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戦争と報告に関するmsyk710513のブックマーク (39)

  • きょうの潮流 2015年7月12日(日)

    漫画家の水木しげるさん(93)が出征前につづった手記が5月末、家族によって発見され、『新潮』8月号に発表されました。20歳の時、1942年10月から11月にかけて執筆したと推測されます▼日が太平洋戦争に突入し、全国民が戦争に巻き込まれていった時代。成年男子は徴兵制によって、いや応なく戦地に送られました▼「将来は語れない時代だ。毎日五萬(まん)も十萬も戦死する時代だ」「今は考へる事すらゆるされない時代だ。画家だらうと哲学者だらうと文学者だらうと労働者だらうと、土色一色にぬられて死場へ送られる時代だ。人を一塊の土くれにする時代だ」▼画家を志し、芸術の美とは何かを追求して哲学書を読みふけり、聖書や仏教書に生きる意味を問う青年の姿が浮かび上がります。しかし輝かしいはずの青春の日々は、戦死の恐怖に塗りこめられていました▼「こんな所で自己にとどまるのは死よりつらい」。どうせもうすぐ死ぬのなら、自己を

    きょうの潮流 2015年7月12日(日)
    msyk710513
    msyk710513 2015/07/13
    戦争の非人道性が見える証言。観念論的に戦争したがる勢力に突きつけたい。安倍晋三、お前らだよ。
  • 負傷の友 壕に残した/「ひめゆり学徒隊」の戦跡めぐり/沖縄

    (写真)伊原第一外科壕(ごう)跡の碑の前で、戦争の悲惨さについて語る元ひめゆり学徒の島袋淑子さん(中央)ら=11日午後、沖縄県糸満市伊原(代表撮影) 太平洋戦争末期の沖縄戦で沖縄陸軍病院に看護要員として動員された「ひめゆり学徒隊」の足跡をたどる戦跡めぐりが11日、沖縄県で開かれました。ひめゆり平和祈念資料館が主催し、64人が参加しました。20年ぶりの企画で、85歳以上の8人の元学徒がバスの中や壕(ごう)の前で証言に立ちました。 暗い壕の中で 戦跡めぐりは、生徒らが通っていた沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校があった那覇市安里(あさと)からバスに乗り、沖縄陸軍病院や糸数アブチラガマ、ひめゆりの塔、伊原第一外科壕、解散命令後に追い詰められた荒崎海岸を回りました。 那覇市南東5キロの南風原(はえばる)町にあった沖縄陸軍病院。学徒たちは暗い壕の中で昼夜を分かたず働き続けました。師範科2年だっ

    負傷の友 壕に残した/「ひめゆり学徒隊」の戦跡めぐり/沖縄
    msyk710513
    msyk710513 2015/07/13
    同じ苦しみ、二度と誰にもさせたくない。ひめゆりの経験、今こそ。きな臭い今こそ逆流阻止へ。
  • きょうの潮流 2015年6月30日(火)

    四半世紀前の番組が胸に刺さりました。NHKアーカイブスで再放送された「ドキュメント 太平洋戦争 大日帝国のアキレス腱(けん)~太平洋・シーレーン作戦」。当時の戦争指導者が、日の国力を度外視して、いかに戦線を拡大し、破たんを招いたか。海上輸送に焦点をあてた番組です▼資源の少ない日にとって、頼みの綱は南方からの資源輸送ルートでした。しかし護衛艦もないまま単独航行をさせられていた日の輸送船は、アメリカの潜水艦などによって次々沈められます。日戦争指導者が、潜水艦から輸送船を守るために重い腰をあげたときは、もう手遅れでした▼当時の映像に、南方から日に持ち込もうとしていたコメが、米軍によって海中に捨てられている様子が残っていました。船は小型の木造船。大型船の大半を失った日は、何の装備もない木造船まで輸送船として動員したのです▼「兵庫民報」21日号が、神戸市にある「戦没した船と海員の資料

