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衆院選
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編集者をやっていると、欠かせないのが「取材」だ。 マンガ編集者というと、華やかな響きがあるかもしれないが、実際は泥臭い仕事が多い。連載がはじまれば、作家がストーリ作りに専念できるように、参考になる資料を探したり、裏付けとなるデータを見つけたり、詳しい人に話を聞きに行ったりと、作家の代わりに様々な調べ物をサポートする。 そうやって集めてきた素材を作家がどう料理するのかを、間近で見れるのが編集者の楽しさだ。僕が新人編集者として『ドラゴン桜』を担当していた時は、そのような発見の連続だった。 「このネタを、こう使うのか!」 まさに普段、自宅で使っている食材が、シェフの手に掛かると見違えるように美味しくなるのと同じだ。 取材で集めた素材は、すぐに使われる場合もあれば、だいぶ時間が経ってからの場合もある。自分が集めてきた素材が、予期せぬ姿で作品に登場した時、「着目する点が違うなぁ」と、作家の才能を改め
いろんな新人マンガ家と接する中で、いつも疑問に思うことがある。 次々とネームを描ける人もいれば、立ち止まってしまい、ネームに手がつかない人もいる。もちろん、成功する可能性が高いのは前者だ。アウトプットを繰り返す中で、様々なフィードバックを得て、自分の気づきに変えることができるからだ。 でも、どれだけアウトプットが大切かを伝えても、立ち止まってしまう人の手を動かすことはできない。彼らも何もしていないわけではない。一生懸命にネームを考えてはいる。でも、その中身がなかなか思いつかない。 最後は、これだけ考えているのに、ネームが思いつかないから、自分はマンガ家として才能がないのではないか…と思い悩んでしまう。まさに負のスパイラルといった感じだ。 それで、何を考えているのかを聞いてみると、頭の中で漠然とした壮大な「問い」を立ててしまっていることが多い。 「壮大なテーマから考えるな」 これは『ドラゴン
不安やストレスから心を守るために自分の「飼い慣らし方」を知ろう。 下園壮太先生に聞く、コロナ疲れへの対処法 新型コロナウイルスの感染拡大により、外出自粛が続いている。ここまで大規模かつ長期的な自粛は、誰しも経験したことがない。 自分や家族が感染する不安や、自宅に篭ることによるストレスはもちろん、ネットやテレビで流れる不安を煽るような情報を見てしまい、心が消耗していると感じる人も少なくないだろう。 どうやって、自分の心をケアしていけばいいのか? そう考えた時に、自衛隊でメンタルケアやカウンセリングを行ってきた心理教官で、現在コルク社員のメンタルサポートも行ってもらっている下園壮太先生に話を伺いたいと思った。 過去に読んだメンタルヘルス系の書籍の中で、下園先生の著書が一番納得できると感じていて、平野啓一郎さんの小説『空白を満たしなさい』を編集する際にも、著書を参考にしたり、質問をさせてもらって
一流のクリエーター、経営者は、みなセンスがある。 では、「センス」とは何か? それは「観察力」によって暗記したことを元に下す決定のことではないかと、僕は考えている。その観察力に気づけない人は、直感や動物的勘という言葉を、その意思決定プロセスに使うのではないか。 観察力のある人は、世界を見る「解像度」が圧倒的に高い。 カメラにたとえると、解像度はレンズの性能。観察力は、メモリの性能。いい解像度で、いいデータが蓄積されていると、観察力がどんどん上がり、アウトプット、意思決定の質が上がっていく。 では、どうやって観察力、解像度を上げていけばいいのか? 僕は色々なところのインタビューで、クリエイターには観察力が必要だと言ってきた。でも、どうやれば上げれるのかは、話してこなかった。わからなかったからだ。 コルクラボマンガ専科の講義資料を作る中で、講師たちとたくさんの議論を重ねた。その中で、観察力をあ
