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ブックマーク / apeman.hatenablog.com (40)

  • 『海軍の日中戦争』 - Apeman’s diary

    笠原十九司、『海軍の日中戦争 アジア太平洋戦争への自滅のシナリオ』、平凡社、2015年6月 目次などの情報はこちらをご覧ください。 1997年に刊行された『日中全面戦争と海軍―パナイ号事件の真相』の続編ともいうべき笠原十九司さんの新著。書でもパナイ号事件は第4章で扱われている。 1997年と現在とを比較すれば「海軍善玉史観」を取り巻く環境は多少は変わってきていると思われるが(『海軍反省会』が世に出たのがその変化の一例)、旧日軍の蛮行が話題になる際にその主体は陸軍であることが多いのは相変わらずのように思われる。もちろん、陸軍の方が組織の規模が大きかったこともあるだろうが。 というわけで、書のうち私にとって最も興味深かったのは海南島における海軍の「治安掃討戦」が紹介されている第5章だった。ミニ三光作戦と呼ぶことのできそうな作戦が、華北での燼滅作戦開始とそう変わらない時期に行われていたのだ

    『海軍の日中戦争』 - Apeman’s diary
  • だから言わんこっちゃない - Apeman’s diary

    よりにもよってシベリア抑留という被害体験に関わる資料を登録申請し認められたまさにその時に、南京大虐殺関連の資料の記憶遺産登録で政府が公式にクレームつける(与党のウヨ議員が噴きあがるならともかく)という厚かましさには、さすがに呆れ果てますね。外務省は登録された文書について具体的に反論する準備があるんでしょうか? さて、つい先日こんなツイートをしたのですが。 そしたら早速コレですよ! 『「南京事件」の探求 その実像をもとめて』をまともなリテラシーの持ち主が読めば、そこに書いてあるのが「否定論産業に参入してウヨ論壇デビューしてみようと思ったけど、さすがに研究者としての良心があるんでこれが限界っす」という呻吟でしかないことは明白なのに。まあ、著者はその後完全に研究者としての良心を捨て去りましたけどね。『正論』10月号の「日中戦争中国が仕掛けた侵略戦争だ」という噴飯物の特集に「日が「侵略」を認め

    だから言わんこっちゃない - Apeman’s diary
  • 歴史修正主義への屈服の見本 - Apeman’s diary

    リンク先の記事を要約すると、以下のようになります。 ・横浜市中区の根岸外国人墓地入口に掲げられていた英文の案内板にあった「第2次大戦後に外国軍人軍属と日人女性との間に生まれた数多くの子どもたちが埋葬されている」という記述が削除されていた。 ・代わりに「第2次大戦後に埋葬された嬰児(えいじ)(幼児)など、埋葬者名が不明なものも多い」という記述になっている。 ・市の担当課の説明は「外国軍人軍属と日人女性との間に生まれた子どもたちが埋葬されたとの記録はない」、「案内板の当初の記述では、ここに埋められた子どもがすべてハーフの非嫡出子だとの印象を与えかねないという判断もあり得る」などといったもの。 冒頭で引用させていただいたツイートでは「歴史修正主義のお手」とされていますが、各地での朝鮮人強制連行に関する追悼碑等への圧力などと考えあわせると、行政の歴史修正主義への屈服の見、と言うこともできる

    歴史修正主義への屈服の見本 - Apeman’s diary
    unyounyo
    unyounyo 2015/08/17
    公文書管理がなっていないところを公文書至上主義と呼んでしまうのは色々拙いと思われるが。
  • 『日本軍の治安戦』 - Apeman’s diary

    笠原十九司、『日軍の治安戦 日中戦争の実相』、岩波書店(シリーズ 戦争の経験を問う) ひきよせて寄り添ふごとく刺ししかば声も立てなくくづをれて伏す 書は歌人・宮柊二の上に引用した歌の紹介からはじまっている。自らも歌集を出しておられる笠原氏らしい導入だが、宮柊二は独立混成第三旅団に所属して、山西省で「治安戦」を戦っていたのである。その治安戦のなかで展開されたのが「燼滅掃討作戦」や「無人区(無住地帯)」、いわゆる三光作戦である。 華北での日軍の戦闘ないし三光作戦については、さほど多くはないもののすでにいくつかの文献がある。書の特徴は日軍上層部の視点、前線の将兵の視点、そして中国側の視点、と多角的に「治安戦」の実相を記述している点であろう。第5章では3つの地域について日側の記憶と中国側の記憶をつきあわせる作業がなされている。もう一つ、日中戦争全体(あるいはアジア・太平洋戦争全体)の流