    きょうの潮流 2015年6月30日(火)
    msyk710513
    msyk710513 2015/06/30
    過去を顧みれば、二度と戦争しない誓いの素晴らしさが輝く。逆流に抗して闘う時だ、貴方も戦争法案反対で。
  • 2015 焦点・論点/夫 菅原文太の遺志継ぎ 沖縄に心寄せる/辺野古基金共同代表 菅原 文子さん/“日本は再び戦争しない”その願い立ち枯れぬよう声あげる時

    俳優の故・菅原文太さんは、昨年11月、沖縄県知事選挙で翁長雄志氏(現知事)の応援に立ち、約1カ月後急逝しました。の菅原文子さんはその遺志を継ぎ、今年4月、米軍新基地建設に反対する「辺野古基金」の共同代表の一人に就任しました。その思いは――。 聞き手 内藤真己子 (写真)すがわら・ふみこ 1942年東京生まれ。立教大学卒。2009年山梨県北杜市で夫らと、農業生産法人・おひさまファーム竜土自然農園を設立。完全無農薬の有機農業を営む。 撮影・片桐資喜 ―基金の共同代表に就かれたわけを聞かせてください。 「落花は枝に還(かえ)らず」といいますが、夫は小さな二つの種をまいて去りました。一つは、先進諸国に比べて格段に生産量の少ない無農薬有機農業を広めること。もう一粒の種は、日が再び戦争をしないという願いが立ち枯れ荒野に戻ってしまわないよう、ともに声をあげることです。今も生者とともにあって、これらを

    2015 焦点・論点/夫 菅原文太の遺志継ぎ 沖縄に心寄せる/辺野古基金共同代表 菅原 文子さん/“日本は再び戦争しない”その願い立ち枯れぬよう声あげる時
    msyk710513
    msyk710513 2015/06/30
    これはじっくり読んで欲しい。そして、時代遅れの軍事同盟にサヨナラを。再び戦争せず、基地押し付けも許さぬ。
  • きょうの潮流 2015年6月19日(金)

    軍事の天才と評されたナポレオンは、当時としては革命的な一歩を踏み出したといわれます。軍隊化された正規の補給部隊をつくり、引き連れたのです▼イスラエルの軍事学者が主に欧州の戦史を兵站(へいたん)の観点から研究した『補給戦』に詳しい。それによれば、軍隊を動かし、糧や弾薬を補給する兵站は戦いの勝敗を決してきた。「戦争のプロは兵站を語り、戦争の素人は戦略を語る」といわれるゆえんだと▼戦争を見れば見るほど、いかに管理と輸送に依存しているかがよく分かる。その兵站が軍事攻撃の格好の標的になることは「世界の常識であり、軍事の常識だ」。党首討論で共産党の志位委員長が迫りました▼安倍首相も兵站は「極めて重要」であると認めました。これまで自分たちで勝手につくった「後方支援」という造語でごまかしてきたものが、討論では「兵站」を連発。早くも化けの皮がはがれてきました▼首相は安全な場所で物資を渡すのが「常識」といい

    きょうの潮流 2015年6月19日(金)
    msyk710513
    msyk710513 2015/06/19
    兵站が先頭と切り離せないことが分かるね、合わせて戦前旧日本軍の兵站軽視の弊害も、戦争における兵站の重要性を語る。政府与党の詭弁が通用しないことの証左。戦争法案は廃案しかない。歴史の岐路で貴方も闘いを。
  • きょうの潮流 2015年5月15日(金)

    イラク戦争やアフガニスタン戦争から帰還した米兵は約280万人ともいわれます。退役軍人でつくる団体のアンケート調査によると、53%が心的外傷後ストレス障害(PTSD)などの精神疾患に苦しんでいます▼自殺を考えたことがある人は31%。自殺した帰還兵の知人がいる人は40%にも。米国では深刻な社会問題になっています▼そんな元兵士と家族らの姿を追ったノンフィクション『帰還兵はなぜ自殺するのか』(亜紀書房)が話題です。著者は、米紙ワシントン・ポスト記者を23年間つとめ、ピュリツァー賞の受賞経験を持つジャーナリストです▼描かれている一人ひとりの体験が壮絶です。ある帰還兵は帰国後、イラクで3歳くらいの少女を殺したことを何度も家族に告白。悪夢で目が覚めると、「そこらじゅうに子どもたちの姿が見える」と。結局、彼は自ら命を絶ちました。1歳の娘を残して▼イラク戦争は「イラクの大量破壊兵器保有」という大ウソで当時の

