6月中旬の日露首脳会談で、両首脳が一致したとされる北方領土交渉の「再活性化」という言葉について、藤村修官房長官が「使われてはいなかった」と訂正した。 長官は「実態と食い違っていることは全くない」と強調したが、会談直後にロシアのメドベージェフ首相が2度目の国後島の訪問を強行したことをみれば、会談成果の意図的な誇張と非難されても弁明はできまい。 首脳会談などの外交交渉に一定の秘密は必要だが、使われなかった言葉を「使った」と発表することは、日本外交への信頼を失墜させる深刻な問題だ。過去の政府発表にも疑義を抱かせる。ロシア側が領土交渉に前向きとの「幻想」を振りまき、国益も損なった。 民主党政権の外交姿勢にも問題が多い。政府は、メドベージェフ氏による北方領土再訪の観測が出た6月下旬以来、「日本の立場と相いれない」などとする懸念をロシア側には再三、伝えてきたとしている。しかし、現実には翻意させることは
名曲『知床旅情』には、別のバージョンがある。もともと映画『地の涯(はて)に生きるもの』に主演した森繁久弥さんが、ロケ地の北海道羅臼(らうす)で作った即興歌だ。〈はるかクナシリ(国後)に白夜は明ける〉。歌詞のなかで国後島に思いをはせているものの、領土に対する情熱は感じられない。 ▼一方、メロディーが同じの『オホーツクの舟歌』では〈霞(かす)むクナシリわが故郷〉と、望郷の念がより強まっている。実はロケの前年、出漁中の漁船が遭難し98人が死亡する事故があった。 ▼もし国後島に避難できればこれほどの惨事にはならなかったと、森繁さんは地元の人から聞かされている。旧満州でソ連軍の乱暴狼藉(ろうぜき)を目の当たりにし、命からがら引き揚げてきた時の記憶が、蘇(よみがえ)ってきたのではないか。『オホーツクの舟歌』こそ、森繁さんの当時の心情に近かったはずだ。 ▼3日に国後島入りしたロシアのメドベージェフ首相は
ロシアのメドベージェフ首相が国後島入りした。2010年11月に続く2度目の北方領土訪問である。 首相は択捉島を訪れるとの情報もあった。悪天候のため急遽(きゅうきょ)、国後に変更されたもようだが、今回は閣僚も引き連れている。日本固有の領土である北方四島の不法占拠を固定化する暴挙であり、断じて許すことはできない。 前回、メドベージェフ氏は大統領だったが、「双頭体制」を組むプーチン首相(当時)の意向に忠実に従っていたとの見方が大勢だ。大統領に復帰したプーチン氏が6年の任期を見据え、自らの決断で首相を派遣して日本側に揺さぶりをかけたといえる。 2日には、近年で最大規模となるロシア海軍のミサイル駆逐艦など26隻の艦隊が宗谷海峡を通過したことが確認された。サハリン近海では演習も行った。首相の北方領土訪問に合わせたのか。 プーチン氏は6月中旬、野田佳彦首相とメキシコで行った就任後初の首脳会談で、領土問題
東京都の石原慎太郎知事がパンダの「名付け親」を買って出たらしい。妊娠の兆しが見られる上野動物園のシンシンが産んだ子供の名を「センセン」と「カクカク」にしたらいいというのだ。沖縄・尖閣諸島にちなんだもので、むろん中国に対する痛烈な皮肉である。 ▼もう少し詳しく言えば、定例の記者会見で「パンダには関心がなさそうですね」と水を向けられ、こう答えたのだそうだ。「子供生まれたら中国に返すんでしょ。それならセンセン、カクカクと名前を付けたらいい。そうしたら中国はパンダに関しては実効支配できる」。 ▼全国のパンダファンは「動物を政治に巻き込むとは」と、眉をひそめたことだろう。早速、シンシンらの貸主の中国に「ご注進」に及んだマスコミもあったのかもしれない。しかし目に余る中国の「棍棒(こんぼう)外交」に警戒を呼びかけるジョークとして受け止めたい。 ▼「棍棒外交」とは20世紀初頭の米大統領、T・ルーズベルトの