「前例がないことしてるね」 「オリジナルだね」 …と言われたら、どんな気持ちがするだろうか? 多くの人は、褒め言葉として受け取ると思う。でも、僕は逆のフィードバックと受け取る。言った人は褒めたつもりでも、自分たちはまだまだわかりにくい状態なのだなと僕は自己認識をする。 コルクは「編集」を科学したい。 属人的と言われている編集の仕事を、属人的ではなくしたい。マッキンゼーは、経営を科学して、新卒でも経営コンサルタントになれるようした。P&Gはマーケティングを。リクルートは営業を科学した。そのような会社が前例と言われたら、うまくいっているということだ。 具体では前例が見つからなくても、抽象では必ず前例は見つかる。「前例がない」という言葉を無邪気に褒め言葉として受けとってはいけない。 もしも、自分たちで、「これは前例がないプロジェクトだからね」といって、うまくいってない現状を肯定していたら思考停止
思考は、言葉でできている。だから、思考を深めるためにできることは、一つだけ。言葉を精査することだ。 単語になっている時点で、大雑把な概念だと思った方がいい。その単語を、定義し、補足することが、そのまま思考に繋がる。 意識せずに使うと、思考停止を促す言葉がある。 『ドラゴン桜2』で、桜木は「頑張る」という言葉を口にすることを禁じる。 「頑張る」や「全力を尽くします」といった言葉は、会話に登場しがちだが、思考を停止させる。 これらの言葉が、具体性とともに使われれば問題ない。しかし、大抵は具体性に欠け、思考が浅いことを、言葉の勢いで誤魔化そうとしているに過ぎない。 先日、社内で話していて、「難しい」という言葉も思考停止をさせる単語だと気づいた。 「難しい」という単語は、理由が外部にあり、自分は関係ないというニュアンスが、入り込んでいるように感じる。 「メンバーのモチベーションをあげるのが難しい」
「怒り」とはなんなのか? 辞書には、「腹立ち、憤り」と書いてあるだけで全く思考が進まない。wikipediaの方がずっと役に立つ。「怒りは、原初的な反応で危険にさらされたという意識、認識に起因している」とのこと。 出版社で働いて、3、4年目、新入社員の「指導社員」になった。僕は、彼の仕事への態度が本気ではないと怒り、彼を一人前にするために叱っていた。悪いのは、本気でない彼であり、わざわざ叱るのは彼のためで、僕の役目だと思ってやっていた。 怒りとは、危険にさらされたという意識に起因するという知識をもって、過去を振り返ってみる。僕は、新入社員によって、一体どんな危険にさらされたのか。 僕の仕事のアウトプットが、僕一人でやっていた時よりも低くなることを恐れていたのかもしれない。それに伴う僕の評判もかもしれない。 つまり、僕は、新入社員が関わるだけで、質が下がるかもしれないレベルの仕事をしていたわ
病理医ヤンデルさんから、僕の有料購読者専用の質問コーナーに下記のようなお便りがきた。 医療関係者がしょっちゅう話題にしている、「『適切な医療』をおおくの人々に届けようという試み」が頭打ちになっているのではないか、という恐怖があります。 商業的にうまく回っている非医療のコンテンツに比べ、医療従事者の発信するコンテンツは、少ないパイの中でほそぼそと消費され、バズることはまずありません。 「情報を必要とする人が少なく限られているから、専門性に応じて、ニーズに応じて、少なく作って高く売る」という方針もあるようですが、そこまできちんとオーダーメード化できているようにも思えません。そもそも、ニーズというか社会が医療を求めるコンテクスト自体はもう少し大きいのではないかと(これが違うのかもしれませんが)思っています。 医療系の啓蒙活動を、もっと巨大な商売にして多くの人を巻き込み、人々の「境界線を引き直す」
