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トランプ政権の経済政策は、財政赤字に対するアメリカ人の常識を覆した...... REUTERS/Tom Brenner <アメリカの有権者の多くは、トランプの「人格」に対しては眉をひそめていたにしても、少なくともトランプ政権の経済的な実績に関しては一定の評価を与えていた。トランプが経済政策面でもたらした最大のインパクトとは......> 現職の共和党候補トランプと民主党候補ジョー・バイデンとの間で争われた2020年の大統領選は、バイデンの勝利で終わり、トランプ政権は1期4年でその幕を閉じることになった。トランプの再選が叶わなかった最大の敗因は、明らかに、2020年から始まったコロナ禍にあった。トランプ政権は感染拡大の初期段階から、新型コロナの感染拡大を軽視し、積極的な防疫の必要性を否定し続けた。その結果、感染者数と死者数の双方において、アメリカは世界最悪の感染国になってしまったのである。
<日本学術会議の最大の問題は、科学的観点のみによっては合意不可能であるはずの政策的な判断を、あたかも専門家による科学的観点からの総意であるかのように装って一般社会に提示している点にある...... > 菅義偉政権が誕生して一ヵ月にもたたないうちに、思いもよらない騒動が巻き起こった。それは、日本学術会議が決めた新会員候補のうちの6人の指名を政府が拒否したという、いわゆる学術会議問題である。この問題が明らかになって以来、メディアやネットでは、この政府の対応の是非をめぐる論議が拡大し続けている。 筆者は、政府に就任が拒否された6人の方々の学問的な業績や政治的な立場については、ほとんど何の知識も持っていない。したがって、この政府の判断それ自体に関しては、筆者は是とも非とも言うことはできない。にもかかわらず筆者がここで私見を述べる必要があると考えたのは、この問題が「一般社会に対する専門家の政策的な発
安倍以降の政権は、マクロ経済政策について政治の側から明確な指針を提示することができるか...... Franck Robichon/REUTERS <第2次安倍政権の歴史的意義とは、「政治によるマクロ経済政策の丸投げシステム」そのものを終わらせた点にある......> 第2次安倍晋三政権が、唐突にその終焉を迎えた。しかし、第1次安倍政権がわずか1年弱で終わったのに対して、第2次政権は歴代最長の7年8か月を刻んだ。その違いを生み出した最も大きな要因とは何かといえば、それはマクロ経済政策の有無である。 第1次安倍政権は、財政再建よりも経済成長を優先するという「上げ潮戦略」の提唱者であった中川秀直が幹事長ではあったものの、政権自体の政策方針は、小泉純一郎政権以来の「構造改革」路線の継承という以外にはほとんど不明であった。それに対して、第2次安倍政権は、その発足当初から、デフレ脱却を政策目標とし、
ピケティが自らの主著を映画化したその意図は何だったのか (C)2019 GFC (CAPITAL) Limited & Upside SAS. All rights reserved <ピケティの最終的な目的は、明らかに政策実現にあった。この映画は、ピケティ主義の啓蒙的宣教のための手段であり、ある種のプロパガンダである...> 新型コロナ感染拡大によって公開が中止されていた、トマ・ピケティによるベストセラー『21世紀の資本』に基づくドキュメンタリー映画が、5月末より再公開された。日本でも数多くの読者を獲得したこの本の内容それ自体については、改めて論評する必要もないであろう。本稿では、その内容の是非についてではなく、ピケティはそれを映画化することでいったい何を意図したのか、そしてその企画意図はどこまで果たされたのかを、筆者が考える意味での経済政策学の観点から考察してみたい。 この経済政策学と
<新型コロナ対応の経済政策に関しては、その負担を社会全体でどう分かち合うのかという問題こそが本質である。その課題への取組みを「将来負担」なる虚構によって歪めてはならない......> 新型コロナ対応のための政府の経済対策が、二転三転している。当初は「条件なしの一律現金給付」という案がメディアで報じられていたが、蓋を開けてみると「条件付きで一世帯当たり30万円の現金給付」案となった。それが世論の厳しい批判を受けると、今度は一転して「国民1人当たり10万円」という案が突然浮上した。政官における有力者たちの間で、しのぎを削る土壇場でのやりとりが続いているということなのであろう。 筆者は2020年4月9日付本コラム「新型コロナ対応に必要とされる準戦時的な経済戦略」の中で、最低限の経済活動を維持しつつも感染拡大阻止を最優先しなければならない現局面においては、十分な休業補償や定額給付を通じて人々の最低
