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読むことに関するaozora21のブックマーク (26)

  • 37. 「あなたは傷ついている」と言われて癒されますか?:日経ビジネスオンライン

    気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン 日直のボウシータです。「共感」をめぐるお話の3回目。 前回書いたとおり、に共感を絶対的に求めてしまう人は、ほんとうは共感したい人だったのではなくて、共感されたい人だった。 来、あらゆる文の作者・執筆者と読者とは、個人と個人の関係である。敵とか味方である以前に、まず個人と個人だ。 ところがどういうわけか、自分が読む文の作者・執筆者に自分の「味方」であることを求める読者が多い。や記事を読むためにお金や時間を投資したのだから、自分の「味方」になってくれて当然なのだと。これは個人と個人の関係ではない。敵味方で動く世界になっている。 だから、「パトス的に納得できない」「おもしろさが理解できない」と感じたとたんに、「共感してもらえて当たり前」な思い

    37. 「あなたは傷ついている」と言われて癒されますか?:日経ビジネスオンライン
    aozora21
    aozora21 2009/07/08
    私は時どき文章を書く人はある時何か(不可解や理不尽)に傷つきその傷を治癒するために真理に挑むのだと思うことがあります。
  • 人間は書かれてあることではなく、読み取りたいことを読む - 狐の王国

    はてなブックマーク界隈が新バージョンの公開ベータテストも始まって非常に賑やか。そんな中、はてな株式会社の取締役でもある梅田望夫さんのはてなブックマーカーたちへの批判とも取れるtwitter発言が同ユーザーの間で話題のようである。 はてな取締役であるという立場を離れて言う。はてぶのコメントには、バカなものが当に多すぎる。を紹介しているだけのエントリーに対して、どうして対象となっているを読まずに、批判コメントや自分の意見を書く気が起きるのだろう。そこがまったく理解不明だ。 Twitter / Mochio Umeda これは恐らく以下の記事へのブックマークコメントのことだろう。 水村美苗「日語が亡びるとき」は、すべての日人がいま読むべきだと思う。 - My Life Between Silicon Valley and Japan(同ブックマークコメント一覧) この記事は俺も読んで

    人間は書かれてあることではなく、読み取りたいことを読む - 狐の王国
    aozora21
    aozora21 2008/11/10
    『でも確実に伝わる相手がいる。少しずつ少しずつだけど、伝わっていくのを感じる。100%伝わるなんてありえないけど…/「だいじょうぶ、あなたの言葉をちゃんと受け取った人はたくさんいますよ」』
  • トレーニングの重要性 - REV's blog

    http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20080424/p1 表情というと、審美的なもの、生得的なもの、と密接な関係があるのでアレだけど、Webで人気な「文章」で喩えてみるとどうだろう。 それなりに、相手にわかるような文章を書く人は、相手の文章を読み取れる可能性が高い。 逆に、ちょっとした質問を誹謗と解釈したり、言及を誹謗と解釈したり、無理のある喩えを連発する人は、読み取り能力が過小だったり過剰だったりする。自分が何かしら文章を書き、それが相手を動かし、反応を生み、反応を読み取って自分の「意図」と文章化された「実装」と、相手に与えたインプレッションと、相手が得た「解釈」、相手の解釈に対しての「反応」のチェーンを認識し、相手の反応に対して感じた感情をまた文章にし、という円環をつくり、回路を調整していくことで

    トレーニングの重要性 - REV's blog
    aozora21
    aozora21 2008/04/27
    なるほど…と思ってもなかなか難しいのだけれど。
  • 柔らかな頭と心 - こころの風景