    きょうの潮流 2015年5月15日(金)
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    msyk710513 2015/05/15
    一番読むべき安倍らが読まないだろうからなあ。戦争する国にさせない闘いはまだこれから。貴方も闘う側に。
  • きょうの潮流 2015年4月8日(水)

    最新式の無影灯まで備えつけられ、大病院の手術室そのものだった―。『長寿を科学する』の著者で医学博士の祖父江逸郎さんはあの戦艦大和の軍医でした▼臨床や病理検査室、レントゲン室までそろった「大和」は医療設備の点からも世界一。そう証言する祖父江さんは当時、乗員の診察に多忙を極めました。戦闘時以外にも毎日の特訓とストレスで発病者が多く、感染症に苦しむ者もいたと▼70年前の1945年4月7日。米軍との地上戦が始まっていた沖縄をめざした「大和」は鹿児島の南海上で攻撃を受けて沈没しました。乗員3300人余のうち生存者はわずか276人。無謀な特攻作戦は“一億総特攻の先駆け”として決行されたのです▼「何のために死ぬのか」。最後は竹の棒で敵機と対峙したという中谷健祐さんは、「大和」が沈んで海に飛び込んだ瞬間が海軍生活で最も幸せなときだったといいます。「あー、やれやれ、これで生きられる」と思いながら▼きのう広島

    きょうの潮流 2015年4月8日(水)
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    msyk710513 2015/04/08
    二度と戦争しない誓いがいかに大切か、表面で惑わされず、大局で地域のそして世界の平和を構想しよう。安倍逆流に抗して平和の対案を掲げて。
  • 戦場は人を殺人者に/イラク帰還兵ら体験語る/米国で集会

    【ワシントン=島田峰隆】米首都のワシントン市内で20日、ブッシュ前政権が強行した2003年のイラク戦争などに参加した帰還兵やその遺族の体験を聞く集会が開かれました。反戦イラク帰還兵の会(IVAW)などのメンバーが証言し、約80人の市民が聞き入りました。 集会は、イラク戦争開始12年に合わせて、米国の平和団体が18日から21日まで共同で取り組んでいる催しの一環です。 東部マサチューセッツ州に住むケビン・ルーシー氏は、イラク戦争に従軍した息子のジェフリーさんが帰国後に心的外傷後ストレス障害(PTSD)を患い、翌年に自殺してしまったと語りました。ルーシー氏によると、戦争から戻ってきたジェフリーさんはお酒を大量に飲んだり、怒りで荒れ狂ったりするようになりました。 自殺した息子を発見して抱き上げた時の様子を声を詰まらせながら話したルーシー氏。「米国では1日に22人の帰還兵が自殺しているといわれる。無

    戦場は人を殺人者に/イラク帰還兵ら体験語る/米国で集会
    msyk710513
    msyk710513 2015/03/22
    米国の、今だ遅れた発想を転換するべき。軍産複合体に毒されていてはいけない、現実が如何に非人道的か、そして兵士に帰還後も苦しみ強いるのだ。否応なしに殺人者を強いる戦争、無くさねば。
  • きょうの潮流 2015年3月19日(木)

    ヤシ科の植物シュロ(棕櫚)は国内の温暖な地域にも育ち、樹皮は古くから利用されてきました。網や縄、たわしやほうき。強靱(きょうじん)で伸縮性に富むシュロの繊維は生活に密着しています▼日中国への侵略戦争を拡大していったころ、シュロの繊維が市場から消えたことがあります。買い占められ、長崎の造船所に集められていたのです。極秘中の極秘だった巨大戦艦の建造を隠すために▼つなぎ合わせたシュロ縄のすだれの中で形になっていく怪物のような物体。作業に携わった者は一切漏らさずという宣誓書に署名させられ、街にはかん口令が敷かれました。目を光らせる特高や憲兵。中国人街が襲われ、拷問にあう作業員や市民も…▼吉村昭の小説『戦艦武蔵』に詳しい。「大和」とともに膨大な国家予算と人員をつぎ込み、技術の粋を結集してつくられた世界最大の“不沈艦”。しかし戦争はすでに、大艦巨砲から航空機の時代に移り変わっていました▼太平洋戦争