<現在の状況は、経済が一種の戦時経済体制に入ったことを意味する。勝ち抜くべき相手が人間かウィルスかという違いはあるが、市場という「神の見えざる手」に委ねるだけでは、戦争の遂行や疫病の克服という社会的な目標は達成できない......> 日本政府は2020年4月7日に、新型コロナ対応のための緊急事態宣言を行った。現状を鑑みれば、行われるべきものがようやく行われたというのが一般的な受け止め方であろう。とはいえ、この未曾有の困難をどう克服していくのかについては、先が見えているわけではない。それは、政府が緊急に対応すべきあらゆる問題が医療、経済、社会の諸領域にわたって複雑に絡み合っており、そのどれ一つとっても一筋縄ではいかないからである。現在はまさに、単に政治家や政策当局者たちだけではなく、この問題に多少とも係わりのあるあらゆる専門家たちの真価が問われている状況なのである。 筆者は2020年3月25
<新型コロナ危機、東京オリンピック延期へのあるべき経済政策を考える。そして、「政策の是非を判断するための思考枠組み」を明確化する......> 世界は現在、まさに新型コロナ危機によって覆い尽くされている。幸いなことに、中国以外では最も早く感染事例が報告された国の一つであった日本では、少なくとも現在までのところ、その後の一部欧米諸国のような社会全体での爆発的な感染拡大は生じていない。しかし、その日本でも、旅行業、飲食業、レジャー産業、スポーツや音楽等のエンターテイメント産業等が典型であるように、それに伴う深刻な経済活動停止状況が生じている。その負の影響は累積的に拡大しつつあり、否応なく経済全体に及び始めている。 この状況をこのまま放置できないことは、誰の目からみても明らかである。実際、政府は既に何弾かの緊急経済対策を打ち出している。また、政治の世界では、与野党を問わず、さまざまなレベルの大小
●これまでの記事はこちら <モズラーによって発見されたMMTの中核命題や、それに基づく会計分析それ自体は、必ずしも正統派と共存不可能ではない......> 経済学派としてのMMTの一つの大きな特徴は、自らを正統派と対峙する異端派として位置付け、現代の主流派マクロ経済学を全体として拒絶している点にある。その主流派ないし正統派としてMMTの主な批判となっているのは、新しい古典派マクロ経済学というよりは、ニュー・ケインジアンによるNMC(新しい貨幣的合意)である。これは、現代のマクロ経済政策とりわけ金融政策に理論的根拠を提供しているのが、もっぱら広義のニュー・ケインジアン経済学であるという事情を反映している。 MMT派はまた、新古典派的総合の系譜にある新旧のケインジアンを亜流ケインジアン(Bastard Keynesian)と呼び、彼らと対峙し続けてきたジョーン・ロビンソンやハイマン・ミンスキー
●これまでの記事はこちら <MMTとヘリコプター・マネー論は、しばしば混同されるものの、基本的に似て非なる政策戦略である......> MMTによれば、現代の主流派マクロ経済学の大きな誤りの一つは、「政府の赤字財政支出は、希少な民間貯蓄を奪い、利子率を引き上げ、民間投資をクラウド・アウトする」と論じている点にある。MMTはそれに対して、政府の赤字財政支出は、それ自身が民間にとっての資産(貯蓄)となるので、民間投資のクラウド・アウトは原理的に生じないと主張する。これは、赤字財政は原則的に許容されるべきというMMTの結論を支える一つの大きな論拠となっている。 本連載(4)で検討したように、正統派からみたこの議論の問題点は、MMTが政府の赤字財政支出を基本的に金融的な側面でのみ捉えており、財市場に与える影響を考慮していないところにある。というのは、民間投資のクラウド・アウト、金利上昇、インフレの