感情労働という言葉を知っているだろうか? 子育て、介護、保育士・教師などが、そのような仕事に当たる。 今までは、知識・スキルの時代だった。一方。感情労働と呼ばれる職種は、知識・スキルはそこまで必要としない。そのため、比較的つきやすい仕事だと世間では思われている。医者や弁護士の方が、難しい。しかし、その前提が崩れようとしている。知識やスキルは、AIやロボットへと移転されていく。そして、知識やスキルが必要とされていないと思われていた仕事の本質が、浮かび上がってきた。今までと価値の逆転が起き始めている。 教師という職業の感情労働としてすごさを僕が思い知ったのは、自分の息子の不登校を通してだった。 数ヶ月前から、小学3年生の息子が学校に行きたがらない。ドラゴン桜で、東大は簡単だ!というメッセージを何度も発していたのに、小学校に息子が普通に行くようにすることが難しくてできない。 僕なりに息子の感情を
凄まじいスピードでコンテンツが消費され消えていく。 丁寧にプロが作れば、注目される時代は終わってしまった。 一時的な熱狂を起こすコンテンツがあったとしても、次々と人々の関心は移り変わっていく。大きく話題になった映画、小説、アニメなどの作品も、数年が経つと、ほとんどの人はうっすらとしか記憶していない。 そんな時代において、記憶に残る作品を作るためには、「カッコいい」とは何かを考えることが非常に重要になる。 「カッコいいもの」とは、簡単に消費されないからだ。 僕にそのことを気づかせてくれたのが、小説家の平野啓一郎さんが新しく出版する新書『カッコいいとは何か?』だ。
今まで職業を大きく転換することは、個人にも会社にもリスクを伴った。編集者という職に興味を持つ人は多い。しかし、どんな職業か詳しく理解することなく、憧れだけでキャリアを捨てることは簡単にできない。 そのような時に、クリエイターや編集者が多いコミュニティに属し、プロジェクト単位で副業として、そしてなめらかに転職していく。社会全体が、不用なストレスをなくすために、緩やかに変化している時代だ。 コルクラボ のメンバーが、コミュニティ転職というテーマで、このようなブログを書いていて、非常に説得力があった。 実は、編集専科の構想は、長い期間あった。有名な編集者を呼んで講演会を連続してやると、面白いかもしれないけど、実は行動は変化しない。もっと体系化して、講義を受けた人にも再現性があるように編集という行為を分解しなくてはいけない。 コルクの元メンバーの柿内やコルクラボ の編集部のみんなと「編集とは何か?
人間は生きている限り、自分からは逃れられない。「人生はゲームと違ってリセットできない」とよく言う。 でも、人生をリセットすることが、これからの時代は、可能かもしれないと、最近僕は考え出している。 VRの世界でアバターになると、現実をリセットできる。 それは、VRの世界を過大評価していると感じる人がほとんどだと思う。僕は、これから技術で世の中がどのように変化するのか、いち早く体感したいと思って、すぐに使うようにしている。「ドラゴン桜」の桜木のVtuberをしているのは、ドラゴン桜を広めたいというのと、VRによる社会の変化を理解したいという二つの目的がある。 先日、『ドラゴン桜』の桜木として、小学生の前で授業を行った。 次の日、僕はVRの中で、人は人生をリセットできる。それにハマる人がたくさんいるだろうと、実感した。 何があったのか? 上記の動画のように、仁川学院小学校でのVtuber桜木とし