    きょうの潮流 2015年3月19日(木)
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    msyk710513 2015/03/19
    戦争のやり方の変化を無視して、無駄に戦死者増やした旧日本軍。過去の記録に触れ、二度と戦争しない誓いをいつまでも。
  • きょうの潮流 2015年3月10日(火)

    戦後の児童文学を築いてきた松谷みよ子さんが亡くなりました。89歳。物心ついてから戦争の中で育った松谷さんは、よく「私の血の中には平和を願う気持ちが流れている」と語っていました▼戦争を描いた子どものを多く世に出し、「子どもの・九条の会」の呼びかけ人にも。人間ある限り民話は日々生きて動くと現代の民話を集め、民の記録として数々の戦争体験を伝承してきました▼70年前のきょう、東京は火の海に包まれました。燃え盛る炎の中を逃げ惑う人びと。がれきと化した街に転がる黒焦げの焼死体、川を埋める無数の亡がら…。阿鼻(あび)叫喚の地獄でした▼焼け野原になった下町には惨状を伝える跡が残っています。旧墨田電話局跡にある「慰霊碑」。当時交換手として勤めていた20歳前後の女性たちは死んでも送受器を外すなといわれ、28人が男性職員3人とともに犠牲に。生き残った職員の言葉が刻まれた碑には「世界平和こそが最大、最高の幸に

    きょうの潮流 2015年3月10日(火)
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    msyk710513 2015/03/10
    きな臭い今こそ、過去を思い出し、逆流許さない闘いを。平和を壊す連中の手練れ手管を打ち破ろう。
  • イラク空爆 参加やめよ/デンマーク活動家に聞く/人道的、外交的援助こそ

    デンマークは、過激組織「イスラム国」掃討に向け、米、英、仏などとともにイラク空爆に参加しています。現地紙コペンハーゲン・ポストによると、今年9月26日には、派遣中の輸送機に加えF16戦闘機7機をイラクに派遣すると、首相が発表しました。この空爆参加について、同国の憲法を擁護の活動家から厳しい批判の声が上がっています。(熊谷愛希) 憎しみの連鎖生むだけ 空爆参加を批判しているのは、「イラク戦争に関する憲法擁護委員会」の元会長、ブリギッテ・アルブレクセンさん(69)です。 「残虐な『イスラム国』に歯止めをかけることは大切です。でもデンマークは、攻撃を受けていないなら、決して戦争せず、人道的支援や外交手段で援助すべきです」と語ります。「西側の国も(特に米国は)、攻撃されてもいないのに、他の地域で戦争に参加するべきじゃない。米国につき従って、デンマークの議会の大部分が、新たな派兵について賛成している

    イラク空爆 参加やめよ/デンマーク活動家に聞く/人道的、外交的援助こそ
    msyk710513
    msyk710513 2014/12/29
    テロに対して戦争では、憎しみの連鎖を生む悪循環。軍事に依らない方策を。土壌に切り込んで人道支援で根を断つことこそ。
  • きょうの潮流 2014年12月8日(月)

    “東亜攪乱(かくらん)、英米の敵性極る”“断乎(だんこ) 駆逐の一途のみ”。日軍が、ハワイの真珠湾や東南アジアのマレー半島を襲った1941年12月8日。すでにその日の朝刊で開戦を予知した報道がありました▼天皇と軍首脳部によって決められ、周到に準備されていた開戦。英米を一掃することは「われ等一億同胞の国民的感情」との記事も。しかし、ほとんどの国民の実感は「ある日、目を覚ましたら、戦争が始まっていた」でした▼73年前のきょう。領土拡大を目的にして、日は無謀なアジア・太平洋戦争に突入しました。高揚気分も半年余。早くも翌年6月のミッドウェー海戦で大敗し制空権を失うと、あとは泥沼のたたかいの連続でした▼なぜ日は破滅への道を突き進んだのか。そこから何を学ぶのか。昨日、学生たちと戦争体験者が語り合う催しが立教大学でありました。「戦後を戦前にしないために」と題して▼言論統制や弾圧、空襲や疎開生活…。