●これまでの記事はこちら <MMTは「政府財政は景気循環を通じて均衡する必要すらない」と結論しているが、それがどのような推論から導き出されるのかを検討する......> その主唱者たちによれば、MMTの目的は、主流派マクロ経済学という「歪んだメガネ」によって生み出された財政と金融に関する誤った観念を排し、それをMMTから得られる正しい把握に置き換えていき、それを通じてマクロ経済政策を正しい方向に導いていくことにある。MMT派の教科書Macroeconomicsの第8章では、そのMMTによって駆逐されるべき主流派の誤謬(Mainstream Fallacy)として、以下の9つの命題が掲げられている。 誤謬その1:政府は家計と同様な「予算」の制約に直面している。 誤謬その2:財政赤字(黒字)は悪(善)である。 誤謬その3:財政黒字は一国の貯蓄を増加させる。 誤謬その4:政府財政は景気循環を通じ
<MMT派と正統派とは、基本的に水と油にように混じり合わないマクロ経済思考の上に構築されている。しかし、反緊縮正統派の側からは時々「少なくともゼロ金利であるうちはMMTと共闘できる」といった発言が聞こえてくる。それはなぜか......> ●前回の記事はこちら: MMT(現代貨幣理論)の批判的検討(2)─貨幣供給の内生性と外生性 MMT(現代貨幣理論)の主唱者たちによれば、MMTと正統派の最も大きな相違の一つは、前者が貨幣内生説であるのに対して後者は貨幣外生説を信奉している点にある。しかしながら正統派にとってみれば、貨幣内生と外生の相違は、単に現実を理論化する場合の抽象の仕方の相違にすぎない。実際、近年のニュー・ケインジアンのモデルも含めて、ヴィクセルに発する系譜のモデルは基本的にすべて貨幣内生である。 正統派にとっては、本質的な対立点はまったく別のところにある。それは、貨幣供給の内生性を強
<現在、世界および日本の経済論壇において、賛成論と反対論の侃々諤々の議論が展開されているMMT。その内実を検討する......。第二弾> ●前回の記事はこちら:MMT(現代貨幣理論)の批判的検討(1)─政府と中央銀行の役割 MMT(現代貨幣理論)の主唱者たちによれば、彼らがその理論を提起した大きな目的は、これまでの「正統派」によって作り上げられてきたマクロ経済に対する「ものの見方」あるいは「思考枠組み」を根底から覆すことにある。彼らは、その既存の視角は、堅牢で強固なものであるかのように装ってはいるが、実際には現実の経済を大きく歪めて見せる、いわば「歪んだレンズ」のようなものであるという。それに対して、MMTは現実の姿をありのままに見せる「歪みのないレンズ」であるというのが、彼らの自負である。 そうしたMMTからの批判に対して、「正統派」の側からは果たしてどのような反論が可能であろうか。その
<現在、世界および日本の経済論壇において、賛成論と反対論の侃々諤々の議論が展開されているMMT。その内実を検討する......> 消費増税を含めた財政をめぐる論議が続く中で、MMT(現代貨幣理論)に注目が集まっている。7月中旬には、その主唱者の一人であるステファニー・ケルトン(ニューヨーク州立大学教授)が来日し、講演や討論を行い、昨今のMMTブームを反映するかのように大きな盛り上がりを見せた。その模様は一般のマスメディアでも幅広く報じられた。 MMTの生みの親であるウオーレン・モズラーのSoft Currency Economics II序文によれば、その最初の契機は、国債トレーダーを経て証券会社の創業者となったモズラーが、1990年代初頭に当時「財政危機」が喧伝されていたイタリア国債の売買を行った時に得た一つの「発見」にあった。その把握が、それ以前からポスト・ケインジアンの一部に存在して
<増税論をめぐっては、政府債務の将来世代負担論がしばしば主張されるが、赤字財政政策は状況によっては将来負担を減少させる場合さえあることを明らかにする> 本稿は「財政負担問題はなぜ誤解され続けるのか」(2018年12月10日付)の続編である。この前稿では、「政府債務は必ず将来世代にとっての負担となる」という一般的通念が経済学的には誤りであることは、最も幅広く読まれてきた経済学の教科書にさえ銘記されていることを確認した。にもかかわらず、そのような政府債務の将来世代負担論は、政策論議の中で現在でも公然と主張されているのである。 本稿ではさらに進んで、赤字財政政策はむしろ状況によっては将来負担を減少させる場合さえあること、そして赤字財政政策の負担と呼べるものが現実にあるとすれば、それは政府債務それ自体というよりは、それを縮小しようとして行われる不適切な緊縮政策によるものであることを明らかにする。
