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書評に関するPledgeCrewのブックマーク (11)

  • 立岩真也『私的所有論』書評(塩川伸明)

    数年前に書が出て間もない時期に、はじめて書を手にしたとき、「おわりに」にある次の文章が目に入った。 「このを書く作業の大部分は単独行としてなされた。(中略)。約二年間、ほとんど何も読まなかったと思う」(四四三頁)。 「特に誰かのアイデアをもとにするのでない、手作業によって考察の多くの部分は進められた。書かれることは特に何かの『思想』に依拠していない。ひとまず必要がなかったからだ。それに何かを引合いに出せば、それとの異同を確かめる必要がある。そのためには相手の言っていることを知らなくてはならない。注釈が増えてしまうだろう。かえって面倒なことになる。そういう作業はきっと必要なのだろうし、それを行うことによってきっと私も得るものがあるのだろうとは思うが、相手から何かを受け取るためにも、まずは私が考えられることを詰めておこうと思った」(iv頁)。 それでいながら、すぐに書を読んだわけではな

  • 旅する読書日記 越境の時――一九六〇年代と在日

    Amazonマイストア 鈴木先生 3 越境の時 イッツ・オンリー・トーク 沖で待つ 星新一:一〇〇一話をつくった人 表現のための実践ロイヤル英文法 知識の哲学 ロボットの心 猛スピードで母は デカルト―「われ思う」のは誰か これが現象学だ 縷々日記 その名にちなんで 停電の夜に その人の前に出ると居ずまいを正さずにはいられないという相手が僕にもいる。数少ないそうした人たちの一人がフランス文学者の鈴木道彦さんである。一橋大学時代、鈴木先生の授業やゼミに都合3年間も出席していたことを告白するのは、現在までのところ超低レベルのフランス語力しか身につけられていない文字通り不肖の弟子である僕にとってまさに〈恥を忍んで〉の類でしかないのだが、それを言っておかないと後の話が続かないので仕方がない。  中学生のころは大江健三郎に憧れて、将来は東大の仏

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    PledgeCrew 2010/03/13
    鈴木道彦
  • レヴィ=ストロースと政治 - heuristic ways

    今年の11月にレヴィ=ストロース氏の訃報が新聞各紙で報じられたとき、不思議だったのは、「レビストロース」という表記が多かったこと。『生のものと火にかけたもの』に引っかけて言えば、あたかもそれは、「レヴィ=ストロース」という生のもの(表記)を、日語という火にかけて、「レビストロース」という料理にした、とでもいうような感じだった。 私は『悲しき南回帰線』(『悲しき熱帯』)を断片的に読んだくらいで、特に何の感慨もなかったのだが、以前、渡辺公三『レヴィ=ストロース――構造』(現代思想の冒険者たち、1996年)を読んだとき、レヴィ=ストロース氏が若い頃にマルクス主義に親しんでいたことや、南北アメリカの先住民の神話の問題に取り組んでいたことを知り、そのあたりのことが引っかかっていた。  先日書店に行ったとき、渡辺公三『闘うレヴィ=ストロース』(平凡社新書、2009年)というが出ていたので、興味

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    PledgeCrew 2009/12/17
    この本は面白かった。書評というほどじゃないけどちょっと触れた。http://plaza.rakuten.co.jp/kngti/diary/200912030000/
  • 『<自己責任>とは何か』を読む - Arisanのノート

    桜井哲夫著『<自己責任>とは何か』(講談社現代新書)。 「自己責任」とは何か (講談社現代新書) 作者: 桜井哲夫出版社/メーカー: 講談社発売日: 1998/05メディア: 新書購入: 3人 クリック: 138回この商品を含むブログ (22件) を見る この書名だけを見た人は、昨年イラクで起こった日人人質事件に関することを題材にしたと思うだろう。ところが、このの出版は1998年である。イラクでの事件とは直接には何の関係もない。当は関係あるのだが。 90年代の後半、日社会では、「市場の開放」とか「規制緩和」が叫ばれ、いわゆるグローバル化の流れの中で「日社会の特殊性」への批判が高まった。そのなかで、「自己責任」という言葉が濫用されるようになった。 「金融ビッグバンの時代は預金者の自己責任が重要」とか、「女性が恋愛をして結婚相手を選ぶのも自己責任で」といった具合だ。 このは、そう