    きょうの潮流 2014年12月8日(月)
    msyk710513
    msyk710513 2014/12/08
    この記事を入り口に、過去を学ぶ必要。どうしてあんなことになったのか。再びきな臭い今、警鐘を過去が鳴らすようだ。
  • 主張/開戦73年の決意/平和貫き「戦争する国」許さず

    歴史的な総選挙のさなか、1941年12月8日のアジア・太平洋戦争の開戦から、73年を迎えました。日がマレー半島とハワイを突然攻撃した日です。その10年前に始めた中国東北部への侵略から45年の敗戦まで、310万人を超す国民と2000万人以上のアジアの人びとが犠牲になりました。国民が戦後の憲法で、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」ことを誓ったにもかかわらず、安倍晋三政権は「海外戦争する国」への道を突き進んでいます。平和を貫き「戦争をする国」を許さない決意を実行していくことが重要です。 国民の目・耳・口ふさいで 73年前の開戦と同じ日、全国の特別高等警察(特高)と軍の憲兵隊が、外国への諜(ちょう)報(ほう)の容疑で多数の国民を逮捕したのをご存じでしょうか。ほとんどが身に覚えのないものでしたが、なかでも北海道大学教師のレーン夫と北大生の宮沢弘幸氏らが逮捕されたのは

    主張/開戦73年の決意/平和貫き「戦争する国」許さず
    msyk710513
    msyk710513 2014/12/08
    過去に学び、秘密法の危険性考え廃止こそ。戦前の戦争遂行体制・国民弾圧体制の恐ろしさは言い尽くせない。繰り返してはならない暗黒社会にノーを、この問題でも選挙で共産党躍進を。
  • 「軍神」の弟と言われて…/元沖縄県警刑事部長 大舛重盛さん(84)/兄25歳 ガダルカナル戦で玉砕、姉16歳 ひめゆり学徒で弾雨に倒れ

    戦死した兄は「軍神」として沖縄戦への県民総動員に利用され、姉は16歳の若さでひめゆり学徒として戦死。兄と姉を失った元沖縄県警刑事部長の大舛(おおます)重盛さん(84)は「遺族としての発言なら」と紙のインタビューに応じ、「再びあのような戦争のない世を願う」と沖縄島の自宅で語りました。沖縄戦から69年、戦後70年を前に、いまだ癒やされない遺族の痛苦の胸中は―。 (山眞直) 大舛さんは、8人きょうだいの三男として与那国島で生まれました。沖縄県警の第11代刑事部長として1989年3月に退官。 長兄の大舛松市陸軍大尉は、43年1月13日に南太平洋のガダルカナル戦で25歳の時、戦死しました。遺族の元に戦死公報が届いたのは同年10月でした。 軍人最高の栄誉である「個人感状」が授与され、当時の新聞はいっせいに「軍神大舛に続け」と沖縄戦への県民総動員報道を繰り広げました。 「兄に続く」 重盛さんは当時

    「軍神」の弟と言われて…/元沖縄県警刑事部長 大舛重盛さん(84)/兄25歳 ガダルカナル戦で玉砕、姉16歳 ひめゆり学徒で弾雨に倒れ
    msyk710513
    msyk710513 2014/11/12
    70年経ても癒えない傷を強いるのが戦争なんだよ。安倍らに聴かせたい。観念的に侵略美化の勢力がいかに危険か。遺族を利用した動員はじめ、権力側の手口に、今に通じる警戒ポイントがあるよ。貴重な証言生かそう。
  • きょうの潮流 2014年10月23日(木)

