ウェブ3.0型社会 リアルとネット、歩み寄る時代 スポンサード リンク ・ウェブ3.0型社会 リアルとネット、歩み寄る時代 KNNの神田敏晶氏が、Web2.0の次にくる変化を先読みした本。 神田氏はネットの黎明期から、Webを舞台にメディア(ビデオ配信、メールマガジン、ブログ)を立ち上げたり、コミュニティを運営したり、会社を経営したり、事件を起こしたりしてきた。だから、このままいけば未来はこうなると予想するだけでなく、こうあるべきだ、こういうのが面白いんだ、ということが書いてある。 個人的に、これからはプロとアマの垣根が一層なくなっていくという話が面白かった。人間の消費行動が変わるだけでなく、生き方が変わろうとしているということだから。 「ブロガーがプロにも対抗できるのは、「今言うべきことを今言っている」という、ジャーナリズムの基本定義を満たしていることに加えて、「独自に調べた一次情報」、
勢いだけで生硬な、到底面白いとは思えないネタ文章が100も200もブクマを稼ぐ。それに引き替え練りに練った自分の文章は誰にも見向きもされず野晒しになったまま数ヶ月、やがて自己憐憫から書くのに二週間も費やしたそれを消去した。ローカルからもすべて。ためらいはなかった。わかっているよ。自分に創作能力がないなんてことは。 とくに興味深いところのない有名ブロガーが思いつきのようなフレーズを適当に呟いて40も50もブクマを稼ぐ。皆が何をありがたがっているのか自分には少しも理解できなかったが、自分もそれを真似て呟いてみた。毎日欠かさず呟いていた。しかし反応はなかった。わかっているよ。自分には適性がなかった。読み返してみたらまるで狂人の呻き声みたいではないか。そこには面白がることが困難なほど真に迫った、真性の異常者が確かにいた。 ブログをはじめてから二年ほど経つ。訪問客は検索エンジンに騙されて連れてこられ
最近、ブログのイジメ屋といわれている池田ですが、また小姑モードで・・・ 小飼弾さん経由で、渡辺千賀さんのブログの記事を読んだ。「日本の自動車産業が世界に冠たるものになったのは、日本政府が自動車産業を守らなかったから」というのも疑問があるが、「日本のソフトウエアは自動車同様、ほとんど保護を受けなかった産業の一つだが、そのグローバル競争力は地を這っている」というのは明白な間違いである。 日本のソフトウェア産業は、初期から政府の手厚い保護と指導のもとに置かれてきた。1960年代には、通産省はIBMの参入を遅らせ、その国産メーカーへのライセンス供与の交渉を政府が行なった。70年代には、通産省はIPA(情報処理振興協会)を設立し、電機メーカーを糾合してIBM互換(大型)機をつくらせ、「国産ソフトウェア」を開発する官民プロジェクトに多額の補助金を投入し、すべて失敗した。その代表が、シグマ計画やTR
山形浩生 の「経済のトリセツ」 Supported by WindowsLiveJournal - クイズ:経済学者3人にきいてみました。 The productivity of a worker equals the real product wage, that is, the wage measured in units on the product he is producing. 労働者の生産性は実質製品換算賃金 (real product wage)、つまりその人が生産している財ではかった賃金と等しくなります。 (グレッグ・マンキュー(ハーバード大教授/山形浩生訳) 後半でかれが言っているのが、すでに出ている話のどういう部分に相当するのかは、読者が自分で考えてみてね。 素人目に見ても、その部分は池田氏の議論に近いでしょう。下も参照。 Individual wages are
自分のブログ記事へのリンクがあったので、こんな記事があることを知った。 アルファブロガーの日記 - ブログのオリジナリティ ふむ、なるほど。最初に例示されたブログ記事は、確かに「テレビ番組のネタを完全にパクって紹介し、オリジナルな意見もほとんどない」といえそうだ。だが、このブログではさらに続けて「こうした作法はブログ界ではどれほど許容されているものなんでしょうか」と語る。そして、引用の度がすぎるようなものがブログ記事として受け入れられている、として、はてなブックマークで人気のサイトを列挙し、「オリジナルとは程遠いブログがずっと持ち上げられている」「アクセス数を稼ぐためにはオリジナリティというのは全く必要な要素ではないようです」と結論づける。 この記事に対して「ホッテントリといえども既存の情報を加工しただけと検証」というブックマークコメントもついた。 だが、ちょっと待ってほしい。そこで列挙さ
一昨日の記事のコメント欄で「分裂勘違い君劇場」を皮肉ったら、劇場主の逆鱗にふれたらしく、その記事が批判(?)されている。長いのでちゃんと読んでないけど、「コンテンツを、無料で気前よく放出してくれるのは、いったいなぜなのか?」というのはもっともな疑問なので、お答えしておこう。 第1の理由(もともとの動機)は、発想のメモだということだ。論文は一つのテーマで書けるが、1冊の本が一つのストーリーで書き下ろせることはまずないので、忘れないうちにいろんなネタを記録しておくのだ。コラムや書評なら、これを加工すればすぐ書けるし、いま書いている本も、このブログの記事を素材にしたものだ。その意味では、私にとっては無料ではない。これってもしかすると、書き手のインセンティヴと情報流通の効率性を両立させる賢いしくみかもしれない。 第2の理由は、政策担当者やビジネスマンに影響を与えることができるということだ。当ブ
