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<武道必修化>中学校に道場新設へ 来年度予算要求60億円(毎日新聞) - Yahoo!ニュース 関連エントリー⇒Interdisciplinary: 必修化 そんなに予算を割いてまでやる事なの? 武道というのは本質的に、暴力的な要素を含むものだから、高い精神性を持った指導者が丹念に指導していくのが重要でしょう。それをきちんと考察・研究せずに、まるで、「武道を経験する事そのものが、精神性を高める」、というのが自明であるかのように、安易に決定されているように思います。 まあ、必修化はもう決まったようなので、高度に記号化、あるいは様式的であって、競技の色合いが薄いのをやらせるのが良さそうに思います。型武道とかね。「簡単には使えない」ものをやらせる。日本剣道形とか柔道の型だけやる、とかどうでしょう。剣術の型ならば、たこやきさんも仰ったように体育館で出来ますし、木刀を使うので、慎重に道具を扱う、とい
先日より言及している、福島県全域および宮城県の一部において「患者調査」を行わない、という事について、ある程度情報が集まりましたので、取り敢えずまとめておきます。 ●話の流れ その前にまずは、どういう経緯でこの話題が広まっているか、流れを押さえておきましょう。 ▽発端 確か、何か調べ物があって、twitterのリアルタイム検索で見つけたのだったと思います。そこで、福島県や宮城県において、「患者調査」が行われないという事が、驚きをもって紹介されていました。そして、次のページにリンクが張られていました。 白血病急増のネット情報に関し日本医師会に、引き続き「患者調査」について厚生労働省に電話照会を行った 宮島鹿おやじ ここでは、投稿者が、先日広まった「白血病が7倍(省略して表現)」という情報に関連して、医師会および厚労省に問い合わせを行った経緯が詳しく紹介されています。まず医師会に、白血病に関する
情報求む――患者調査において、「宮城県の一部地域及び福島県の全域について調査を行わない」事について: Interdisciplinary の続きです(話の流れは、前のエントリーとコメント欄を参照下さい)。 この件について、より詳しい資料を見つけました。 統計分科会審議会議事録|厚生労働省 関連する部分を引用します(強調、下線は引用者による)。 ○早川統計企画調整室長 続きまして資料5をお開きください。こちらで「厚生労働省における東日本大震災の対応状況」ということで、1枚付けてございます。 ここに掲げておりますのは、特に基幹統計調査における震災の対応状況をとりまとめてございます。数的に言いますと、○の2つ目にありますけれども、大震災に対して特別な措置を講じたものということで、大きな被害を受けた地域を対象地域から除外するというものが3調査、それから調査の対象、項目の限定などを行ったものが2調査
厚生労働省における東日本大震災の対応状況(PDF) ここにある、患者調査において、「宮城県の一部地域及び福島県の全域について調査を行わない」事について、詳しい理由をご存知の方がおられたら、教えて頂けないでしょうか。調べても見つからないのです。 どうしてそれを知りたいかと言うと、この情報に基づいて、政府は重大な病気に罹った人が増加しているのを隠そうとしているのではないか、と主張している意見が今ちらほら見られるため。 こういうのは、直感的な印象に基づいてものを言っては危険で。もしかすると、自分では気付けない合理的な理由によって決められた事かも知れない、というのを念頭に置いておくべきでしょう。 今twitterをリアルタイム検索すると(例:「患者調査 福島」の検索結果 - Yahoo!検索(リアルタイム) )、数件見られる程度ですが、この種のものは、いつのまにか爆発的に広まっている事があるので。
指摘しておいても良いでしょう。 片瀬さんは、言及対象の年代や属性について不用意に触れ過ぎなのです。 それに基づいて批判の仕方をコントロールしている、というのをこれまた不用意に表明するのはどう考えても隙を生むでしょう。普通そういう態度を見たら、「相手を見くびっている」とか「先輩面している」などと看做されて当然です。 師匠が弟子を鍛えている訳でもあるまいし。 別にそんな複雑な話でも無く。そういうのは控えた方がいいですよね、という事で。 お前は気を付けてるのか、と言われそうですが。 はい、相当に気を付けています。
