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テクノロジーに関するwalkinglintのブックマーク (5)

  • 『恋空』を読む(2):ケータイに駆動される物語、ケータイに剥奪される内面 | WIRED VISION

    『恋空』を読む(2):ケータイに駆動される物語、ケータイに剥奪される内面 2008年1月31日 ITカルチャーメディア コメント: トラックバック (1) (これまでの濱野智史の情報環境研究ノート」はこちら) ■1. ケータイが駆動する物語――物語内のケータイに着目する (だいぶ間が空いてしまいましたが、)前回からの続きです。前回筆者はいくつかのケータイ小説論を取り上げながら、そこに「限定されたリアル」と呼べるような共通認識があることを確認しました。つまりケータイ小説は、「ある限定された読者にとっては『リアル』だと感じられるような内容が描かれているもの」として、いわば「カッコつき」の存在として取り扱われている、ということを意味しています。これを2ch系のまとめニュースサイト「痛いニュース」は、こうした認識を見事なまでに簡潔に、「『恋空』は2chねらには駄作だけどリア充には名作。もはやリアリ

    walkinglint
    walkinglint 2008/02/01
    > 『恋空』では、ケータイの存在によって登場人物たちの「内面」が切断され、「脊髄反射」的な行動が展開されていく。
  • 日記2003/02/

    複雑性と相互性、即時性。 このウェブを見たという 小田さん という人からメールをもらう。彼は芸大の学生で max/msp を用いて音楽やメディア・アートをやっているらしい。最近卒業展示をやっていると知り、この日観た。そこでは彼はおらず同じ環境で作品を作っている友人の 田口さん に彼自身のと 小田さんの作品 を紹介してもらう。 リンクから分かると思うが、小田さんの[ observation ]と題された作品を僕なりに説明してみると、複雑系のアルゴリズムが支配する場とそれに影響を受けるそれ自体は単純な振舞いをする対象を複数定義する。プログラムが立ち上げられると、諸対象は設定された初期値を参照し振る舞い始める。これら全体の振る舞いを合成したものが周波数変換され、変化する音と描画として表現されていく。対象は時々刻々とアルゴリズムの影響により相互に影響を与えあうので、当然僕が見聴きするものも結果とし

    walkinglint
    walkinglint 2007/07/25
    > それはこのテクノロジーの現時点での技術的な可能性の単なる羅列でしかないものが多く見られるからだ。その点に関しては両作品とも逃れられていない
  • Engadget | Technology News & Reviews

    Hands-on with the new iPad Pro M4: Absurdly thin and light, but the screen steals the show

    walkinglint
    walkinglint 2006/11/04
    なんていったっけ 例の絶滅した生物群... > 19世紀に実在したらしい蒸気機関六脚歩行マシン
  • PC革命は60年代ヒッピー文化の所産か

    1960年代が表すものは人によってさまざまだが、当時隆盛を極めたセックス、ドラッグ、ロックンロールに代表されるヒッピー文化がパーソナルコンピュータ革命を生みだすきっかけになったというのは当だろうか。 現代史のこういう見方はまだまだ型破りである。確かに、軍事研究への膨大な投資や市場に有利な税制が原動力となったという説であれば納得できるだろう。しかし、マリファナ常用者と徴兵忌避者の世代がパーソナルコンピュータ革命を生み出したと言われると、首をかしげる人が多い。 言うまでもなく、こうした議論には、酒場における酔った勢いのでまかせという雰囲気がある。しかし、そう簡単に片づけてしまってはならない。実は、Whole Earth CatalogをつくったStewart Brandが、10年前にこの説に対してなるほどと思わせる議論を展開している Brand は、1995年にTime誌に寄稿したエッセイで

    PC革命は60年代ヒッピー文化の所産か
    walkinglint
    walkinglint 2006/10/05
    > その中には、後に伝説となるHomebrew Computer Clubに所属するさまざまなコンピュータマニアたちも含まれていた。
  • アンカテ(Uncategorizable Blog) - Web2.0の中の無知の知

    三上のブログ:梅田×西垣対論 横浜逍遙亭:メディアの憂 朝日新聞に対論「ネット新時代 何もたらす 梅田望夫さん 西垣通さん」という記事が載ったそうだが、この二つの感想を読むと、なんとなく、よく見慣れた構図が繰り返されているように見える。 梅田ファンの多くは、こういう反論に傷しているのではないかと思うが、それは別にWeb2.0や梅田さんを何が何でも礼賛したいわけではない。むしろ、梅田さんと釣り合うような批判的見解を求めていて、当の意味での「対論」を見てから、どちらが正しいか自分なりに考えてみたいと思うのだけど、なかなかそれが見つからないという感覚だと思う。少くとも私はそう感じている。 ネットやシリコンバレーについての実践的知識で比較して梅田さんに釣り合う人というのは、基的には業界関係者になるから、それでいて批判的な人というのは、見つけるのが難しい。私の望みは無理難題だろうか。 いや、

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