作家は「炭鉱のカナリアである」とは、僕の大好きな作家・カート・ヴォネガットが言い出したことだ。カナリアが、炭鉱の空気が薄いことを他の動物より先に察知するのと同じように、時代の変化を察知するのが作家が早いということだ。 感情は、論理よりも先にやってくる。社会の変化を学者やビジネスマンが説明するよりも先に、作家は物語で描く。 社会の集団無意識は、「エモい」のような言葉として表出することもあるが、作家を通じて表出すると物語になる。 今、ラノベ業界を賑やかしている「異世界転生もの」は、読むに値しない若者たちの戯言ではない。しっかりと社会の変化を捉えた文学の流れの一つではないか、と最近、僕は考え始めている。 本当に大きく社会が変わるときは、一人の天才が書くのではなく、大勢の作家が一気に書き始め、ジャンルが生まれる。 今まで「異世界転生もの」に持っていた自分の偏見を改めたきっかけは、仕事の関係で読みだ
言葉は、集団の無意識が、現実に表出したものだ。ほとんどの流行り言葉は、水泡のようなもので、現れては消えていく。でも、一部の言葉は、社会がどのように変化しているのかを指し示してくれる。 数字の指標よりも、一つの言葉が雄弁に社会の変化を示唆することもある。 「ヤバい」も「エモい」も、僕は好きな言葉ではない。書き言葉では基本、使わないし、「エモい」は自分で言うこともほとんどない。 でも、コルクラボのメンバーが、よく「エモい」と言う言葉を褒め言葉として使う。会ったばかりの頃は、「ヤバイ」と言っていたような場面で、「エモい」と言う。 この変化は、何なのだろう? 半年ほどずっと考えていた。 「個の時代がやってきている。誰もが、主人公である時代が。」そう言った言説は、技術の進化面から語られることが多い。 そのことが、「ヤバい」から「エモい」への言葉の変化の中に凝縮されている。 「ヤバい」は、雑な言葉遣い
新しいコミュニティに参加した時に、あるアドバイスをされた。 「水をすくうのではなく、水を交換する」のだ、と。 シンプルな言葉だけど、この言葉は僕の胸に刺さった。この前開催したコルクラボのマンガ専科でも、この考え方で参加してほしいとお願いをした。 コミュニティにこれまで蓄積された知識や智恵が、大きな樽に水となって溜まっていたとする。 参加費を払ったからと言って、空のコップを持ち込み、樽から水をコップ一杯にすくって持ち帰ろうという意識で、参加してはいけない。 そうではなく、全員が自分の知見を目一杯コップに入れて持ち寄って、樽に流し込み、水をかき混ぜて欲しい。そして、参加費はその交換された水を持ち帰ることのできる権利に払っているのだと。 資本主義の社会では、与える側と受け取る側がいて、お金を払えば、金額に見合う対価を当然のように受け取れると思ってしまう。だから、スクールやコミュニティに参加費を払
昔から僕は、「人に対してケアが足りない。佐渡島は人に厳しい」とよく言われる。 でも、僕は僕なりに相手のことを誠実に思い、一生懸命ケアしているつもりだった。 このギャップは、一体どうして生まれるのか? その長年の謎が、臨床心理学者の東畑さんの新刊『居るのはつらいよ』を読むことで、ようやく理解することができた。 この本は、「ケアとセラピーについての覚書」という副題がついているが、僕が他人に対してやっていたのは、ケアではなくセラピーだったのだ。 本では、ケアとセラピーについて、こう定義してある。 ・ケアは傷つけない。ニーズを満たし、支え、依存を引き受ける。そうすることで、安全を確保し、生存を可能にする。平衡を取り戻し、日常を支える。 ・セラピーは傷つきに向き合う。ニーズの変更のために、介入し、自立を目指す。すると、人は非日常のなかで葛藤し、そして成長する。「これが欲しい」と相手が言ったとする。ケ
見城徹と僕は似ているだろうか? 多くの人は「編集者というところ以外は似ていないよ」と答えるのではないか。箕輪さんと僕の方が似ていると思う人の方が多いかもしれない。 でも僕は、見城さんの本を読みながら、これはまるで自分が書いた文章のようだと感じた。産まれる時代がずれていたら、見城徹に嫉妬していただろう。心の奥底が似ている。 箕輪さんと僕は、行動で似ているところがあっても、心の奥底は似てないと感じる。まだまだ駆け出しの僕が、見城さんと似ていると自分で主張するなんて、すごく傲慢だとわかりつつも、何度も似てると感じながら『読書という荒野』を読み進めた。 多くの人と分かり合えないと感じて、動物と話し合える『ドリトル先生』を子供時代に愛読したというところにはじめに共感した。その後、見城さんは、高橋和巳の『邪宗門』にはまたっという。僕は同じ時期に遠藤周作の『沈黙』にはまった。自分の心を救うものを求めて、
