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医療と過去の歴史に関するmsyk710513のブックマーク (8)

  • 療養所を人権学習の場に/岡山・長島愛生園 大平衆院議員が訪問し懇談

    (写真)愛生園で中尾会長(左手前)ら入所者自治会の人たちと懇談する大平議員(右手前)=5月30日、岡山県瀬戸内市長島 日共産党の大平喜信衆院議員は5月30日、岡山県瀬戸内市の国立療養所長島愛生園を訪ねました。石井ひとみ岡山県委員長や島津幸枝同県瀬戸内市議、武田英夫国会議員団中国ブロック事務所長が同行しました。療養所にはハンセン病の元患者ら224人が暮らしており、大平氏は園長や入所者自治会、療養所の党支部と懇談しました。 藤田邦雄園長は園の歴史を紹介し、「現在は医師と看護師の不足に最も頭を痛めている」と説明しました。 自治会との懇談で大平氏は「1週間前にみなさんに国会の控室に来ていただき、国への要望書をいただきました。お見舞いも申し上げたいし、療養所の現状を見て勉強したいと思ってきました」とあいさつしました。 中尾伸治自治会長は療養所の施設整備や看護師、介護員などの職員増員などを要望し、「

    療養所を人権学習の場に/岡山・長島愛生園 大平衆院議員が訪問し懇談
    msyk710513
    msyk710513 2015/06/01
    長年の誤りの傷は未だ癒えず、元患者の処遇は国が責任持って確保すべし。過去へのせめてもの贖罪として当然。医療体制確保も当然やるべき。そして人権学習の場に。ハンセン病では思いは尽きない。
  • 第41回赤旗まつり/ハンセン病問題交流会/今回も行います/2日午後

    (写真)前回赤旗まつりで、「ハンセン病問題はまだ終わっていない」と語る谺雄二さん(左)と参加者=2010年 前回赤旗まつりで好評のハンセン病問題交流会を今回も、11月2日(日)午後3時30分から「消費税増税反対コーナー」のテントを借りて行います。 主催は、「日共産党と解決するハンセン問題青年ネットワーク(通称・ハンセン青年ネット)」。 イベントは2部形式。第1部は、映画「熊笹の遺言」の上映会です。群馬・草津町にある栗生楽泉園(くりうらくせんえん)に暮らすハンセン病元患者のみなさんたちを追った作品です。 第2部では、「トーク企画 ハンセン病問題は今どうなっているの?」。最新の現状報告、療養所・入所者・退所者が抱える課題は何かなどについて討論します。 両企画を通して、ハンセン病のそもそもを知ってもらうとともに、現状と問題点を明らかにします。ハンセン病国家賠償訴訟など患者の人権回復のためにたた

    第41回赤旗まつり/ハンセン病問題交流会/今回も行います/2日午後
    msyk710513
    msyk710513 2014/10/16
    前回と違い谺さんは居ないが、ハンセン病を取り巻く問題を今回のまつりでも学習。まだ終わっていないのだ。若者の積極的な参加を。
  • 若手記者が行ったハンセン病「重監房」/群馬・草津町の栗生楽泉園/人権の原点を見た

    ハンセン病を知っていますか? 国は患者を強制隔離するなど、非人道的な政策を90年にわたり続けました。その象徴が、「重監房」と呼ばれた施設です。今年4月、群馬県草津町の国立ハンセン病療養所・栗生楽泉園(くりうらくせんえん)に「重監房資料館」が開館しました。「ハンセン病というだけで、なぜ人として普通に生きる権利を奪われなければいけなかったのか」。「しんぶん赤旗」若手記者7人で訪ねました。(北野ひろみ) 栗生楽泉園の入り口から数分歩くと、薄暗くひっそりとした木々に囲まれた場所に「重監房」の遺構がありました。 重監房は正式名称を「特別病室」といいます。1938年に同園に設置され、47年まで使用されました。「病室」とは名ばかりで治療は行われず、全国の療養所から「反抗的」とされた人たちを閉じ込めるための“独房”でした。 資料館では、この独房の一部が原寸大で再現されています。 高さ4メートルのコンクリー