    『日本軍の治安戦』 - Apeman’s diary
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    unyounyo 2015/08/04
  • 田中利幸、『知られざる戦争犯罪 日本軍はオーストラリア人に何をしたか』、大月書店 - Apeman’s diary

    連合国のうち欧米諸国の捕虜に対する虐待・残虐行為としては泰緬鉄道建設のための強制労働、バターン死の行進、九大医学部生体解剖事件など広く知られているものもある一方、関係者以外にはほとんど知られずに終わっているものもある。書が扱っているのは後者に属する、ボルネオ島サンダカン捕虜収容所に収容されたオーストラリア軍、イギリス軍将兵の体験である。このようなブログを運営していると大抵のことには驚かないようになるのだが、書で扱われている事例は想像を絶する。1943年9月の時点で約2500名いた捕虜のうち、戦後まで生き延びたのがわずか6名だったというのである。あまりにも生存者が少なく、かつあまりにも過酷な体験であったため、かえって知られることがなかったと言うわけである。上のエントリでとりあげた『現代歴史学と戦争責任』で吉田裕が紹介している(98-9頁)ことであるが、ドイツ軍の捕虜となった英米軍将兵の死

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  • 山本五十六教の恐怖 - Apeman’s diary

    すいません、タイトルは一つ前のエントリにあわせたかっただけです。ただ、まるで無根拠かというとそういうわけでもありません。 昨晩放送された NHK BS1 の「山五十六の真実」。海上自衛隊によるミッドウェー洋上慰霊祭の様子(今年5月)が紹介されているのだが、その際の練習艦隊司令官の挨拶に曰く、「祖国の繁栄を念じつつ奮闘された姿は、今なお我々の心に深い感銘を与えて止みません」。「顕彰」の意図を隠そうともしてませんでした。当時の日人が追求したのは、中国をはじめとするアジア諸国の犠牲の上に建った「繁栄」だったわけですが。 このように旧軍との連続性を公言してはばからないのは陸自も同じだったりしますが、海自の場合「海軍善玉史観」が強調した「良識派」の海軍軍人の存在によってよりいっそうスルーされてきた感がなきにしもあらず。エントリタイトルがまるで無根拠というわけでもない、という理由です。

    山本五十六教の恐怖 - Apeman’s diary
    unyounyo
    unyounyo 2014/08/12
    /見てないけど『八日目の蝉』の人もウヨ映画作ったんですね、残念だなぁ。ググってトップに出るから何かと思った。
  • 『戦争はどう記憶されるのか』 - Apeman’s diary

    上記エントリに関連した情報です。 伊香俊哉、『戦争はどう記憶されるのか―日中両国の共鳴と相克』、柏書房、2014年 撫順・太原の戦犯管理所及びそこでの「認罪教育」について書かれた日語の文献はいくつかありますが、今年の2月に出たこのの第四章「戦犯が綴った三光作戦」が戦犯容疑者の供述書を扱っています。日の右派は「洗脳」についての非科学的な思い込みに基づき彼らの「自白」を虚偽と決めつけるのを常としていますが、共産党政府は700名にのぼる調査員を動員して行った調査を背景として供述書を書かせていたことなどが紹介されています。ある戦犯容疑者は「適当に書いて出した」ら「デタラメを書いたら困る、この場所には行っていないではないか」と、「虚偽自白」を否定された体験を回想しています(以上、151ページ)。そもそも身柄を解放されてから半世紀以上持続する「洗脳」など(少なくとも当時の技術では)不可能ですしね

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  • 書いた、と思ったらこんなシロモノだった - Apeman’s diary

    2日遅れの7月9日に朝日が盧溝橋事件に言及した社説を書いたのはいいんですが、その内容がすこぶるよろしくない。「国家間に横たわる歴史は、どちらか一方が独占できるものではない」だの「歴史にこだわるならば、検証に値する当時の経緯を、日中の共有資産とするよう目指せないものだろうか」だのと大風呂敷を拡げる暇があったら、産経や読売との「共有資産」を作り上げる努力をしたらどうですか? 「慰安婦」問題については保守・右派メディアからさんざん「元凶」呼ばわりされながら逃げの姿勢に徹し、「百人斬り」についても訴訟を起こされるまでは「我関せず」を貫いてきた朝日新聞。その不作為が「日中の共有資産」形成を阻害しているという自覚はないんでしょうか?