    自分とは違う発想や考え方をする人が書いたものを読むと、「目からウロコ」だったり「ガツンと一発殴られて」目が覚めたり、目の前が開けたりすることがあります。ブログについて言えば、「読む=インプット」では、自分の考えの裏付をしてくれそうな記事ばかりを選んでしまい勝ち。「書く=アウトプット」でも、おおかたは記事に対する同意・共感の「そーだそーだ」と、中には「ヨイショ」のコメント。それだけを読んで満足していては(もちろんうれしいですが)、他の立場や社会を見るきっかけは失われて、見方や考え方が狭くなってしまいます。 私は自由に生きたいから、固定観念や自ら築いた信念からも自由でいたいと思います。常に「柔らか頭」でいたいものです。 ところが「頭」は柔らかにしていることはできても、困難なのは「感情」からも解放されることです。「その考え方は嫌い、肌に合わない」と、生理的な感情で拒絶してしまうようなことは往々に

    aozora21
    aozora21 2008/01/24
    意見や考え方は一致していても読みたくない、全く違っていても読む、ということもありますね。学んだり影響を受ける書き手はたくさん現れては消える(遠ざかる)ので課すようなことはないですね…
  • ■「兄の人生の物語」に関する会話(創作、障碍、当事者、書くこと、読むことなどについて) - 瀬戸風味@はてな

    読みやすいほうをリンクします。 lingr text - simple text formatter for Lingr lingr text - simple text formatter for Lingr ここでid:extrameganeさん、id:satomiesさんとお話ししました。 反応いただいたのでこちらも。 わ〜かったわ〜かった(つもり) - S嬢 はてな 12月17日の先生 - リーバイラオスー 元になったのはこちら。 どのような言及がされたかは、ブックマークの「含む日記」から読んでみるとわかると思います。 http://d.hatena.ne.jp/asianshore/20071209 はてなブックマーク - http://d.hatena.ne.jp/asianshore/20071209 参考として。この日では同エントリの言及から、創作方面のことをお話ししました

    ■「兄の人生の物語」に関する会話(創作、障碍、当事者、書くこと、読むことなどについて) - 瀬戸風味@はてな
    aozora21
    aozora21 2007/12/20
    『「(今回の件を)読んで知ることができた」と受け止めています。それを記憶し、継続して読んで知り、そしてできるならば他人にも伝える、という方向でやっていきたい、と思っています。』
  • 坂のある非風景 読むことの先にあるもの

    関川さん(関川夏央-引用者注)をお招きしたのは、学生たちにとっては「ほんものの作家」というものを目の当たりに見ることが、教師が百万語を費やして文学や批評について語るよりある意味で教化的であろうと考えたからである。 もちろん文学「について」、自分では文学作品を書かない(書けない)人間が語ることにも重要な意味はある。 けれども、ものを書く人のたたずまいというのは、現物を見ることでしか知れない。 教師はどうやって書くのかを説明できるが、自分は書けない。作家はどうやって書くのかをうまく説明できないが、現に作品を書いている。 これはどちらがいいとか、どちらが偉いとか言うことではない。 読むという行為からその最良の贈り物を引き出すためには、この両者の協働が必要なのである。 結局私たちは、話をきくこと、何よりも読むことからすべてを学ぶ。書かれたものさえあれば、そのひとと出会うことができるということで、読

  • http://akky0909.blog.drecom.jp/archive/945

    aozora21
    aozora21 2007/12/18
    『この題材について何かを書くということが関係者の間だけに囲い込まれるような結論にならなくてよかった、と思う。』私もそう感じました。
  • http://blog.goo.ne.jp/funamushi2/e/f6301d19ae53d650aea68c39943531bc

  • ERRP | Expired Registration Recovery Policy

    Please notice: This domain name registration has expired and renewal or deletion are pending. If you are the registrant and want to renew the domain name, please contact your registration service provider. Bitte beachten Sie: Diese Domainregistrierung ist abgelaufen und die Verlängerung oder Löschung der Domain stehen an. Wenn Sie der Registrant sind und die Domainregistrierung verlängern möchten,

    aozora21
    aozora21 2007/10/14
    『「活字離れ」とは実はそうしたムラ社会に起きた「過疎化現象」なのだ。』
  • 瀬戸風味@はてな - 書け書くな

