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ブックマーク / booklog.kinokuniya.co.jp (14)

  • 『近代論-危機の時代のアルシーヴ』安藤礼二(NTT出版) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 著者のいる多摩美の芸術人類学研究所、凄くなりそうね 夏目漱石の1900年代、また萩原朔太郎の1930年代を対象として、未曾有の強度で体感された「近代」をそれぞれあぶりだそうとした博論力作二篇を読んだ後だ。山口昌男流「歴史考古学」の連繋センスと、時にとても中沢新一的な連想誘発型の文体で早くも独自の境地に達した安藤礼二が、「近代」の問題をいかにもというのでない材料で論じた『近代論』を取り上げて、“近代論”書評シリーズの締めとしたい。 日露戦争から戦間時代にかけてといった漠たる表現ではなく、「明治43年(1910)から明治44年(1911)にかけてという、この列島の近代に穿たれた、わずか二年という特異な時空の歪み」のことと断じられては、何ごと、と思わず手に取るしかない。自信ありそう、明快そう。その通り、実に明快だ。意表つく材料の組み合わせながら、読後、「近代」を論じるにこれ

    『近代論-危機の時代のアルシーヴ』安藤礼二(NTT出版) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
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    walkinglint 2008/04/25
    > 当時の「資本主義グローバリズム」への初めての否であり、同様に狂ったグローバリズムの現代への「予言」となって当然なのだから、明治40年代を論じるに、フーコーが論じられドゥルーズが論じられて、何の違和感
  • 高山宏の読んで生き、書いて死ぬ : 『アルス・コンビナトリア―象徴主義と記号論理学』 ジョン・ノイバウアー[著] 原研二[訳] (ありな書房)

    →紀伊國屋書店で購入 『アムバルワリア』を読んだら次にすること チェスで人がコンピュータに勝てないと判ってからどれくらい経つか。感情や情念といった言葉を持ち出して、人にしか書けない詩があるという人々はなお多く、現に「詩」は相変わらずいっぱい書かれている。しかし、チェスの棋譜を構成していくのと同じ原理が詩をつくるとすれば、人は詩作でもコンピュータに勝てないことが早晩判るはずだ。そう考える詩学がある。チェスと詩学が全く違わないことを、作家ボルヘスは『伝奇集』中の有名な「『ドン・キホーテ』の作者、ピエール・メナール」に宣言した。 ニーチェが「感情の冗舌に抗して」成り立つとした文学観が存在するが、この言い分をキャッチフレーズに掲げたロマニスト、グスタフ・ルネ・ホッケの我らがバイブルたるべき『文学におけるマニエリスム』によれば、「マニエリスム」という文学観がそれで、読むほどに、ヨーロッパで成立した詩

    高山宏の読んで生き、書いて死ぬ : 『アルス・コンビナトリア―象徴主義と記号論理学』 ジョン・ノイバウアー[著] 原研二[訳] (ありな書房)
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    walkinglint 2008/03/12
    > 詩と数学が19世紀末からモダニズムにかけて重合し、この重合の源泉がノヴァーリスのロマン派にあり、さらにその源流がマニエリスム数学者ライプニッツの「組合せ術(ars combinatoria)」にあり、さらにその源流は・・・
  • 文芸評論家・加藤弘一の書評ブログ : 『宇宙をプログラムする宇宙』 セス・ロイド (早川書房)

    →紀伊國屋書店で購入 目下、情報理論による科学の再編成が進んでいるようだが、書は多分、その最前衛に位置するである。 著者のセス・ロイドはMITの機械工学科で量子コンピュータの開発にあたっている第一線の研究者である。機械工学科で量子コンピュータを作っているのは妙な感じがするが、農学部で遺伝子工学を研究するようなものなのかもしれない。 ロイドは研究者としては優秀なのだろうが、一般向けのを書くのに慣れているとはいえない。ロイドは宇宙はキュビット(量子ビット)の集合体であり、宇宙と量子コンピュータは区別できず、宇宙そのものが量子コンピュータだといきなり断定する。そして、その断定を書のそこかしこでくりかえすのであるが、なぜそうかという説明は言葉足らずで終わっている。ロイド自身にとってはあまりにも自明のことなので、説明のしようがないのかもしれないが。 幸いサイフェの『宇宙を復号する』を読んだ後

