏に、飲み会回りは「支持を広げる貴重な機会」ではある。 衆院で小選挙区制度が導入されたのが1994年。同じ政党の候補者が争い、「金がかかる」などの批判を受けた中選挙区制から政策本位をめざした。 だが実態は。飲み会、冠婚葬祭、行事の参加――。 有権者との対話は政治家の基本だ。アルコールが入って、胸襟を開き話せることもあるだろう。だが政策本位より、飲み会出席競争に傾いてみえる時がある。有権者は、そういった面ばかりで政治家を評価していないだろう
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