    若手記者が行ったハンセン病「重監房」/群馬・草津町の栗生楽泉園/人権の原点を見た
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    msyk710513 2014/09/22
    重監房での弾圧はじめ非人道の数々、今も社会の差別偏見で復帰容易ならず。若手記者が真実知る為に見た、恐ろしい過去の事実。こんな政策がまかり通っていたなんて。隔離を強硬に主張した者の罪の重さは計り知れない
  • 国立ハンセン病療養所栗生楽泉園/職員不足・入所環境の改善を/高橋・塩川氏ら 園長らと懇談/群馬・草津

    共産党国会議員団ハンセン病問題プロジェクトチームの高橋ちづ子(会長)、塩川鉄也両衆院議員は19日、群馬県草津町にある国立ハンセン病療養所栗生楽泉園を訪ね、関係者と懇談しました。赤嶺政賢衆院議員秘書、羽部光男町議、大川正治元党県委員長らが同行しました。 東正明園長ら同園役員との懇談で、高橋氏は今年5月、ハンセン病市民学会が開かれた草津町で、死去した谺(こだま)雄二・ハンセン病違憲国賠訴訟全国原告団協議会会長、神(こう)美知宏・全国ハンセン病療養所入所者協議会会長を追悼し「谺さんが尽力した重監房資料館がオープンした直後でもあり、(両氏の死は)全国から草津に集まった中、悲しみはいかばかりかと思います。要望を聞かせてほしい」と話しました。 東園長らは、95人に上る入所者を看護、介護する職員の不足、温泉治療のための水源確保への苦慮などを語り、改善を要望しました。 高橋氏らは、入園者自治会長の藤田

    国立ハンセン病療養所栗生楽泉園/職員不足・入所環境の改善を/高橋・塩川氏ら 園長らと懇談/群馬・草津
    msyk710513
    msyk710513 2014/09/21
    共産党PTが療養所訪ね関係者と懇談。様々な要望が出た。職員不足などを放置しては、新たな隔離政策と言われるだろう。判決や反省はどこへ行った。人間らしい暮らしの保証は当然だ。
  • きょうの潮流 2014年9月3日(水)

    古代ギリシャの医学者ヒポクラテスは、熱病マラリアの原因が沼地の悪い空気にあると述べていました。蚊による媒介が明らかになる19世紀末まで、人々はそう思ってきました▼マラリアの語源はイタリア語の「悪い空気」。現在のローマの玄関口レオナルド・ダビンチ空港周辺は沼地が多く、20世紀の初頭までは世界有数のマラリア流行地だったといいます(『疫病は警告する』)▼長く人類と格闘してきたマラリア。いまも中央アフリカでは年間50万人弱が脅威にさらされ、豪雨によって感染者が増大しています。西アフリカではエボラ出血熱が猛威をふるい、死者が最も多いリベリアでは1週間で新たに300人の感染者が確認されました▼世界保健機関(WHO)は感染が2万人をこえる恐れがあると警告。中東でひろがった「MERS(マーズ)」は欧米に飛び火しています。日でも、熱帯地域で流行するデング熱が約70年ぶりに確認され、感染者が増えています▼海

    きょうの潮流 2014年9月3日(水)
    msyk710513
    msyk710513 2014/09/03
    古くからのものも新しいものも、感染症は脅威。豊かさが偏った現代社会への警告、成程。
  • ベトナム戦争の帰還米兵/40年後も精神疾患苦しむ/「米国の行く末示す」と指摘も