    半ワク内で話題になっている自己評価話で、誰かが「発泡スチ神」とか「バなんたらオキ神」がどう、とか言い出しそうだな*1などと思っていたが特にそういう話は出てこなかった。 *1:IDが三文字の人とかが 満腹度0*1の状態だと便利テクニックやセオリーなんて役に立たないしそもそも馬鹿正直にそれに従ってたら死ぬよな、とか。「毒草を敵にぶつけると鈍足状態にしてノーダメージで倒せるぞ!」とか「かつおぶしは使い捨ての剣に合成しましょう」とか。 「歩いてれば体力が回復する」というシステムが無くなっているのだからその状態とは違うセオリーが必要になる、といえばそれほど不謹慎でもないか。 *1:一歩歩くとHP減る webに書くことについて、案外、自分の中で「詳細に書けよ」と「詳細に書くなよ」は同居している。それは自分に対して、自分の書くという行動の基準を調整する行為でもあるし、また他人に対して、読者としての俺から

    瀬戸風味@はてな - 書け書くな
  • REVの日記 @はてな - ちょっと説明

    ちょっと説明 2007年07月07日 REV 「「前提の採択」と「論理演繹」の分離ができていない。」短いけど真理。 http://b.hatena.ne.jp/entry/http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/sjs7/20070706/1183722718 こんな文章を書いた。 もともと、 URL: http://d.hatena.ne.jp/sjs7/20070706/1183722718 というエントリーへのブックマークに、 2007年07月07日 bluesy-k 「前提の採択」と「論理演繹」の分離ができていない。バックグラウンドによって論理的であったり論理的でなかったりはしない。前提の妥当性に対する評価が変わるだけ。/ http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/

    REVの日記 @はてな - ちょっと説明
    aozora21
    aozora21 2007/07/09
    『「前提の採択」と「論理演繹」の分離ができていない。」短いけど真理。:思考の論理的一貫性が、結論の正しさを保証しない、という概念を形容している』
  • 優れた読み手 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    よき読み手、優れた読み手という人たちが実はいるのではないか、と半ば都市伝説的に思っている。 文章を読む能力というのがある。識字や速読の話ではなく、ある文章を読んで、文意や文脈を過不足なく理解する力である。書いてある字面そのままでなく、ある程度行間や文脈全体の流れを読み取る。しかし自分自身の思い入れを入れ込みすぎて文章を誤解する、あるいは(無意識のうちに)勝手に自分流にアレンジして解するということはしない。そういうバランスの的確さをもつ能力である。 これを会得するのはかなり難しい。単に文章を多く読み込むだけでなく、言語に関する知識、人間の心理や人間関係に関する豊富な経験が必要になる。 しかし、優れた読み手になるには、そういった読解能力だけではまだ足りない。読解能力だけでは、ただ表現された文章の内容を的確に読み取れる、というだけである。そこにある情報は、書いた人がすでに持っているものにすぎない

    優れた読み手 - 深く考えないで捨てるように書く、また
    aozora21
    aozora21 2007/06/30
    作文の巧さと中にある物の豊かさは必ずしも一致しないかもしれませんね。それと、言語化する能力とも別なような。あるかもしれないけど誰にも見えない。
  • くたびれる - 深く考えないで捨てるように書く、また

    ネットでいろいろな文章を読むのは好きなのだけど、やはり時々くたびれる。 を読むのと違い、短時間のうちにさまざまな異なる立場の意見や感覚を大量に読んでしまうので、その多様性についていけなくなる。人間の脳髄の限界か。いや、私の限界なんだろうけど。 直接の感覚で感じるものには安心感がある。それは、そういった直接に感じる感覚は、一度に流入してくる情報量に必ず限界があるので、感覚器自体が律速段階になって、受け取る側のオーバーフローを自然に防いでくれているからなのだろう。人間は網膜に映ったもののごく一部しか「見て」いない。鼓膜を揺らした音声のごく一部しか「聞いて」いない。 なんのことはない、人間は頭に入ってきた文章のうちごく一部しか「読んで」いなくて、さらにそのうちのごく一部しか「理解して」いなくて、さらにそのうちのわずか一部しか「受け入れて」いないのかもしれないな。 それでちょうどいいのかもしれな