はてなブックマーク - Twitter(別名デマッター)でネットジャーナリストを釣る方法(フリージャーナリスト) - 愛・蔵太のもう少し調べて書きたい日記 見知った名前もいくつか見られますし、訊きますが。 あなた達は、この種の「釣り」も時には重要な役割を果たすのだ、みたいな認識を持っているんですか? そんな行為によって何が齎されるのです? 浅はかな事をしてきた人達の本質的な不用意さが炙り出される、とかそんなのですか? それとも、本人が不用意さに気づいて自戒する、みたいな事が期待される、とか思っているのですか? こんなの、そもそも(挙げられた対象の)浅はかさを知っている人々が、実際に対象が釣られたさまを見て嘲る、以外に何かあるのですか。何らかの生産的な方向に行く可能性があるのですか? 本人達が自戒する? そんな事があり得るのですかね。あんなやり方で。私には想像も出来ませんが。 まさか、人の無
マンガ形式で、ダーウィンの半生と進化論の説明を描いた本。 大変読みやすく、解りやすい本でした。画風やギャグのセンスは古いので、そういうのは好みが分かれるでしょうが、昔からマンガをよく見る人は、懐かしい感じで読めるでしょう。 ただ、私は生物学や進化論の勉強がそもそも不足しているので、記述がどこまで正確なのか、という判断が難しい所。色々書評を見てみると、概ね好評なようですが(Amazonレビュウに、手放しで賞賛、的なものがあったので、それは排除した)、出来れば関連の知識に通じている人の意見をうかがいたい所。c_Cさんや梨さんや黒影さんやNATROMさん辺りの。 もし、学術的な正確さが確保されている、というものであれば、これは進化論への導入としてかなりお勧め出来るのではないか、と思うのですが、いかがでしょう。 2011年11月24日追記:コメント欄にて、complex_catさんに大変参考になる
何か稀な出来事が起きた場合に、その時に自分が着目しているものと結びつけて考えようとする事、ありますよね。 今だと、「放射能」。何千人に一人しか罹らない疾患の人がいる、という情報があった時に、「放射能(←象徴的にこういう表現がされる)の影響ではないか」と結びつけて考える、というようなもの。 それで、そういう拙速な論に対して、批判が色々加えられる訳ですね。論として明快で、批判として合理的なものがある。 でも、そういう場合に気をつけておかねばならないのは、ちゃんとした説明でも、必ずしも相手やギャラリーに通ずるとは限らない、という所です。 どういう事かと言うと……。 たとえば、○○病という病気に罹った人が出たようだ、といった情報が、twitterなりブログなりでもたらされたとします。そして、その情報を得た人は、これはあの事に関係があるやも知れない、と考えて、今度はtwitterやブログで発信する。
原発業界御用学者リスト @ ウィキ - エア御用とは? ※2011/11/03の9時38分参照 えっと、「エア御用」という言葉は概ね、ここにある説明を踏まえて用いられている、と考えて良いですか? それを前提として進めます。 「エア」は「エアギター」とかの「エア」 空気椅子やエアギターのように、そこにないはずのものが、あたかも存在するのように振舞っている。 エアギターは、「ギターを弾くフリをする」事じゃないんですか? 一般的に言うと、「エア+○○」とは、「○○するフリをする」となると思いますが、それで言えば、「エア御用」は、御用の「フリをする」て事ですか? もっと言うと、エアギターは普通、ギターを構えて弾くフリをするのをそうは表現しませんよね。何も持たずに弾くように見せかけるのをそう言う。 じゃあ「エア御用」は、実際には御用的な振る舞いをしていないのに御用っぽいフリをする? え? エアギター
はてブで高岡氏の話になったので、少し。 高岡氏は、『空手・合気・少林寺』などで、大変優れた論考を書いていますね。力学的関係が云々、みたいな事もそこで出てきます。私の論は高岡氏の論に拠っている所が大きくある(その上で無駄な所を排除し洗練させようとしている)ので、結構共通しています。 また、近年の合気論においても、かける側とかけられる側との協力関係によって成り立つものを、「人文―社会科学的メカニズム」などと高岡氏は呼んでいます。要するに、師弟関係であるとか、「技を信じたい」心理などが、「自分はわざとやっていない」のに「倒れてしまう」といったような現象を成立せしめる、という論理。そういう現象を経験すれば、「技は本物」との認識が強化され、益々それらの「触れずに倒す」みたいなものを追い求めていく、という循環的な構造が形成される可能性があります。 つまり、合気という「現象」は、純粋に力学的・生理学的な