「『完璧なリーダー』はもういらない」という宇宙兄弟の関連本として出したチームビルディングの本が、すごくいい滑り出しだ。発売3日で重版がかかった。 このリーダーを編集者に置き換えてもしっくりくる。「完璧な編集者」はもういらない。 そもそも編集者とは、何もできない人だ。 自分で何かをやったら、編集者としては失格とも言える。自分で文章が書けるわけでもない、絵もかけない、ストーリーも作れない、それでも作家に書いてもらう。そして、自分はできないのに、プロの仕事にもっとと要求する。それが編集者の仕事だ。 今回、僕のビジネス本『We are lonely, but not alone』の編集を箕輪さんにしてもらった。僕も編集者をしているから、ライターにお願いして本を作ることのメリット・デメリットをよく理解している。この本を始める時に、「ライターにお願いして、それをリライトします」と箕輪さんにはお願いした
今週は、箕輪さんが編集をしている僕のコミュニティについての本の入稿が大変だった。本の中身をちょっとずつ、箕輪さんに渡すのだけど、それをどんどん箕輪さんが話すし、ツイートする。急いで完成させないと、発売する前に、中身を全部、箕輪さんにつぶやかれてしまいそうな勢いだから、今度は逆に僕が4章に掲載した箕輪さんとの対談を公開。 4章 コミュニティを編集する この章では、本書の担当編集者でもある幻冬舎の箕輪厚介さんと、「コミュニティを編集する」というテーマで話し合った。 コミュニティを運営する方法は、こんなにもコミュニティが溢れていて、人間に絶対に必要なものなのに、びっくりするほど少ししか文献がなく、確定的な情報がない。 そこで、対談は、拡散的になりやすく、情報が整理されていないが、その分、コミュニティについて考えている人には、思考の元になる言葉が出てくる可能性がある。 <小見出し> 佐渡島:僕と箕
1月25日、明日木曜日、ついに『ドラゴン桜2』の連載が開始する。 『インベスターZ』の連載が終わって、次に何をするか打ち合わせをしていた。僕の頭の中に、『ドラゴン桜』を再開するという思いは全くない。僕は三田さんの『砂の栄冠』が大好きで、それよりも感動する作品を作りたいという漠然とした考えを持っていた。 三田さんは、大学入試の共通一次世代だ。それが導入されるに当たって、世間のニュースがどれだけ入試ネタ一色になり、浪人したくないという学生の行動がどのように変わるのかを身をもって体験している。2020年の教育改革の時も同じことが起きる。その時までに、今回の教育改革の主要な情報がわかりやすくまとまっていて、勉強法を現代版に刷新しよう!そう三田さんに提案された。盲点過ぎて自分で思いつきたいアイディアだった。中高生の投資部が本気でお金を運用する話という『インベスターZ』のネタも、三田さんのアイディアで
ネットのサービスは、ワンクリックをどのように減らすかに、命を懸けている。アマゾンが圧倒的に便利なのは、他のサービスよりもワンクリックへのこだわりがあるからだ。 Netflixやアマゾンprimeで映像をみるのが当たり前になってしまうと、DVDを入れる行為が面倒で仕方がない。DVDしかなくて、どうしても見たくて購入したはずが、デッキにいれるという面倒さゆえに、見るのがすごく遅れたりする。つい最近までは、DVDは便利だと思っていたというのに。 ネットの様々なサービスに触れながら、どうやったらこちらの日常感覚が変わるサービスを生み出せるだろうかということを、日々考えるようになった。 昔、レーシックをホリエモンに勧められた時、眼鏡をかけるくらいのことを面倒に思う必要があるのだろうか?と思って、さほど興味を持たなかった。ファッションの一部として眼鏡をかけるのも好きなので、それがなくなるのは淋しい気も
