秘密を扱う労働者に憲法違反の身辺調査を行っている軍需産業―。その秘密保全規則をつくった体験を、川崎重工の元社員が本紙に語りました。証言から、戦後、日本が再軍備するなかで身辺調査の実施へと踏み出した経緯が浮かび上がりました。 「入社した年の夏から1年がかりで規則をまとめた。良心に反し、猛烈に精神にこたえる仕事だった」 証言した元社員の男性は1957年、当時の川崎航空機工業の岐阜工場(岐阜県各務原市)にいました。男性が配属されたのは「T33(ティー・サンサン)総務課」という部署です。 T33とは米ロッキード社のジェット戦闘機をもとにした練習機。自衛隊発足の54年に輸入され、翌55年から川崎航空機がライセンス生産しました。 男性はこのT33総務課で秘密保全規則をつくりました。 「会社の重役が渡米し、ロッキードの規則を英文のままごっそり持ち帰った。それをもとに規則を起案しろということだった」 規則