200カイリを超えて海底資源の権益を主張できる大陸棚の拡大について、政府は27日、国連の大陸棚限界委員会が日本の国土面積の約8割に相当する計31万平方キロの拡大を認める勧告を採択したと発表した。日本が同委員会の勧告を受けるのは初めて。 政府は、日本近海の海底にメタンハイドレートやレアメタルなどの海底資源の存在が確認されたことから、平成20年11月に7海域(計約74万平方キロ)で大陸棚の延伸を申請していた。 延伸が認められたのは、沖ノ鳥島を起点とした「四国海盆海域」のほか「小笠原海台海域」「南硫黄島海域」「沖大東海嶺南方海域」の4海域。南鳥島や八丈島周辺の海域は陸続きになっていないと判断され、認められなかった。 沖ノ鳥島をめぐっては、中国と韓国が「岩であり大陸棚は設定できない」と反発している。同委員会は、同島の北側に続く「四国海盆海域」の延伸を認めたことで、事実上、同島を「島」と認めた形だが
日本の元首相が政府の承諾を取らず、核兵器開発の疑いが濃厚なイラン首脳と勝手に会談した。あってはならない「二元外交」が鳩山由紀夫元首相のテヘラン訪問(7~8日)だった。 危惧された通り、鳩山氏はアフマディネジャド大統領との会談で、国際原子力機関(IAEA)はイランなどに「二重基準を適用し不公平だ」などと述べた、とイラン大統領府が発表した。核問題で重要な役割を担うIAEAに関して日本政府の立場に反するメッセージを発信した形となった。 帰国後、鳩山氏は「捏造(ねつぞう)だ」と在日イラン大使館に抗議したが、日本外交が受けた打撃は修復できない。鳩山氏は2月、民主党最高顧問として外交担当に任じられた。与党・民主党はこの肩書を取り上げるべきだ。安易な議員外交を許した野田佳彦首相の責任も極めて重大である。 鳩山事務所の発表文書によれば、テヘラン訪問は「イランとのパイプを利用し、国際社会と協調する重要性を訴
政府が主催した東日本大震災の一周年追悼式典で、台湾の代表が指名献花から外されるという扱いを受けた。 震災で93の国・地域、国際機関から寄せられた義援金や救援物資は集計分で計175億円だが、これに含まれない台湾は単独で200億円超もの義援金を寄せた。日本政府の対応は、人から受けた恩を忘れない日本的精神からも恥ずべきものである。 台湾の代表は「民間機関代表」と位置づけられ、各国代表らに用意された会場1階の来賓席ではなく、2階の一般席に案内された。この問題が取り上げられた参院予算委員会で、野田佳彦首相は「(台湾の人々の)お気持ちを傷つけるようなことがあったら本当に申し訳ない」と陳謝した。 しかし翌日の記者会見で、藤村修官房長官は「外交団という仕切りの中で整理され、外務省と内閣府で調整済みだった」と述べた。首相の謝罪を否定するかのような礼を欠いた説明だ。 昭和47年の日中共同声明によって日本は中国
【ワシントン=犬塚陽介】ホワイトハウスのアジア政策を昨年4月まで統括してきたオバマ政権元高官が8日、回顧録を出版して講演し、鳩山政権が提唱した米国抜きの東アジア共同体構想を「ストラティージック・フーリシュネス(戦略的愚劣)」と表現、当時の日米関係の最大の懸念だったと指摘した。 米国側は水面下で「全く容認できない」と日本側に伝えていたが、鳩山政権が「米国の弱い者いじめ」と主張しかねず、公の場での批判を控えたという。 回顧録「オバマと中国の台頭」を出版したのは国家安全保障会議(NSC)アジア上級部長を2009年1月~11年4月まで務めたジェフリー・ベーダー氏。著書で日本に関する8ページ分のほとんどを鳩山政権に割いている。 ベーダー氏はアジアで最も親密な同盟国の米国抜きの共同体構想は「驚愕」だったと回想し、中国でさえも「微笑と困惑」を隠せなかったと講演で語った。 提案を聞いたベトナムの大統領は米