『ブレードランナー2049』は、傑作だった。僕はここでストーリーの何がどう素晴らしかったを語るつもりはない。どんな映画かは自分で確認してほしい。全ての人に観にいくことを自信を持って推薦できるほど、傑作だった。 素晴らしい作品を観ると、作品作りに関わっているものとして、悔しくなってくる。なぜ、自分はこちら側で指を加えて他人の作品を観ているのだ? なぜ、このレベルの作品を自分は作ることができないのか? 『ブレードランナー2049』をいい作品にしているものは何なのかを僕は観ながら考え続けた。 いい物語は、ヒーローズジャーニーであると言われる。主人公は、旅に出て、課題を見つけ、そして課題を解決して変容し、戻ってくる。僕もその型を意識して、編集する。主人公がA→A'になるために、エピソードを考える。 しかし、観ている間に僕は「主人公が自分が何者かを知りたいと思い、探索し、自分を知る」のがいい物語な
「自分の心は友達じゃないぞ、マイク。それを知ってほしい。自分の心と戦い、心を支配するんだ。感情を制御しなくてはいけない。」 マイク・タイソンの師匠のカス・ダマトが少年時代のタイソンに伝え、タイソンが大切に覚えているダマトの言葉の一節だ。 身体的能力が誰よりも優れていて、世界一に簡単になることなんてない。自伝を読むとそのことがよく分かる。タイソンの勝ち方を映像で見ていると、あまりのも圧倒的な強さのため、才能に恵まれて誰よりも運がよかった人間な気がしてしまう。そして、それを怠惰によって失ってしまったのだとばかり思っていた。 しかし、タイソンは、深く思考し、誰よりも心を制御し、精神的に強くなってチャンピオンになったのだ。それだけトレーニングした人物であっても、環境には勝てない。身の回りにいる人達の影響をコントロールできなくて、どんどん堕ちていく様子は、自伝を読みながら切なくなる。 タイソンの自伝
先週はブータンに行ってきた。25年に一度の大法要が行われていて、それに参加をした。その大法要は第69代ジェイ・ケンポが取り仕切っていた。 第69代? そう、ブータンの宗教のトップもチベットのダライ・ラマのように輪廻転生していくのだ。その大法要には1万を超える人が参加していて、輪廻転生を信じていた。輪廻転生を本気で信じることは馬鹿らしいことのように感じていたが、その場にいるとそれを信じないことのほうがおかしく感じ始めた。 別の文明から現代日本にやってきたとする。その時に、紙をお金と言って信じている姿は、ブータン人が輪廻転生を信じている姿と、何か変わるところがあるだろうか? 社会は、幻想の上に構築されている。そして、ブータン人と日本人は違う幻想を見ている。ブータン人は、韓国人、中国人よりもずっとずっと日本人に似ていた。性格も似ているように思う。ほとんどの部分が一緒だけれども、根っこで持っている
僕はマスメディアの出身だったことでたくさんの恩恵を受けた。しかし、同時にたくさんの思考の癖を身につけてしまった。その時に身につけた癖で、今の時代にそぐわないと思うものを一つ一つ見つけて、置き換えていくということに僕はたくさんの時間を費やしている。 マスメディアとは、1対nでコミュニケーションをとれる仕組みだ。1になれる人、会社がほとんどいない時は、力を発揮できるが、1側に立つ人が無数にいる時は、相対的に価値が下がり埋もれていく。そこでどのようなコミュニケーションが行われていようと価値は下がる。それが今起きていることだ。 インターネットにより誰もがメディアを持てるようになった。それにも関わらず、多くの人のなかにある「かっこいい」は、依然マスメディアでの振る舞い方だ。マスメディアの振る舞い方とは、目の前には人はいなくて、遠くにいるたくさんのnに向かって同時にコミュニケーションをとる。個別対応は