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  • 歴史修正主義を公然と支持する『朝日新聞』特別編集委員 - Apeman’s diary

    Dr-Seton さんもすでにエントリを書かれている『朝日新聞』6月8日のコラム、「記憶遺産、負のせめぎあい」についてです。やはりあきれ果てるのは次の一節でしょう。 このうち私が注目しているのは特攻遺書だ。無謀な敵艦突入を美化する申請なら賛成しかねるが、戦争の大波にのみ込まれ、海上に散ることを余儀なくされた若者たちの遺書である。国外で読み継がれるにふさわしいと思う。 申請にあたった南九州市の桑代睦雄係長(53)によると、神風特攻隊は海外では自爆テロの先例と目されがち。申請書ではあえて「神風」の語を使わず、「大死一番」「七生轟沈(しちしょうごうちん)」といった決死の遺筆も外した。 特攻を「美化」しないというのであれば、同調圧力や国家による洗脳の証しとなる「大死一番」「七生轟沈」云々の遺書をこそとりあげるべきであり、こうした「不都合な真実」を消し去った「記憶遺産」申請などまさに「記憶の暗殺者」

    歴史修正主義を公然と支持する『朝日新聞』特別編集委員 - Apeman’s diary
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    unyounyo 2014/06/14
    /『犬死一番の謎』って小説があるらしい。
  • 『博覧会の政治学』(追記あり) - Apeman’s diary

    吉見俊哉、『博覧会の政治学 まなざしの近代』、中公新書、1992年 引用にあたって、原文にある注番号はすべて省略した。 博覧会と植民地主義について。 博覧会の時代とは、同時に帝国主義の時代であった。これは決して偶然ではない。一九世紀半ばから二〇世紀初頭に至るまで、地球規模で増殖し続けたこの資主義のスペクタクルは、なによりも帝国主義の巨大なディスプレイ装置であったのだ。博覧会は、テクノロジーの発展を国家の発展、つまりは帝国の拡張に一体化させ、そのなかに大衆の欲望を包み込んでいったのである。このような博覧会と帝国主義の結びつきは、すでに一八五一年のロンドン万博のときから現れてはいた。ロンドン万博を開催するに当たり、主催者側が最初に着手したのは、大英帝国の植民地や自治領からの出品全体を帝国の展示としてまとめあげることであった。それらの植民地には、東インド、セイロン、マルタ、アフリカ西海岸、喜望

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  • 朝鮮人虐殺の原点としての甲午農民軍「討伐」 - Apeman’s diary

    当ブログの古くからの読者の方であれば、「関東大震災時の朝鮮人虐殺は〇〇とは違う!」と強弁したある人物のことを思い浮かべられたのではないでしょうか。 ルワンダ虐殺と関東大震災の朝鮮人虐殺とは異なる この↑詭弁の下敷きになっているのは当然のことながら山七平です。関東大震災時の朝鮮人虐殺について山がどのような詭弁を弄したかについては、数年前にやや丁寧に分析しておきました。 「七平メソッド」とは このエントリで言及した三・一独立運動に対する弾圧は、しかしながら、近代日による最初の大規模な朝鮮人虐殺というわけではありません。 私が中等教育を受けた当時は「東学党の乱」と呼ばれていた第一次甲午農民戦争(東学農民戦争)が日清戦争の契機(日にとっては口実)となったことはよく知られています。94年の春に蜂起した農民軍は6月の全州和約によっていったん矛を収めます。しかし日清戦争勃発以降、日朝暫定合同条款

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    unyounyo 2013/11/10
  • ニュルンベルク・東京からバグダッドへの道 - Apeman’s diary