ロシア最高実力者プーチン首相の大統領への返り咲きが決まった。2000年から12年に及ぶプーチン支配体制がさらに6年続くことになる。 プーチン氏は「われわれは正々堂々と戦って勝った」と大統領選勝利を宣言した。だが、氏の高得票率は有権者がソ連崩壊後の大混乱よりも安定を選んだというだけでなく、改革派野党を締め出し、政府機関を挙げてキャンペーンした所産でもある。公正だったとは言い難い。 体制の長期化で民主主義が後退することを案じざるを得ない。 そのプーチン氏が選挙直前、一部の外国報道陣と会見し、北方領土問題を「最終的に解決したい」と述べ、日本に経済協力期待の秋波を送って注目された。 氏は柔道家らしく日本語の「引き分け」という語を使い、平和条約締結後に歯舞群島、色丹の2島を引き渡すとうたった1956年の日ソ共同宣言を持ち出して、北方四島全島の返還を求める日本側に譲歩を迫る姿勢までみせた。 しかし、北
読売新聞の渡辺恒雄主筆がなにやらご立腹である。巨人のコーチ人事に容喙(ようかい)したとして彼を「コンプライアンス違反だ」となじったかつての部下、清武英利・前読売巨人軍代表との裁判が気になるのか、と思ったらさにあらず。 ▼沖縄返還に伴う日米の密約文書をめぐって昭和47年、西山太吉・元毎日新聞記者が逮捕された事件を扱ったドラマ「運命の人」(TBS系)に腹を立てているのだ。怒りの心情をサンデー毎日に寄稿しているが、ドラマよりも面白い。 ▼西山氏は、米国が払うべき補償金を日本が肩代わりするとの秘密文書を「情を通じて」外務省の女性事務官から入手。資料を現衆院議長の横路孝弘氏に渡し、国会の場で公にするが、不手際で情報源がばれてしまった。記者と事務官は国家公務員法違反で逮捕され、最終的に2人とも有罪になる。 ▼ドラマは、山崎豊子の同名小説をなぞっており、渡辺氏をモデルにした山部一雄記者を演技派の大森南朋
野田佳彦首相は「北方領土の日」の7日、北方領土返還要求全国大会で「北方領土問題の解決が極めて重要」と語り、ロシアとの交渉を「粘り強く続ける」との決意を表明した。 日本固有の領土である北方四島は戦後66年以上もソ連・ロシアの不法支配が続き、最近はその恒久化が進んでいる。北方領土返還が日本外交の最重要課題の一つであることは言うまでもない。問題は政府がそのための実効性ある方策を示していないことだ。 玄葉光一郎外相は先月28日の日露外相会談で、ラブロフ露外相と「静かな議論を続ける約束」をしたと述べ、「世論が割れないことが何より重要だ」と強調した。 しかし、双方が対立する問題で「静かな議論」とは「決着の先送り」にほかなるまい。北方領土の共同経済開発では、日本は主権を侵害されない条件下で認めようとしているが、ロシア側は日本に配慮すると言いつつ自国の法制を適用する構えだ。これでは、不法占拠の正当化になり
玄葉光一郎外相がこなした日帰りの訪中外交を振り返ると、中国側のペースで展開された印象が拭えない。 温家宝首相、楊潔●(ようけつち)外相、戴秉国(たいへいこく)国務委員(副首相級)の3氏との会談の直前、中国海軍の艦艇計6隻が沖縄本島と宮古島の間を通過する示威行動を行った。一連の会談で玄葉外相が一言も言及しなかったのは極めて遺憾である。 中国外務省は「例年行われる訓練」と説明したが、海洋権益の拡大を目指す中国海軍の艦艇や海洋調査船などの日本近海での行動は目に余る。中でも海軍は九州-沖縄-フィリピン-ボルネオを結ぶ第1列島線だけでなく、伊豆諸島-小笠原-グアム-パプアニューギニアを繋(つな)ぐ第2列島線以西の制海権確保を狙う意図が窺(うかが)える。 日本にとって、こうした中国軍の動向は重大な関心事だ。今年6月にも11隻の艦艇が同じルートを通過したことがあった。翌月訪中した松本剛明外相(当時)は漁