タイミングとパッケージ(光文社新書「もうダマされないための『科学』講義) (Chromeplated Rat) 肩こりの原因・症状・予防 (肩こり 解消法) [徒然]少数分類が、既に現代の心理学からは遅れていると思われる点について。 (Fragments) [専門家と素人][ニセ科学]科学コミと熱意の非対称性の問題(とおまけ) (思索の海) わたしもいっちょう黒歴史を曝すか。 (A Translator Like Croton Leaves) [雑談]どうやら恥じらいつつも自分の黒歴史を公表するのが流行っているようなので (ベムのメモ帳Z) 人に黒歴史あり (ばらこの日記) 視線制御の運動共鳴 (哲学はなぜ間違うのか?) 応力 (Chromeplated Rat) レメディを考える (杜の里から)
このようなものを見かけました⇒茂木健一郎さん kenichiromogi 「サンプリングは、もしやるとしたら、まじめにやった方がいい。」 - Togetter ※アットマークを外した これは、twitterにおいて茂木健一郎氏が世論調査についてつぶやいたのをまとめたものです。その意見を見ていて、ちょっと首を傾げた所がいくつかあったので、検討してみます。 さま(1)そもそも、統計には限界がある。「5年後に生存している確率が30%」と言ったって、自分が実際に5年後に生きているかどうかは0%か100%のどちらかだ。それでも統計的真理を追うのはある程度は仕方がない。問題は、サンプリングをちゃんとやること。 統計的なデータが、個人に起こる出来事を完全に予測出来るものでは無い、というのはその通りです。起こってしまったらその人にとっては100である、みたいな言い方もしばしば見られます。しかし、その事が、
感想。 良い素材を買い込んできたが、それをよく下処理もせずにぶち込んでごった煮にし、デザートを食べたがっている人のテーブルに置いた、という感じ。 個別の記事は面白い。けれど、「誰に向けた本?」というのをすごく感じた。どんな層に届けたいんですか? この本を。 なので、これまで科学というものを意識してこなかったけれど、このご時世だし、ひとつ勉強してみたい、みたいな人には、私にはこの「本」は勧められない。 色々な話題について、その話に関してはこの本にある記事が参考になるだろう、という風に教える事はあるだろうけれど、それくらい。初めからこの本を興味深く読める人は、そもそもある程度科学に関心を持っている人ではないかと思う。そういう人が知識を得たりするのにはそれなりに役立つ、というか。 少なくとも、公式サイト もうダマされないための「科学」講義 菊池誠、松永和紀、伊勢田哲治、平川秀幸、飯田泰之+SYN
はてな匿名ダイアリーに、このようなエントリーが上がっていました。 ※以下、はてなの慣習に従い、エントリー及び書き手の事を「増田」と表記する 「ある体操法と出会って1年で人生が変わった」話を頼むから拡散してくれ そして、ここに、はてなブックマーク(以下、はてブと略す)がたくさんついています。はてなブックマーク - 「ある体操法と出会って1年で人生が変わった」話を頼むから拡散してくれ 今見た時点で、1600近く。はてブで1000超えというのは、上位にランク入りするくらいの相当な数ですが、健康情報的なものではしばしば見られます。はてブ界隈では、体調不調を改善するメソッドに関心が大きい、という事なのでしょうか。 さて、当該エントリーでは、高岡英夫氏が創始したメソッドである「ゆる体操」が絶賛されており、自身が体験したエピソードを拡散して欲しい、とアピールされています。長年困っていた体調不良が劇的に改
twitterアカウントを消しました。 やはりこのメディア、議論的な事を行うにはちょっと難しいものがありますね。 時間的なタイミングや文字数から、短文がものすごく複雑に絡んでTLが形成され、それを他人も共有しているものだと思い込んだり。その結果、他のメディアであれば起こらなかったであろう諍いや争いがどんどん起こる。 それがニセ科学関連の議論でも起こってきて、もう疲れたし、少なくとも自分には建設的な議論を深めていく事は無理だと認識しました。色々な人が仄めかしまくって直接ものを言わず、どうせ見ているであろう、気づいているだろう? みたいな雰囲気だったりね。どう考えても気持ちの悪い在り方でしょう。異様です。さすがに耐え切れません。耐え切れないので消して見ないという単純な話です。 ひたすらに趣味的な事をつぶやくものとして使っていれば、もっと楽しめたのかも知れませんね。 ブログは、もうニセ科学の話は