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    PledgeCrew 2009/11/29
    桜井哲夫著『<自己責任>とは何か』(講談社現代新書)
  • 佐伯啓思 三浦雅士「資本主義はニヒリズムか」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    新書館 2009年10月 書は、巻頭の佐伯氏の「金融ニヒリズムと「現代の危機」」という論文、巻末の三浦氏の「ニヒリズムとしての現代芸術」という論文(ともに2009年のもの)をはさんで、佐伯氏と三浦氏の4つの対談を置く構成になっている。4つの対談は最初のものが2009年8月のものであるのを除くと、それ以外は1999年、2001年、2003年となかり以前のものである。三浦氏の巻末の論文はかなり独立性の高いものであると思われたので、以前ここで論じた。対談は基的に佐伯氏が怪気炎をあげて、それを三浦氏が批判する、からかう、あるいはおちょくるというものになっているように思えた。 佐伯氏は保守派の論客ということになっているようであるが、論壇と呼ばれるところでどのような言説を述べようとも、それが現実の政治に影響をあたえるとはまず思えない。そうであるとならば、自分の言説をなにがしかでも実現しようと思えば

    佐伯啓思 三浦雅士「資本主義はニヒリズムか」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
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    PledgeCrew 2009/11/17
    「近代の超克」ですね。佐伯が言ってることはちっとも新しくない。三浦については http://d.hatena.ne.jp/jmiyaza/20091012/1255310982
  • 覚えておいてよ、ヨナス君 - 恐妻家の献立表blog

    厄介な仕事が一区切りついたので、通勤電車での読書を再開。いきなり難しいを読むと目が回るので、まずは肩慣らしに薄いにした。 哲学・世紀末における回顧と展望 作者: ハンスヨナス,Hans Jonas,尾形敬次出版社/メーカー: 東信堂発売日: 1996/08メディア: 単行購入: 2人 クリック: 3回この商品を含むブログ (2件) を見る碩学晩年の講演録。眼目は後半の将来の哲学の展望(フォイエルバッハの『将来の哲学の根命題』を連想させる)にあるのだろうが、読んでいる人間の根が後ろ向きなものだから、波瀾万丈の人生を送ったヨナスの回想の方が興味深かった。 ハイデガーに師事したユダヤ系知識人のヨナスは、同世代のレーヴィットやアーレントやマルクーゼと同様、かつての恩師に屈折した思いを抱かざるをえない。ナチスに加担したハイデガーへの幻滅をソクラテスと比較して語っている。 他の様々な学問とは違

    覚えておいてよ、ヨナス君 - 恐妻家の献立表blog
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    PledgeCrew 2009/11/13
    ヨナスはグノーシスの研究書しか読んでない。木田元はハイデガーは「性格が悪い」と言っており、ルソーやマルクスにもそういうところはありますが、「密告」や「背信」となるとそれではすまぬところもあるでしょうね
  • alexisのブログ 「1968」小熊英二

    まあ分厚くて重いであった。何とか全部読み終えた。全体、一言で言って、「質より量」という気がしないでもない。1968年の「叛乱」をこれだけのヴォリュームで書くのであれば、著者も語っているように当事者が多数存命中なのだから、せめて何人かは現在の当事者の発言を採って欲しかった。僕は実はかなり正確に引用されていると思うが、出てくる発言はすべて引用である。それもほとんどが「重引」であって、どうも、著者自身断わってはいるが、「高度成長期へのアレルギー」とか「現代的不幸(アイデンティティ・クライシス)への個々の抵抗」の側面からのものが強調されすぎて、軽いものになってしまった感がある。 ここまでのを書くのであれば、「激動の7ヶ月」の政治闘争であれ、学園闘争であれ、あるいはセクト、ノンセクトを問わず、実際に当時先頭に立って闘い、傷つき、現在は「平均的なサラリーマン」になる道すら失い、うやわずで生活し