    フランスのサルコジ前大統領が就任直後に国民を騒然とさせたことがあります。先の大戦中にナチス・ドイツの占領下で銃殺された17歳の“最後の手紙”を全国の高校で朗読させるよう指示したのです▼愛国主義の強制や政治利用だとの声が高まり、批判がひろがりました。しかし、大統領の強引な手法は改めて史実を呼び覚まします。自主的な朗読や授業が行われ、戦争の罪が語り継がれているといいます▼ナチスに命を奪われた少年の名はギィ・モケ。共産党のレジスタンス(抵抗運動)に参加し逮捕され、仏西部にあるシャトーブリアンの収容所に。1941年10月22日、ある事件をきっかけに多くの共産党員とともに殺されました▼始まりは占領下での1人のドイツ軍将校の暗殺でした。怒ったヒトラーは、報復としてフランス人の人質150人の処刑を要求。モケを含む27人の共産党員たちは名前を呼ばれてから、わずか数時間後に銃殺刑に処されました▼レジスタンス

    きょうの潮流 2014年10月23日(木)
    msyk710513
    msyk710513 2014/10/23
    単にサルコジ批判で終わりではなく、自主的な取り組みに発展。日本が見習うべき点がある、フランスであったことの報告。
  • きょうの潮流 2014年10月21日(火)

    戦争体験者の話を聞く機会が少なくなりつつあるとき、直接戦争を知らない世代には、戦争に対する想像力をもつことが大事になっています。その悲惨さ、理不尽さを知るために▼世界大戦に参加した戦没学生の手記を読むと、戦争が身近に迫ってきます。『きけわだつみのこえ』ほど知られていませんが、第1次世界大戦後に出された『ドイツ戦没学生の手紙』(1938年、岩波新書)も、その一冊です▼作家の宮百合子は敗戦直後に、この訳について「若者達が、名状すべからざる困難な日々の中に、自分達の経験をかみしめ、それを記録して行った姿は、深く心をうつものがある」と評しました▼この新書には、60人の学生の手紙が時系列で載っています。死亡時の平均年齢を数えると、22歳の若さ。第1次世界大戦を特徴づける「塹壕(ざんごう)戦」で多くの若者が傷つき、うめき、戦死していく戦場の様子が生なましい。時がたつにつれて開戦当初の“感激”が薄れ

    きょうの潮流 2014年10月21日(火)
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    msyk710513 2014/10/21
    WW1ドイツ戦没学生も、わだつみの声も、若者の未来奪う企て許さないのは我らの責務。きな臭い政権の今、高い自覚を持とう。過去に学べ。
  • ゆうPRESS/若手記者が行く 「沖縄戦終焉の地」

    米軍新基地建設は許さないと島ぐるみのたたかいが続く沖縄県に取材に行きました。初めて訪れた沖縄―。エメラルドグリーンや深い青色に輝く海の美しさに息をのみました。沖縄には、第2次世界大戦で多くの住民を巻き込んだ地上戦の歴史があります。平和ガイドと「沖縄戦終焉(しゅうえん)の地」の島南部を歩きました。 (仁田桃、写真は栗山萌実) 那覇市から車で約40分の「平和の礎(いしじ)」(糸満市)に向かいました。 「満州事変(1931年)」からの15年戦争で犠牲になった沖縄県民と、沖縄戦で犠牲になった全ての人24万人余の名前が刻銘されています。毎年新たに犠牲者の名前が刻まれます。 その数に圧倒されました。名前は出身地ごとに記されています。正確には分からず「○○の父」と書かれているものも。 読谷(よみたん)村の区域でガイドが立ち止まり説明してくれたのは―。 この村のチビチリガマ(ガマ=自然洞窟)で、集団自決

    ゆうPRESS/若手記者が行く 「沖縄戦終焉の地」
    msyk710513
    msyk710513 2014/10/06
    実際の体験者が年を追うごとに減っていくのは止められない、若い世代に語り継ぐ取り組みが必要。凄惨な事態を繰り返してはならない、過ち繰り返さない。平和の礎に刻まれた名前を見ても、いまだに全容解明とはいかな
  • 第41回赤旗まつり/不破さん「科学の目」講座テーマ/「『日本の戦争』を考える」/11月3日 午前11時から