昨日、WEBラジオを聴いていた所、日笠陽子氏と花澤香菜氏による興味深い会話が耳に入ってきた。 TVアニメもしドラ 「程高放送部~もしドラジオ~」 - ウェブラジオ - アニメイトTV ※2011年8月15日配信分 以下、その会話部分を文字起こししてみよう。 ※2:30あたりから ※以下では、発言者として、日笠陽子氏を「日」 花澤香菜氏を「花」で示す 日:「8月15日誕生日の人多いんだよ。」 花:「えっ? なんでー?」 日:「…なんでって言われたら…(一同笑い)…それはーもうなんか、なんだろう、天からの授かりものなんで、ちょっと、それはちょっとよく……」 花:「(食い気味に)え。それは統計をとったのひよっちが? ※”ひよっち”とは日笠氏の愛称である」 日:「いやー、なんか、知り合いの人がわりかし、”わたし8月15日なんだよねー、たんじょうびぃ”みたいなこと…」 花:「(食い気味に)えーそうい
血液型性格判断への批判でよく見るもので、このエントリーのタイトルのような事を主張する人がいます。 でもそれは、少々的を外しています。別に、ヒトの人格・性格というものが、比較的少数の類型に分けられてはいけない理由は無いのですから。 ここで、参考になる文章を、人格心理学の本から引用してみます。 人格の類型論は,以上のように人格を比較的少数の類型によって説明するものである。しかし,このような考え方に対しては,いくつかの問題点が指摘されている。その主要なものは,まず,多様な人格傾向を少数の類型に分類することは困難であるという批判である。たしかに,複雑な人格のすべての面を一定の型に分類することは無理である。しかし,類型論の本質は分類やカテゴリー化ではなく,類型概念によって人格の本質的な部分が説明可能であるということである。 また,類型間の境界が不明瞭であるという指摘もあるが,類型論では本来各類型の典
これよりあれの方が重要で大きな問題だ、と言う人に訊きたいのは。 その順位を判断するものさしは何ですか? どのような観点から、問題の「大きさ」を評価していますか? 仮に(仮にです)順位を決められるとして、優先順位の高いものから順番に批判していかなければならないのですか? つまり、「大きい問題」から「小さい問題」へと、批判の割合について、「問題の大きさ」に応じたリソースの配分をせよ、とでも? ニセ科学を批判するのが「科学者のみ」だと思っていませんか? あるいは、「ニセ科学を批判する者」の部分集合たる「ニセ科学を批判する科学者」を、「ニセ科学批判者」という言葉で表現していませんか?
といっても別に、どこかの出版社から出す、なんて話ではありません。 パブーという、電子書籍作成サービスがあって、そこで作成しました。 内容は、科学とはどういうものか、どういう風に付き合っていくのがいいのか、といったものです。ブログで書きためていたものを加筆修正したり、書き下ろしたりしました。文字数は、11万文字程度で、大体新書くらいです。 今回は、ある程度の分量で、コストも少しかかりましたので。有料としました。80円。ある種の冒険です。10ページ以上試し読みが出来るように設定したので、読んで興味を持ってもらえれば幸いです。 「科学的」に考えるために - TAKESAN | ブクログのパブー 業務連絡 twitterで、私が書いたら読む、と言って下さった方には、お礼として、無料で差し上げます。 kaimai_mizuhiro aburanokoji Eukleideath satodainu
このご時世、放射性物質への曝露(さらされる事)に関する議論が激しくなされるのをしばしばみます。原発事故という重大なきっかけがあり、私達の健康に直接関わり得るシリアスな事柄ですので、時には相手を痛罵するような物言いも見かけます。 よくなされるのが、「放射線被曝による健康影響を防ぐ、あるいは曝露による健康被害(があると前提して)を改善する」という触れ込みで、特定の食べ物などを勧める人と、それに反対する人とのやり取りです。 そこでは、片方が「効く」と言い、もう一方が「効かない」と言う。あるいは、「効かない」という意見に対して、「全く効かない証拠はあるのか?」とか、「効かないと言うのなら自分で検証してみるべきだ」といった反論が出てきます。 どうもそういうのを見ていると、「効く」「効かない」という言葉に関する意味の捉え方が噛み合っていないように思えます。また、「効か無いと言うなら検証せよ」といった反