    【ワシントン=島田峰隆】ニューヨーク大学ランゴン医療センターなどが行った研究によると、ベトナム戦争から帰還した米兵のうち約1割が今も心的外傷後ストレス障害(PTSD)の症状に苦しんでいることが分かりました。和平協定を受けて米軍がベトナムから撤退して今年で41年ですが、専門家らは帰還兵にとって「まだ戦争は終わっていない」と指摘しています。 ワシントン市内で8日に開かれた専門家会合で研究の暫定結果が公表されました。研究は、米退役軍人省の資金をもとにランゴン医療センターや民間会社の専門家でつくる研究チームが2010年から実施。1980年代後半にベトナム帰還兵を対象にした精神面の調査が行われており、今回はその後の追跡調査です。 11%が症状訴え それによると、帰還兵の11%は今も悪夢、孤独感、不安感、睡眠障害などPTSDの症状を訴えています。 ヒスパニック(中南米)系と黒人の帰還兵が精神疾患にかか

    ベトナム戦争の帰還米兵/40年後も精神疾患苦しむ/「米国の行く末示す」と指摘も
    msyk710513
    msyk710513 2014/08/14
    40年経っても精神疾患で苦しむ、PTSDで身体疾患の死亡リスク上昇まで。教訓生かさずイラクにアフガン、米国はどうなってしまうのか、政府は危機感持てよ。人種差がみられる理由にも許せないものが。
  • きょうの潮流 2014年6月3日(火)

    古代ギリシャの“医聖”とよばれたヒポクラテスの肖像画が、日で江戸時代に描かれていた―。東京・上野の国立科学博物館で催されている「医は仁術」展で興味をそそられました▼江戸後期、外国人居住区の長崎・出島の記録絵師だった川原慶賀の作。長く鎖国をしていた日ですが、外科中心の西洋医術は、長崎ルートなどを通じ一定普及したそうです。会場には、江戸時代の手術器具や解剖図も展示され、医療技術の高さがうかがえます▼著名な医史学者が監修した同展の説明文にはこうあります。「東や西から伝えられた医術が、江戸時代という平和な世のなかで融合し…日独自の発展を遂げた…平和であったが故に、安定した社会が築かれ…(為政者は)人々が安心して暮らせるよう努めることが使命であった」▼武士が支配する階級社会の時代。医療を受けることができたのは一部の人たちでしたが、幕府も不十分ながら策を講じました。8代将軍・徳川吉宗のときには、

    きょうの潮流 2014年6月3日(火)
    msyk710513
    msyk710513 2014/06/03
    鎖国中でも西洋医術は一定普及、江戸幕府も不十分ながら小石川療養所など策を講じる。安倍政権の有様はどうだ、酷いね。やがて歴史で厳しく語られることになるだろうね。逆流勢力よ、史的唯物論なめるなよ。
  • きょうの潮流 2014年5月9日(金)

    古くから多くの湯治客でにぎわう群馬県草津町。街から外れて小道をたどっていくと、国立ハンセン病療養所「栗生楽泉園(くりうらくせんえん)」があります。標高千メートルをこえる高地にも、いま春が訪れています▼花々が咲き、若葉が芽吹く園内。その一角に真新しい資料館ができました。かつて、「特別病室」の表札を掲げながら、コンクリート塀で囲い、鉄格子、南京錠で患者を監禁した「重監房」。それを復元したものです▼官民一体となったハンセン病隔離政策の歴史を象徴する重監房が同地に設けられたのは1938年。園の自治会の記録によると、戦後の人権闘争で廃止されるまで各地から“草津送り”された患者は93人。そのうち23人が獄死しています▼4畳半ほどの独房には小窓があるだけ。冬は零下20度近くまで下がるなか、霜に覆われ、床に凍り付いていた死体も。500日以上も収監された人もいて、「まさに孤独地獄、闇地獄、飢餓地獄、極寒地獄

    きょうの潮流 2014年5月9日(金)
    msyk710513
    msyk710513 2014/05/09
    草津の片隅に、立ちあがった人を懲罰する地獄が。隔離政策の象徴。/ハンセン病で国家による人権侵害、二度と繰り返さぬ様、僕も学ぼう。もっと事実を知りたい。
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