    第41回赤旗まつり(東京都江東区の夢の島公園・11月1~3日)で行われる不破哲三・社会科学研究所所長による「科学の目」講座「『日戦争』を考える」は、来年の戦後70年を前にしたタイムリーな企画だけに、大きな期待が集まっています。 不破さんの話の柱は次の通りです。 ▽なぜ「侵略戦争」というのか ▽政治のどんな仕組みが戦争を起こしたのか ▽兵士たちはどんな戦争をさせられたか ▽国民はどんな扱いを受けたか ▽この戦争を安倍内閣はどう見ているのか 不破さんの「科学の目」講座は、2001年の赤旗まつりから始まり、これまで「21世紀と『科学の目』」(01年)、「ふたたび『科学の目』を語る」(02年)、「『科学の目』講座 いま世界がおもしろい」(06年)、「『科学の目』で日政治史を読む」(10年)と続き、赤旗まつりの魅力の一つとして定着してきました。 赤旗まつり3日目の11月3日午前11時から「B

    第41回赤旗まつり/不破さん「科学の目」講座テーマ/「『日本の戦争』を考える」/11月3日 午前11時から
    msyk710513
    msyk710513 2014/09/19
    侵略性を否認する勢力にそれが通用しないと突きつける企画。単行本になりそうな期待。「科学の目」講座は5回目になるのか。
  • きょうの潮流 2014年9月18日(木)

    放送中のラジオ体操が中断され、臨時ニュースが流れました。「18日午後10時30分、奉天駐在のわが鉄道守備隊と北大営(ほくだいえい)の東北陸軍第1旅の兵士とが衝突、目下(もっか)激戦中」。83年前のことです▼1931年、十五年戦争のきっかけとなった「満州事変」の勃発です。日軍が、中国東北部の奉天(現在の瀋陽)郊外の柳条湖で、自ら線路を爆破し、中国人の仕業にみせかけて始めた戦争でした▼先日94歳で亡くなった山口淑子(よしこ)さんにとっては「目と鼻の先で始まった」戦争でした。1年後、居住していた撫順(ぶじゅん)の炭鉱を抗日ゲリラが襲撃した時、「中国人が憲兵に頭を割られ、赤い血潮をほとばしらせるという、衝撃のシーンも目撃しました」(『戦争と平和と歌』)と証言▼15年前には、NHKの番組「世界わが心の旅」に出て現地を訪問しました。「日語のうまい中国娘」の李香蘭(りこうらん)として中国を裏切った贖

    きょうの潮流 2014年9月18日(木)
    msyk710513
    msyk710513 2014/09/18
    NHKが訃報で触れなかった部分。そして弾圧下でも反戦活動、命がけだったんだよ共産党も共青も。戦争の真実を知る人がまた一人亡くなった。
  • 主張/戦争の遺跡・資料館/実相を消さず伝える努力こそ

    敗戦から69年が過ぎ、戦争体験者の高齢化がすすみ、悲惨な体験を語ることができる人が少なくなっています。一方で、再び「戦争する国」に向けた動きが強まるなか、重い口を開き始めた人たちもおり、痛苦の体験を語る人たちの証言を文書や映像などで記録・保存することが急がれます。 戦争の実態を“物的に証言”する遺跡や遺品、資料を展示・公開する資料館などの役割も注目されます。惨禍の実相を伝える戦争遺跡などを保存・活用し、「平和を発信する遺産」として次世代に引き継ぐことが必要となっています。 平和の発信に貢献 戦争遺跡は、主に1894年開戦の日清戦争前後から1945年のアジア・太平洋戦争終結頃まで、旧日軍の司令部跡や壕(ごう)などの軍事施設や軍需工場の跡、戦争で被害を受けた建物などを指し、日国内に約3万カ所あるといわれています。世界遺産にも登録された広島の原爆ドームが有名です。 「戦争遺跡保存全国ネットワ

    主張/戦争の遺跡・資料館/実相を消さず伝える努力こそ
    msyk710513
    msyk710513 2014/08/27
    体験者が高齢化し、直接聞ける機会が減っている、遺産が重要に。加害の過去も直視してこそ事実知ることに。重い口開く人の思いを大切に、過去を語り継ごう。岐路の今、尚更重要だ。