ニセ科学の議論において、「態度」が問題になる事があります。ばっさり切り捨てるような物言いだったり、他者を罵倒するような言葉遣いだったり。 ニセ科学を批判し、それをニセ科学支持者に理解(同意・賛同)してもらうというのは、相手の信念や認識を変えさせる事にほかなりません。 しかし、ニセ科学を信ずる人も、「ただ適当に」信じている訳ではありません。その信念が形成されるには、色々な人の話を聞いたり文献を調べたり、あるいは身近の人の力になりたいという動機があったり、あるいは自分自身の知識を向上させたいという真剣なきっかけがあったりと、様々な経緯、もっと言えば「歴史」があるはずです。その意味で、支持している側だって真面目なのだ、というのは基本的な認識として持っておくべきでしょう。 そういった人達の認識を変えたい、というのはつまり、「説得」の文脈を必ず含むという事です。 言われる側の事を考えてみます。 先日
昨日の続きです。昨日は、「3)」が最も根本的な部分だと思い、長文にもなりましたので、そこだけ独立させて上げました。 ※引用元⇒サイエンスコミュニケーションで素人にできることを考える(改題)(2) - ばらこの日記 ○発掘 1)金を払ってでも読みたい人を発掘する。 よく本を出している論者以外にも、WEB上に優れた方は沢山おられますね。アンテナを張って、そういった方を補足して紹介する、というのは意義がある事だと思います。 探すコツとしては、はてな辺りの情報に目を向けておく、などが良いかも知れません。はてなブックマークを使うとかですね。そうすれば、様々な方面からの情報が手に入り、優れた論者を見つける事が可能になるでしょう。興味深いブックマークをよくするブックマーカーを押さえておく、というのもありますね。「ニセ科学」タグなどで探すと見つかりやすいです。 ○勉強 2)自分が少しでも勉強して受信能力を
ばらこさんのエントリー⇒サイエンスコミュニケーションで素人にできることを考える(改題)(2) - ばらこの日記 3)もし、自分が過去にトンデモな情報を信じていたとか、信じるだけでなくて他の人にも自信満々発信していたとか(私です)そういうことがあれば、そのプロセスをできる範囲で言語化し公開する。それは必ず同じ轍を踏む人が立ち戻る際の参考になる。だまされる人が減れば「だまされる人を減らす」ために費やされているエネルギーをもっと生産的な方向に振り向けることができる。 この部分について、私自身を例にして記述します。今まで何度か書いてきましたが、時系列に沿ってまとめて書いてみましょう。 特に普遍性も無く、そのまま他者の参考になるものでもありませんが、トンデモ的言説に親和的であった人間の変遷の事例として見てもらえれば良いかと思います。 ※ここで「トンデモ」とは、オカルトや超能力、ニセ科学的な言説の総称
何日か前に、抜刀時の手(鞘離れまで)に関して気づきが得られたのでメモ。多分、この視点から考えている人はほとんど存在しないと思う。 はっきりとは解らないように列挙(きちんと書くには知識とデータが不足しているので)。 手。握り締めるかどうか。 握り締め、手によって刀に与えられるトルク。 鞘と刀身。刀身の向き。レール。刀身の回転が与える何か。 鞘と刀身。摩擦。金属と木(油含まれる)。 持ち方。クリップ。人差し指側。指が与える力の方向と数。引き摺る。 手と柄。摩擦。動摩擦係数。ギリギリ離れない。 ヒンジ。柔らかい構造。 握り締め。固定。固い構造。要らない内力(と言っていいか?)。刀身の運動に必要最小限の外力。 鞘離れまで。並進運動中心。回さない。 測定。達人。鞘離れまで。前腕の筋群。おそらく強くない。鞘離れ以降に強烈に活動か。 「刀はどう運動すべき」を考えよ。合目的性。刀を中心に。