    昨日大掃除をしていたら、5月10日付けの新聞が出てきた。ブログでとりあげようと思って捨てずにとっておいたものの、それっきりになっていたものである。「歴史と向き合う アントニオ・カッセーゼ氏(旧ユーゴ戦犯法廷元所長)に聞く 東京裁判の遺産は何ですか」(朝日新聞、2006年5月10日、「オピニオン」面)。カッセーゼ氏は1937年生まれ、04年から05年まではダルフール虐殺に関する国連の国際調査委員会長を務める。レーリンク判事との共著(ただしレーリンク判事の死後)として、『レーリンク判事の東京裁判・歴史的証言と展望』を出版(93年)。聞き手はローマ支局長郷富佐子。 ――国際法学者として東京裁判をどう評価しますか。 「東京裁判は(ナチスドイツを裁いた)ニュルンベルク裁判と同様に、戦争犯罪を法廷で裁いたという意味で重要でした。この法廷がなければ、恩赦か処刑かの選択肢かなかった。でも、深刻な欠陥もあり

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  • 招魂社でアーメン - Apeman’s diary

    『近代とホロコースト』との関連で『逆説の軍隊』(戸部良一、『日の近代9』、中央公論社)を読んでいるのだが*1、ちょっと考えさせられるエピソードが紹介されている。 明治政府が当初フランスの軍制をモデルに陸軍を整備した(海軍はイギリスがモデル)ことは比較的よく知られているが、当初は授業をすべてフランス語で行ない、地理や歴史もフランスのそれが教えられていた、というほど徹底したフランス化だった。なにしろ、靖国神社の前身である招魂社の参拝に際して、フランス語の号令でカトリック式の礼拝をしていたのだそうである(87頁)。上からの近代化が始まった直後の、短期間のエピソードであるとはいえ、靖国神社の性格を考えるうえで示唆的なはなしではある。 *1:というと語弊があって、たまたま古書店で見かけて買い、冒頭部分をぱらぱらと読んでいると問題として接点がありそうだったので同時並行で読むことにした次第。後進国にま

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  • 「731部隊展2013」 - Apeman’s diary

    明治大学の平和教育登戸研究所資料館にて、2013年8月7日(水)〜8月24日(土)、9月4日(水)〜10月26日(土)のスケジュールで特別パネル展示「731部隊展2013」が開催されるそうです。 http://www.meiji.ac.jp/noborito/info/2013/6t5h7p00000g0tas.html また、9月1日にはシンポジウムも開催されるとのこと(場所はリバティタワー)。 http://ameblo.jp/supportvictim731/entry-11583068019.html 近年でこそ「慰安婦」問題否認論や南京事件否定論の陰に隠れている感はありますが、731部隊の戦争犯罪も強い否認の対象となってきたものの一つです(中帰連への誹謗中傷とセットになって)。他方、ペスト菌を用いた細菌戦の「研究」をまとめた論文集によって東京大学が戦後の1949年に博士号を授与し

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    unyounyo 2013/08/06
  • 日本社会はいい加減、欧米社会の反ユダヤ主義・ホロコーストに対する敏感さを学んだらどうか - Apeman’s diary

    ここ最近の当ブログの傾向から予想されていた方もおられるかもしれませんが、来る8月4日は「河野談話」20周年の日ですので、当時における「河野談話」報道をとりあげます。で、例によって縮刷版を調べていたのですが、1993年8月5日付け「日経済新聞」朝刊にこんな記事を見つけました。 例の『マルコポーロ』事件が起きるのはこの1年半後のことですが、ホロコーストや反ユダヤ主義の歴史に対する認識を欠いた振る舞いが当然のように抗議の対象になる、ということについては先例があったわけです。21世紀にもなって副総理という地位にある政治家が放言するなど論外にもほどがあるというものです。

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  • 「証拠を出せ? 出したらちゃんと自分の目で見るんだろうな?」その12 - Apeman’s diary

    吉見義明、「【資料紹介】第三五師団司令部「営外施設規定」」、『季刊 戦争責任研究』、第80号(2013年夏号)、pp.55-57 史料名でピンときた方もおられると思いますが、scopedog さんが発掘された史料が『季刊 戦争責任研究』の最新号に掲載されております。吉見先生による解説では、scopedog さんのダイアリのコメント欄での永井和先生のコメントにも言及あり。野戦酒保規程の改正によって抽象的に与えられた軍「慰安所」の設置根拠が現地軍レベルの実務においてどのような形で具体化されたか、を示す史料によって、「慰安所」制度研究に欠けていたピースの一つが埋まったと言えるのではないでしょうか。scopedog さんの地道な努力に敬意を表しつつ、ご紹介させていただきます。

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  • 「証拠を出せ? 出したらちゃんと自分の目で見るんだろうな?」その4 - Apeman’s diary