    くたびれる - 深く考えないで捨てるように書く、また
    aozora21
    aozora21 2007/06/22
    『人間は頭に入ってきた文章のうちごく一部しか「読んで」いなくて、さらにそのうちのごく一部しか「理解して」いなくて、さらにそのうちのわずか一部しか「受け入れて」いないのかもしれないな』のだと思っています
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    オーベルジーヌ実レポ べ物の鼻塩塩(未だに通じるのかな) オーベルジーヌというカレーをご存知だろうか 都内にあるデリバリー専門のカレー屋で、 ロケ弁などで大人気の格欧風カレーが楽しめるらしい いいな〜 いいな〜オブザイヤー 都内の奴らはこんな良いモンってんのか 許せねえよ………

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    aozora21
    aozora21 2007/05/30
    読むのは論文志向、書くのはポエム。なワタシ。
  • ドリコムブログサービス終了

    サイトをご覧いただくには Adobe Flash Player が必要になります。 お手数ですが、下記のリンクよりダウンロード後に、もう一度ご覧ください。 ドリコムからみなさまへ ドリコムブログユーザーの皆様。当にありがとうございました。皆様とブログを通じて繋がっていられたこの数年は、我々にとっての誇りです。時に叱咤を、時に賛辞を、その全てがドリコムブログを形作っていたのだと痛感しております。今度お会いする時は読者とブロガーとして、再び繋がらせて頂ければと思います。 これまでドリコムブログを愛用していただきまして当にありがとうございました。サービスが続けられなくなりましたこと大変申し訳なく感じており、ここまでご利用いただけましたこと深く、深く感謝しています。これからもブログという文化を楽しんでいっていただけますと幸いです。 ドリコムブログユーザーの皆様へ。ブログ創世記から利用いただき

    aozora21
    aozora21 2007/04/01
    激しく。もっと言えば、人柄や性格を見抜く能力って、その人の人柄や性格だって影響しているわけで、一面的な評価でしかないと思ってる。
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    うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かししてを読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…

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    aozora21
    aozora21 2007/03/17
    『嫌悪感を表出させた時点で、僕はそれ以上に考える事を停止させてしまっていることを自覚していたから』私もつい<嫌悪感 そういう時は一呼吸して「何がしたいんだろう」と考えることにしてるんだけど、ついつい。
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    うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かししてを読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…

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    aozora21
    aozora21 2007/03/06
    『何を書いたって結局文学行為というのは、政治からも経済からも切り離されて、独自のエナジーで大回転する膂力を持ちうることを、気づかせてくれる』天動説を信じていても「陽が沈む」と言うと最近読んだ本にあった
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    うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かししてを読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…

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    aozora21
    aozora21 2007/02/24
    『え、感情移入?とんでもない、突き放して読むのが一番、或いは読まないほうがいい。』
  • 2007-01-28

    自分は「メディアはマッサージ」というのを「メディアに"触れている"ということは、同時に"触れられている"ということでもある」という意味だと理解しているんだけれども、こういった部分があまり語られないな、と思ったのでいくらか書く。 いわゆるブログ論的な文章を大雑把に分けてしまうと、「書くこと」に関することと「読むこと」に関することの二つになるように思う。 「書くこと」なら、「共感を呼ぶ文章を書きましょう*1」であるとか、「書かれたものは世界中に発信されるのです*2」であるとかで、「読むこと」なら、「人は信じたいものを信じる*3」であるとか。「何を言ったか、誰が言ったか*4」の問題あたりは両方含むんだけど、それでも「書く」と「読む」は別々の問題として処理されている印象。 これらはどれも有意義なものだとは思うんだけれども、webというのは双方向性がウリなわけで、「書く」「読む」をスッパリ分けてしま

    2007-01-28
    aozora21
    aozora21 2007/01/31
    『「他者」がいるからこそ自分はこうして何か行動を起こしているのだ、という意識がもっと普及すればいいのになあ、ということは思う。』他者が自己を補完するという関係性によって成り立つ<blogコミュニケーション
  • http://blog.drecom.jp/akky0909/archive/865

    aozora21
    aozora21 2007/01/11
    『僕は僕の価値基準に合わない作品に「(ホンモノの)文学」というカテゴライズをしないといいましたが、それはその作品がただそれだけの理由で面白くないとか、読む価値がないということを意味しません。』ですね。