昨日twitterでも書いたのですが、この本は、科学コミュニケーションの領域において大きな意味を持つ本となる可能性を持っているのではないかな、と思います。 というのも、いわゆる科学コミュニケータや専業の科学者が書く物と比較して、想定される、言説が届く広さ、層、総量、などが全く違う、と考えられるからです。森氏は著名な小説家ですので、潜在的に獲得し得る読者層は幅広く、人数も多いでしょう。「科学」にそこまで強い興味を持っていなかったが、森さんが書いたものなら、と思って手にとる、という人もいるでしょうし(森氏の本が好きなら既に科学に興味がある、という人も多いかも知れないけれど)、新刊書として書店に平積みされていれば(私が買った書店ではそうだった)、著者を知らない人でも目に入る可能性も高いでしょう。いわゆる「桁違い」の影響力を及ぼし得るであろうな、と。そして、その結果(及ぼした影響の程度)はデータ、
まず、科学というのは「方法」である。そして、その方法とは、「他者によって再現できる」ことを条件として、組み上げていくシステムのことだ。他者に再現してもらうためには、数を用いた精確なコミュニケーションが重要となる。また、再現の一つの方法として実験がある。ただ、数や実験があるから科学というわけではない。 個人ではなく、みんなで築きあげていく、その方法こそが科学そのものといって良い。 森博嗣 『科学的とはどういう意味か』 P107 森博嗣による、「科学とは」「科学的とは」どういったものか、に関して自らの経験に基づいて書かれたエッセイ。言わずと知れた「理系作家」の書いたものであり、個人的にも一番好きな作家であるので、刊行前から注目していた。 本書では、エンジニアとしての森(彼は自身を「科学者」とは言わない)の、大学教員としての生活――教育や研究の経験――などが踏まえられ、「科学」とはどういったもの
twitterにて、タイトルのような話があるらしい事を知りました。 『水は答えを知っている』が入試問題に採用されました|TAKE ACTION FOR JAPAN エモトピースプロジェクト リンク先によれば、中学校の国語の入試問題で、『水は答えを知っている』の文章が採用されたとの事です。 リンク先から解る事を列挙してみましょう。 採用したのは、東京の村田学園小石川女子中学校という学校らしい 採用されたのは、江本氏の『水は答えを知っている』らしい 引用されたのは、ジョアン・デイヴィス氏に関する記述の部分らしい 試験作成担当の先生の意図としては、”先生のお話では、「将来的に大学教授になる位の夢を持って欲しい」という気持ちを込めて本書の文章を引用されたそうです。”という事らしい ここで、当該著作の、「ジョアン・デイヴィス」氏に関する記述の部分を引用してみましょう。※引用文献は、サンマーク出版、江
せいぜい、研究対象の大まかな分類に使う(人文・社会・自然 の分類に似たように)、あるいはそれに関連して、高校の学科の分類を示す、程度に留めておくべきでしょう(でも、商業系や工業系や情報処理系はどう分類する?)。 そこから一般化して、「文系/理系 それぞれに属する者が一般的に持っている思考の傾向がある」といったような判断は安易に行うべきでは無いでしょう。例:「文系は論理的思考力に欠けている。」 「理系は頭がカタく融通が利かない。」 もし、理系文系それぞれの一般的な傾向を本気で主張したいのならば、「調べる」必要があるでしょう。主に社会心理学的に。○○に属する人間の□□%くらいの割合の者は△△だ、といった具合に。そういう証拠を提示する準備はありますか? もしそういう証拠の提示が必要無く主張出来る、と言うならば、その理由は提示出来ますか?
・日本刀によってどう戦い得るか、という問題。 あるいはそれに関連して、 ・日本刀によっていかに戦ってきたか、という問題。 様々な視座とアプローチの方法。 ○体験談A:試斬や、動物の試し切り。人間以外の物体を日本刀で斬ってきた人々の証言。 ○体験談B:人間を斬ってきた人々やその目撃者の証言。戦争や反社会的暴力場面(犯罪や抗争)において。 ○武術古来の伝承:構えや操法などに関する知識と実践の体系。現在伝承されている型など。あるいは、伝書など古い資料にある逸話(屍体による実験や、達人のエピソード)の検討。 ○上記の整合性:比較的近年の体験談的証言と、武術的な遣い方の伝承や資料との整合性。相容れない場合の理由も考える――いずれかが正当もしくは合理的なやり方であると判断出来るのか。それとも全体的な操法の体系(持ち方、体捌き、振り方、等々が複雑に絡み合って構成されている)に依存して、「どちらも合目的的
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