    戦争体験記・部隊史にみる日軍「慰安婦」」シリーズの紹介を一回休んで、今回は「アジア歴史センター」でオンライン閲覧できる史料から。このブログで既に言及したことのあるものですが、なんせ7年も前のことですので。 「アジア歴史センター」にはインターネット環境さえあれば誰でも簡単にアクセスできますし、史料のレファレンスコードか件名表題がわかっていれば検索も容易なのですが、なにせ量が膨大なもので漠然と「こんなものを探したい」という時に該当するものを探し当てるのはそう容易ではありません。おまけに翻刻はされておらず画像データですので、判読に手間取ることもままあります。というわけで、一般の読者にとっては「さほどアクセスしやすくないがアクセスできないわけではない」もの、という今回の趣旨にかなうでしょう。 「南京攻略に関する意見送付の件」 1937年11月30日 作成者:丁集団*1参謀長 レファレンスコード

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  • 「証拠を出せ? 出したらちゃんと自分の目で見るんだろうな?」その1 - Apeman’s diary

    一週間ほど前に、私のツイッターアカウントあてにネトウヨが「南京虐殺の証が有れば教えてくれる?」などとメンションを送ってきたので、定番の資料集リストを第一弾として提示したうえで「全部読み終わったらまた連絡ください。続きを教えます」と返答したところ、速攻で「転進」をはじめるというお決まりの結果となりました。ツイートをいくつか削除しているようですが、その削除されたツイートでは「この手の証言はずいぶん見てきたけど」「君の証と言うのは証言のみなのか?」だのと、ご丁寧に自らの無知を晒すハッタリをかましてくれていました。 これがまったく特別な事例でないことは当ブログの読者の方であればよくご存知だと思います。南京事件にせよ、旧日軍「慰安所」制度にせよ、ネトウヨはそもそもどれほどの「証拠」が積み重ねられているかすら知ろうとしませんので、「資料集」として編纂され刊行されている「証拠」を突きつけられただけでも

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    unyounyo
    unyounyo 2013/05/01
    /こういうのを考えると『小暮写眞館』も微妙な作品ではある。
  • 『カブラの冬』 - Apeman’s diary

    藤原辰史、『カブラの冬 第一次世界大戦期ドイツの飢餓と民衆』、人文書院(「レクチャー 第一次世界大戦を考える」) 昨年から刊行されはじめた人文書院の「レクチャー 第一次世界大戦を考える」シリーズ、どういうわけか地元の大型書店では現物を拝むことができず、ただでさえ積ん読の在庫に不自由していないということもあってずるずるとそのままになっていたのだが、この度ようやく『カブラの冬』を読むことができた。想像していたよりずいぶんと薄い(150ページほど)で、そのため店頭で見落としていたのかもしれない。このシリーズは京大人文科学研究所の共同研究班、「第一次世界大戦の総合的研究に向けて」(後、「第一次世界大戦の総合的研究」と改称)のメンバーが執筆者となっており、「これまでの研究活動の中間的な成果報告」であると同時に「第一次世界大戦をめぐって問題化されるさまざまなテーマを平易に概説することを趣旨とする」、

    『カブラの冬』 - Apeman’s diary
  • 「東京裁判と特高警察」 - Apeman’s diary

    荻野富士夫、「東京裁判と特高警察 不処罰の理由を追う」、『世界』(岩波書店)、2013年2月号 対日戦犯裁判では対独裁判に比べ「人道に対する罪」の追及が事実上なされなかったことは、当ブログの読者の方であればすでにご存知のことだろう。もし連合国が東京裁判でも「人道に対する罪」を追及したとすれば処罰の対象となり得たことの一つに軍「慰安所」制度があるわけだが、もう一つ、「人道に対する罪」が事実上看過されたことによって裁きを免れたのがいわゆる特高警察である(憲兵が特にBC級戦犯裁判では多数裁かれたのとは対照的に)。ゲシュタポとの対比で特高警察の「不処罰」を扱っているのが『世界』の先月号に掲載された論文。 戦犯としての追及を免れた特高だが、GHQの「人権指令」によって1945年10月に廃止され、関係者約5,000人が罷免される。著者は昨年5月刊の岩波新書『特高警察』においては、人権指令の履行が「し

    「東京裁判と特高警察」 - Apeman’s diary