<増税論にとっての最後に残された切り札のような役割を果たしてきた、政府債務の将来世代負担論。「政府債務はどこまで将来世代の負担なのか」。改めて以前とは異なったアプローチで説明を試みてみる> 安倍政権はこれまで、消費税の8%から10%への引き上げを2回延期してきた。それを再度延期するのか、それとも予定通りに2019年10月に実施するのかを決めるタイム・リミットが迫る中で、増税派と反増税派双方の訴えかけが再び熱を帯びつつある。 2018年12月に発売された『別冊クライテリオン:消費税増税を凍結せよ』には、藤井聡内閣官房参与、山本太郎参議院議員、岩田規久男前日銀副総裁など、これまで反緊縮の立場から発言をしてきた主要な論者の多くが寄稿している。それぞれの寄稿者たちの政治的スタンスは、保守派からリベラル派、安倍政権支持派から批判派にいたるまで、文字通り千差万別である。にもかかわらず、「現状は何よりも
<アベノミクスによって需要不足がほぼ解消されたことで、社会全体の生産可能性の拡大が、実質賃金の増加という形で、人々の厚生にそのまま結びつき始めた...> 日本の賃金上昇が、ここにきてようやく本格化し始めた。厚生労働省の毎月勤労統計によれば、5月の現金給与総額は15年ぶりの伸びである前年比2.1%増となり、6月のそれは21年5カ月ぶりの3.6%増となった。これは、この5年半に及ぶアベノミクスの結果、日本経済が1997年4月の消費税増税による経済危機を契機として始まった賃金・物価の下方スパイラルからようやく抜け出しつつあり、賃金が労働生産性の上昇を反映して増加するような「正常な成長経路」に復帰しつつあることを示唆している。 ブルームバーグ2018年7月9日付の記事「15年ぶり賃金上昇、人手不足続く」に掲載されている「賃金・雇用・生産性12チャート」には、この5年半のアベノミクスによって、日本の
<現在の世界経済を貫く経済政策上の基本的な対立軸は、もはや政治イデオロギーにおける右や左ではなく、「緊縮vs反緊縮」である...> 経済論壇の一部ではいま、本年の4月に出版された『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう――レフト3.0の政治経済学』(ブレイディみかこ・松尾匡・北田暁大、亜紀書房)が話題になっているようである。 ただし、ネット上の書評などをぱらぱらと見てみると、その受け取られ方は必ずしも好意的なものばかりではない。むしろ、この本に関する書評や論評に関して言えば、長々と書き連ねているものほど辛辣な内容で埋め尽くされていることが多い。そして、そうした執拗な批判の書き手は、明らかに右派ではなくて左派である。 同書がこのように、左派的な読者の一部から強い反発を受けている理由は明白である。それは要するに、同書が、左派的な人々が蛇蝎のように嫌っている現在の安倍政権の経済政策すなわちアベノミクスを
<日本の経済論壇をかつて支配した構造改革主義の政策命題が、現実そのものによって反証された> 日本経済に長期不況が定着しつつあった1990年代末から2000年代初頭の経済論壇を席巻したのは、何よりも「構造改革論」であった。テレビでは当時、ダウンタウンの松本人志が缶コーヒーを手にしながら「構造改革のキモは改革を構造することではなくて構造を改革することやね」としたり顔で語るコマーシャルがよく流されていた。そうした他愛もない禅問答のようなセリフを単なるシャレでなくて深い意味があるかのように勘違いさせてしまうような空気が、当時は確かにあった。 ところで、筆者は以前のコラム「黒田日銀が物価目標達成を延期した真の理由」(2016年11月25日付)の中で、黒田日銀が2%インフレ目標の達成を実現できずにいるのは、2014年4月に実行された消費税増税による予想外の消費減少という問題以上に、実際の完全雇用失業率
<これから再び大きな国民的論議の的になっていくであろう消費税増税。あえてこれまでの消費税増税の影響を検証する> 日本ではこれまで、1989年4月、1997年4月、2014年4月と、3回の消費税増税が実行された。そして、2019年10月には、4回目のそれが予定されている。それを本当に予定通り実行すべきか、あるいは再度延期すべきかは、これから再び大きな国民的論議の的になっていくであろう。 これまでの消費税増税を振り返ると、1989年のそれは、まさにバブルの最中に行われたということもあり、景気への悪影響がほとんど見られなかった。それに対して、1997年と2014年のそれは、きわめて顕著な負のショックを経済にもたらした。1997年の増税は、戦後最大の経済危機をもたらし、その後の長期デフレーションをもたらした。直近の2014年のそれは、1997年の時のような深刻な景気後退にはつながらなかったが、それ