平和の毒にやられた国民に告ぐ 日本は米中露北朝鮮という核保有国に囲まれている。憲法前文にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持」することは空虚な願望でしかない。現実の国際社会で日本はいかに独立と安全を維持すべきか。元航空幕僚長の田母神俊雄氏と在米の国際政治アナリスト伊藤貫氏があらゆるタブーを排して果敢に語り合った。 田母神氏は日米同盟が現在の日本の安全保障の基軸であることを認めつつ、米国も突き詰めれば「自国第一」で、「自国よりも日本の安全を優先することはあり得ない」と断言する。冷戦時代は米国の意向に添うことが国益にかなったが、国際社会が急速に多極化している現状は、日本も「自国第一」で考え、必要なことは主張し、行動する国家であるべきだと主張する。 伊藤氏は、米国の著名な外交史家が日米同盟を「日本が独立国になるのを阻止する」同盟関係と述べたことを紹介、国益のた
ロシアのメドベージェフ大統領が北方領土・国後(くなしり)島を訪問するという確度の高い情報が菅直人首相や仙谷由人官房長官ら政府首脳に事前に伝えられなかったことが20日、分かった。政府関係者が明らかにした。今月1日の大統領による訪問直前の10月末、在モスクワの日本大使館から外務省欧州局に伝えられたが、菅首相らの耳には届かなかった。外務省から官邸に至る情報伝達ルートのどこかで握りつぶされた可能性がある。当時、菅首相と大統領はともにハノイに滞在。情報が伝われば日露首脳の直接交渉も可能だっただけに、日本側は訪問阻止の絶好機を逸したことになる。 日本固有の領土である北方領土への大統領の訪問計画は9月下旬に表面化した。北方領土問題への対応では強硬派で知られていた前原誠司外相は同29日にロシアのベールイ駐日大使を外務省に呼び、訪問取りやめを要請。大統領はロシア極東のカムチャツカ半島まで来たが、「天候の悪化
【ロンドン=木村正人】カタール・ドーハで開催中のワシントン条約締約国会議は18日、第1委員会で大西洋・地中海産クロマグロの国際商業取引を原則禁止するモナコ提案について協議し、採決の結果、反対多数で同提案は否決された。日本が反対していたクロマグロの禁輸措置はひとまず回避された格好だ。 採決では、投票国の3分の2以上が賛成すれば可決される規約になっている。投票国のうち賛成は20カ国にとどまり、68カ国が反対、30カ国が棄権に回った。 ドーハからの情報によると、第1委員会ではこの日、欧米諸国がモナコ提案を支持する中、日本や中東諸国が反対を表明した。リビアがモナコ提案への反対を表明後、採決を求める動議を提出。猶予期間を設けるなど条件付きでの禁輸を求めた欧州連合(EU)の修正案が否決された後、モナコ案も否決された。 クロマグロの禁輸案をめぐっては、米国やEU(加盟27カ国)、スイスなどが賛成に回り、
国際会議で日本の影が薄いのは、もはや驚かない。COP15でも、米国と中国の存在感ばかりが目立った。ただ、今回は鳩山首相が、世界で最も厳しい温室効果ガス削減目標と巨額の途上国支援をひっさげて臨んだだけに、むなしさが余計に募る。 ▼なぜだろう、と考えているうちふと思い立って、フランス文学者の河盛好蔵が、昭和25年に発表したエッセー「Bクラスの弁」を読み返してみた。河盛は、同時代を生きた小林秀雄や井伏鱒二らがAクラスに属するのに対して、Bクラスを自称した。 ▼といっても、卑下しているわけではない。「才能や能力の質の相違」であって、「実力のあるBクラスになることは、Aクラスの亜流になるより、遙(はる)かに難しい」という。Bクラスとしての職分を果たすために、Aクラスが「到達せんとする世界や目的に向かって、彼らと同様に熱心な注意を払い、彼らが刻々と占めてゆく位置についての観測を誤ってはならない」と説い
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