久しぶりに海外ドラマにはまった。海外ドラマって、1、2話は面白くみても5話くらいでお腹いっぱいになって観るのをやめてしまうことが多い。 『サバイバー 宿命の大統領』は違った。たった1週間で21話すべてをみてしまった。ここまで海外ドラマにはまったのは初めてだ。 とにかく脚本が、素晴らしい。政治という難しいテーマをすごくわかりやすくしているし、15分ごとにヒキをしっかり作っている。毎話、終わる時のヒキは強すぎて、先が気になって観るのをやめることができない。 多くの人は、テロの犯人は誰か?というサスペンスに興味を持つのだと思う。僕は大統領にかなり感情移入をしてみた。 協力者がいない大統領が、徐々に信頼を勝ち得て、仲間を増やして行く姿をみながら「なるほどこういう風に伝えればいいのか」と自分の過去の経験をたくさん思い出した。 すごーく楽しく観た。はまっている時の僕は興奮していたと思う。でも、このブロ
多くの人は、この本を、素敵な試みをする会社の本として読むだろう。しかし、僕は打ちのめされた。経営者としての圧倒的な実力差を、終始感じさせられたからだ。 小松成美による『虹色のチョーク』は、日本理化学工業を描いたノンフィクションだ。知的障がい者たちが、幸せをみつけ、健常者以上の能力を発揮し、活躍する姿を描いている。 経営とは「メンバーの能力、モチベーションを引き出し、それを組織化して、アウトプットを出すこと」だと僕は認識している。日本理化学工業の大山親子と僕の間には、天と地ほどの差がある。知的障がいと呼ばれる人たちの能力をたくさん引き出していることもすごいが、多くの人を幸せにする力もすごい。会社の価値は、多くの人を幸せにすることだと僕は思っているが、幸せの深さも考慮すると、日本理化学工業は、日本有数の会社といえると思う。 「人間に役割はあっても優劣などないと気が付けます」「その人の持つ理解力
僕はメタップスの佐藤さんのファンだ。ブログをずっと愛読していて、何度か連続で深く共感して、インベスターZの取材を口実に、アポを取って会いに行った。 佐藤さんは過去のブログでも、 インターネットというテクノロジーを活用して、私達が日常で使っている「お金」に依存しない経済が実現できるかどうかというテーマです。 ということを書いているけど、実際に会った時にも「数年以内にお金を1円も使わないで、1年間生活をできるようになっているはずだ」ということを話していた。とにかく発想が常識にとらわれていなくて、話す内容どれもが刺激的だった。ベンチャー経営者の価値は、目の前の世界にとらわれずに、未来を想像する力だと思っている。メタップスの佐藤さんの想像力、妄想力はずば抜けている。佐藤さんと話すことで、僕も常識の殻をやぶることができる。 そんな佐藤さんから、新事業の相談をしたいのだけど時間をとってもらえないかと頼
編集者の重要な仕事は、作家の才能を「引き出す」ことだ、と僕は思っている。どうストーリーを変えればいいのか答えを提案するのではなく、より面白いアイディアが作家の心の中から出てくるように、作家が自省するためのきっかけとなる鏡のような存在。 僕が努めていることは、正直になること。とにかく、正直に感じたことを、正確な言葉で言う。 僕は幸運なことに、自分の編集術をメディアで語る機会をたくさんいただいた。それで、多くの人が、フムフムと聞いてくれる。僕は、自分は編集が、人の能力を引き出すのが、得意なのだと思っていた。 最近、その考え方を改めている。僕は僕と相性のいい作家の才能を引き出すのがうまいだけだった、と。講談社のサラリーマン時代、付き合う作家は、限定されていた。作品を読んで大好きな作家とだけ仕事をしていた。自分の力を発揮しやすい人だけを、無意識に選んで仕事をしていたと言える。 コルクを経営しだして
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