    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/11/02
    本は読んでないし党派の言語が貧困で硬直化が進んだのは事実だが、「硬直化したマルクス主義」の言語から出られず云々のところはたぶん違う。小熊の評に該当するのはせいぜい教条的毛派。当時の問題意識をなめすぎ
  • 天体による永遠 - ルイ・オーギュスト・ブランキ - 青色3号

    id:goldheadさんが度々言及されている*1のを見て手にとらずにはいられませんでした.冷徹なロマンティシズムに満ちた一冊. なにが語られているかといえば「永遠の時間のなかの無限の宇宙から演繹されることがらについて」といったところで,これは熱力学の法則も無視したような宇宙観であるからして,現代の科学に照らし合わせてみればそりゃあもう荒唐無稽であると言って差し支えないものだといえるでしょう.じっさい巻末に付いている出版当時(1800年代末)のジャーナリズムの反響についての項を読めばその当時だって科学的とはいえないものだったということが分かる. このを読むなかで読者は「無限という分母の前ではどんなに大きな分子もゼロになってしまう」というあたりまえのことを何度も何度も確認していくことになります.どんな確率分布もマイナス無限大からプラス無限大まで積分すれば1になるってのは実はおそろしいことな

    天体による永遠 - ルイ・オーギュスト・ブランキ - 青色3号
    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/10/19
    パリ・コンミューン蜂起の直前に逮捕されたブランキが獄中で書いた書(未見)。「革命論集」ならあるがこれも20年近く積んだまま
  • 複製技術と音楽その他 - Living, Loving, Thinking, Again

    http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20050819で取り上げた、『戦争の記憶をさかのぼる』に、『週刊少国民』(朝日新聞社)1942年11月1日号の「巻頭グラビア」が載せられている(p.203)。時の首相・東條英機が国会議事堂を背に乗馬している写真。この写真に添えて、北原白秋が「東條さん」という詩を寄せている*1。何故こんな話を持ち出したのか。例えば、中国では現在でも東條英機は(日人としては)SMAPや濱崎歩と同じくらいか或いはそれ以上の有名人である。また、靖国神社の祭神から東條英機を外せば、日中関係も丸く収まるともいわれている。しかし、考えてみると、日においては、東條英機の存在感は稀薄である。日では、〈教科書問題〉に見られるように、歴史認識問題を巡って鋭角的な対立が存在しているといっていいだろう。そこにおいてどちらの立場に身を置いているにせよ、東條英機の(

    複製技術と音楽その他 - Living, Loving, Thinking, Again
    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/08/21
    西郷信綱「日本の古代語を探る」、つい最近までご存命だったことに驚いた
  • ゴッフマンを読むベッカー/『戦争の記憶をさかのぼる』 - Living, Loving, Thinking, Again

    Howard S. Beckerの"The Politics of Presentation: Goffman and Total Institutions"を読んでみる。 このテクストは、ゴッフマンの"On the Characteristics of Total Institutions"の読解。ベッカーはこのテクストを先ず、"a classic example of the relation between methods of presenting research and scholarship and their political content"であるという。そこで、ゴッフマンが解決を示している問題は、"how to avoid the analytic flaws and failures which arise from our unthinking acceptanc

    ゴッフマンを読むベッカー/『戦争の記憶をさかのぼる』 - Living, Loving, Thinking, Again
    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/08/21
    坪井秀人『戦争の記憶をさかのぼる』(ちくま新書)
  • 風行社

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