<アベノミクスをどう評価するかが、今回の衆院選の争点の一つになっている。日本の雇用状況がアベノミクスの発動を契機として顕著に改善したことは明らかであるが、批判的な論者は、そう考えてはいない。真実は果たしてどちらにあるのか> 解散総選挙によって、これまでの安倍政権の4年半にわたる経済政策すなわちアベノミクスをどう評価するのかが、改めて争点の一つになっている。 第2次安倍政権が、持続的な景気回復を曲がりなりにも実現させてきたことについては、政権側も政権批判側もほとんど異論はないであろう。確かに、アベノミクスが本来その目標としてきたはずのデフレ脱却は、未だに完遂されてはいない。しかしながら、バブル崩壊後の1990年代以来20年間以上にわたって続いてきた日本経済の収縮トレンドからの反転は、この4年半の間に着実に実現されてきた。それはとりわけ、雇用についてより明確にいえる。 日本の完全失業率は、19
<現在の日本経済は、一定の景気回復によって雇用は改善したにもかかわらず、未だ十分な名目賃金上昇が実現されていない。その理由は何か。そして、今後の経済政策で重要なことは何か> 日本経済は現在、深刻な人手不足に直面しているかのように言われている。確かに、今年に入って、完全失業率はバブルが崩壊して以来久しく見ることが出来なかった2%台にまで低下した。有効求人倍率にいたっては、バブル期のそれを飛び越えて、高度成長の余韻が残っていた1970年代初頭の水準にまで改善した。 そうした中で、パートやアルバイトなどの非正規雇用の賃金は、明確に上昇し始めている。しかしながら、正規雇用も含めた就業者全体の賃金上昇トレンドは、未だにきわめて弱々しい。 日本の就業者の平均的な名目賃金すなわち額面上の賃金は、バブル崩壊後もしばらくは上昇し続けていたが、消費税増税を発端とする1997年からの経済危機を契機に下落し続ける
<増税などを早期に行って日本の財政を健全化すべきという主張には、政府債務の将来世代負担論=老年世代の食い逃げ論がある。今回は、その問題を考察する> 政界や経済論壇では、増税の是非をめぐる議論が再び活発化している。これまでの増税必要論の多くは、日本財政の破綻可能性を根拠としていた。筆者は本コラム「健全財政という危険な観念」(2017年6月27日付)において、そのような批判は基本的に的外れであることを論じた。 日本の政府財政が本当に破綻に向かっているのであれば、そのことが国債市場に反映されて、リスク・プレミアムの拡大による国債金利の上昇が生じているはずである。しかし現実には、1990年前後のバブル崩壊以降の持続的な「財政悪化」にもかかわらず、日本国債の金利は傾向的に低下し続けてきた。これは、少なくとも市場関係者たちの大多数は、日本の財政破綻というストーリーをまったく信じていないことを意味してい
<インフレ・ギャップが拡大してもいない中で行われる増税などの緊縮策は、1997年や2014年の日本の消費税増税がそうであったように、経済を確実にオーバーキルし、時には致命的な景気悪化をもたらす> 経済本の一ジャンルに、「財政破綻本」とか「国債暴落本」というものがある。その内容はどれも大同小異であり、債務の対GDP比などを示しながら、日本の財政状況が他国と比較していかに悪いかを読者に印象付けた上で、日本経済には近い将来、国債の暴落、金利の急上昇、政府財政の破綻、円の暴落、預金封鎖、ハイパーインフレなどが起きると「予言」するというものである。 こうした本の多くは、事実上は「トンデモ本」に近いものではあるが、それらをすっきりと論破することはなかなか難しい。というのは、本質的に同様なストーリーを語っておきながら、表面的には真面目な専門書として書かれているような本も数多く存在しているからである。さら