一昨日夜半病院行きとなったムスビ。今日は随分元気になってきました。病名は、バクテリアによる消化器異常・・・つまり「食あたり」ですな。うーん、何を食べたのか。(もう一匹はピンピンしている。) なぜバクテリアとわかったかというと「サンプル」を持ち込んで顕微鏡で見てもらったから。サンプルが何かはヒ・ミ・ツ。脱水症状気味だったので、生理食塩水を打ってもらって、あと抗生物質ともう一つ注射して、薬をもらって、消化のよい処方箋キャットフードを出してもらって帰宅。これで2時間。ふー。 で、今は、毎日二回薬を飲ませないとならないんですが、これが、針のない注射器で1ccずつ二種類を喉に流し込む、という荒業。手で、ぐわっと猫の頭を掴んで仰け反らせ、口をあけた瞬間に喉の奥のほうめがけてぐしゃっと噴射。結構上手くなってきたけど。 昨日は、隅っこにうずくまって水も飲まず、ダダモレ状態でしたが(今日もちょっと)、今日は
あまりする気はない。私はもう枯れてしまったのと、なんというかそういうものの地獄に疲れたかなというのはある。なにが一番悲惨かというと無益な点だ。 あと優れた論者がネットの議論に強いわけではない。ディベートが現実の問題解決に役立たないことが多いのと似ている。 基本的にイデオロギーが対立している場合は、譲歩はないのだし、そういう場での議論が好きな人間は最初から勝つ気でいる。そして勝つと決めた人間はなんだってやるのだ。そんなやつに勝てるわけないじゃないか。 私は議論は常に負けることを想定している。私の考えは正しくないかもしれないし、それが明らかになるのを自分が認める地点を残しておきたい。というか、私なんていう人間は社会的には芥子粒のようなもので、キーキー言う意味はない。あるいは私に意味があるとすればそういうことではない。 私はネットというのは昨今のメディアで言われているような意味では匿名ではありえ
当ブログは私の個人的なメモで、多くの人に読んでもらおうとは思っていないし、一般受けするように書いてもいないのだが、最近は毎週10万ページビュー(35000ユーザー)を超えるようになった。gooブログのアクセスランキングでは、先週は約70万ブログのうち第6位。テクノラティのリンク数によるランキングでは、全世界の6300万ブログのうち5246位、日本では78位だ。こんな無愛想で小むずかしい「ロングテール」的なブログが「ヘッド」に位置するようになったのは意外だが、当ブログのような社会科学的な話は、日本では稀少価値があるのかもしれない。 ただ読まれている記事は、私の予想とは違う。過去1年のアクセス記録は残っていないので、「はてなブックマーク」のランキングを見ると、上位は次の記事だ:同和のタブー高利貸しが最貧国を救うauはなぜつながりやすいのか効率の高すぎる政府SIMロックの解除は犯罪か2ちゃんね
■システム・スルー力におけるコメントの事実性 ネタだなと思いつつ、システム・スルー力のことをぼんやり考えていた。 ■匿名コメントを取捨選択する能力-間違い指摘コメントに関する雑感 またこういうことを書けばはてなの馬鹿読者に老人のたわごとと思われて「ネタ」というタグを振られるのだろうなと、いつものように諦念とあきらめの入り混じった気持ちを抱きつつ、ブロガーが匿名コメントを取捨選択する能力をなんと名づけようか、これを「スルー力」と名づけるのがよいのかとぼんやりと思いついたので、今日も駄文を書き連ねることにした。 コメント力ではないが、コメントの意義というか位置は重要だと思う。というか、スルーされていけないコメントが存在するために、悪意コメントとのリスクとバランスして自分のブログはコメントを開けているのだった。 コメント能力というと直接的すぎるかもしれないが、たとえばコメントそのものの意義という
essaさんのわかることから書き始めてわからなくなるまで書くを読んで興味深く思った。 結城の書き方とまったく逆だったから。結城の場合には、「気になるけど自分でよく考えていないこと」からスタートする(たとえばこの文章自身がそうだ)。そして考えながら文章を書いていく。そうしていくうちに、自分の中になにかが形作られていくのを感じる。そして最後に、どんなに小さくてもいいから一つの「まとまり」になったところでやめる(そうでない場合もあるけれど)。 追記:以下、関連している文章。 別世界への扉 (2005年) 文章を、短く書くのは難しい (2002年) 本を書くのって、何でこんなに大変なのだろう (2001年) こんな本を書きたい (2000年) たぶんその問題は、対数関数が単調増加であることを利用するような気がする。両方の数の対数をとって指数を降ろしてくる。そして対数を有効数字2桁か3桁かで近似計算
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