<「国債金利上昇=国債価格下落によって生じるキャピタル・ロス」問題を考察する。結論からいえば、問題は何もない。それでも、国債下落金融危機論が根深いのはなぜなのか> 本稿は、「日銀債務超過論の不毛」(2017年5月8日付)の続編である。筆者はそこで、「異次元金融緩和の出口局面において、日銀の剰余金はマイナスとなり、そのバランスシートは債務超過に陥り、円の信認が毀損される」といった、いわゆる日銀債務超過論が基本的に的外れであることを指摘した。 異次元緩和からの出口において、日銀の剰余金はおそらく減少するであろうし、一時的にはマイナスとなる可能性もある。しかし、仮に日銀のバランスシートが債務超過に転じても、それは出口における過渡期の現象にすぎない。というのは、「日銀の資産から得られる収益がその負債に対して支払う付利を将来にわたり恒常的に下回る」ことはあり得ないからである。 日銀の剰余金が減少する
<日銀の異次元緩和政策の出口局面に関する定番的批判に、「日銀債務超過論」がある。自民党の行政改革推進本部の「提言」も同様だ。これは結果としてデフレ脱却に向けた政府および日銀のこれまでの努力や成果をないがしろにするものだ> 日銀の異次元金融緩和政策に対しては、それはその出口で大きな金融上の混乱を引き起こすという定番の批判が存在する。筆者は本コラム「異次元緩和からの「出口」をどう想定すべきか」(2017年4月10日付)において、そのような批判は基本的に的外れであることを論じた。現在行われている異次元緩和政策の出口は、長期金利操作を通じてスムーズに行われることが予想されることから、金融市場の混乱がもたらされる可能性はきわめて少ないのである。 ところで、この出口に絡んだ異次元金融緩和政策へ定番的批判の系論の一つに、「日銀債務超過論」というものが存在する。それは、出口局面における日銀の財務に焦点を当
<異次元緩和政策はその出口において大きな金融上の混乱を引き起こすという脅迫めいた見方が流布されているが、金融市場の混乱や日銀の金融政策運営上の困難をもたらすという可能性はほとんどない> 2017年2月の日本の完全失業率は2.8%となり、バブル崩壊によってデフレ不況が定着した90年代半ば以降は久しく見ることができなかった2%台の失業率という数字がニュースのヘッドラインを踊った。他方で、運送業などの厳しい人手不足がしばしば話題になっているにもかかわらず、日本の労働市場全体としては、それほど目立った賃金の伸びは見られない。結果として、日本の物価上昇率は依然として低いままに留まっている。 これらの事実は、日本経済が完全雇用を達成したと想定できる「完全雇用失業率」が、現状の2%台後半よりもさらに低い可能性を示唆している。要するに、日本経済にはまだ、失業率をより一層低下させられるだけの「伸びしろ」が残
<トランプの側近中の側近、スティーブン・バノンの経済観は、「オルト・ライト・ケインズ主義」とでもいうべきものである。その特質と問題点とは> オルト・ライトすなわちもう一つの右派(Alt-right)とは、ドナルド・トランプが大方の予想を覆して米大統領選を勝利したとき、その政治的スタンスを表現するものとして、アメリカのメディア等で用いられるようになった概念である。それは政治的には、白人至上主義、反リベラル、反ポリティカル・コレクトネス、反エスタブリッシュメント等々によって特徴付けられる。そして経済的には、反移民や反貿易といった反グローバリズム傾向が顕著である。 そのオルト・ライトの政治スタンスを代表する人物とされているのが、大統領選挙ではトランプ陣営の選対本部長としてあの驚くべき勝利を導き、その後成立したトランプ政権では首席戦略官・大統領上級顧問に就任した、トランプの側近中の側近、スティーブ
<日銀が昨年9月に導入した長期金利操作政策が、結果として想定以上の効果をもたらした理由とは...。そして、「トランプ・リスク」をいかに抑止するか> 昨2016年は、日本銀行にとって、まさに試練の年であった。1月末には、中国を初めとする新興諸国の減速、2014年4月の消費税導入以来の国内消費の落ち込みを背景に、民間銀行の日銀当座預金の限界部分に対して0.1%のマイナスの金利を適用する政策を導入した。このいわゆるマイナス金利政策は、各種金利のさらなる低下を通じて住宅ローンや社債発行を拡大させる一方で、一部金融機関の収益悪化をもたらした。 そこで日銀は9月に、10年物国債の金利をゼロに誘導する、長期金利操作政策を導入した。これは、マイナス金利政策の導入以降にマイナスの領域に落ち込んでいた長期国債金利を引き上げ、イールドカーブをスティープ化させること狙ったものであることから、イールドカーブ・コント
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