    文芸評論家・加藤弘一の書評ブログ : 『宇宙をプログラムする宇宙』 セス・ロイド (早川書房)
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    walkinglint 2007/11/30
    > 目下、情報理論による科学の再編成が進んでいるようだが、本書は多分、その最前衛に位置する本である。
  • 高山宏の読んで生き、書いて死ぬ:『わたくし率 イン 歯ー、または世界』川上未映子(講談社)/『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』川上未映子(ヒヨコ舎)

    →『わたくし率 イン 歯ー、 または世界』を購入 →『そら頭はでかいです、世界 がすこんと入ります』を購入 関西弁のマニエリスムかて、や、めっさ、ええやん ぱらっとめくったページにいきなり、 それまでの季節を洗濯機に入れたのは二十歳のこと。それをきしめんにして、きざんで乳液にまぶす。で、君の粒だった背中を保湿したのもいつかの荒れ狂う最大の四月のことであった。 という文章があっては、取り上げる他ない。むろんT.S.エリオットの「残酷な四月」を知っていればの話でもあるが、この散文は完全に詩である。ランボーの「季節」(おお季節よ、おお城よ)と洗濯機との、きしめんとの無体な組み合わせは詩というものの機能をさえ定義している。このイメージの疾走は何なのかと思うと、「イメージが結ぶ早口で興奮してゆく物語が何十万回目の腹式呼吸を追い越してゆくのを」掴まえられない自分とあって、そのわけは「そいつの首ねっこを

    高山宏の読んで生き、書いて死ぬ:『わたくし率 イン 歯ー、または世界』川上未映子(講談社)/『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』川上未映子(ヒヨコ舎)
  • 高山宏の読んで生き、書いて死ぬ - 『人造美女は可能か?』巽孝之、荻野アンナ[編](慶應義塾大学出版会)

    →紀伊國屋書店で購入 オタク死んでも、やっぱマラルメは残るぞかし いってみれば機械マニエリスムが16世紀に始まったことを教えてくれる最近刊に次々と啓発された後、その20世紀末~21世紀初頭における再発を一挙総覧できるのも、有難いし、面白い。それが慶應義塾大学藝文学会2005年末の恒例のシンポジウムのプログラムに多少の稿を加えての今回作。 巽孝之氏の編というので、見ぬうちから安心。序に「わたしたちの人造美女エンサイクロペディア」を謳うが、書き手・読み手として以外に、編む人としての巽氏の目配りぶり、遺漏なき網羅への意志を誰よりも愛ずるぼくなど、目次案をじっと眺めて、もはや画期書と納得した。1954年にフランスで刊行されるや近現代セクシュアリスム論のバイブルと呼ばれて、東野芳明や澁澤龍彦といった論者の決定的霊感源ともなったシュルレアリスト作家・批評家、ミッシェル・カルージュの名著『独身者の機械』

    高山宏の読んで生き、書いて死ぬ - 『人造美女は可能か?』巽孝之、荻野アンナ[編](慶應義塾大学出版会)
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    walkinglint 2007/10/09
    > カルージュがデュシャン、カフカの共通項として析出した独身者性(celibacy)とは「愛と生殖の拒否」、「機械的工程としてのエロティシスム」、「女性との関与や交感の不可能性を模している機械」というふうに
  • 『ハンナ・アーレント -- 〈生〉は一つのナラティヴである』ジュリア・クリステヴァ(作品社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「やわらかに描き出されたアレントの生と思想」 クリステヴァの女性評伝三部作のうちの一冊で、ほかの二人はメラニー・クラインとコレットだ。ある種の女性は、「精神生活の生き方の天才」(p.11)でもありうるという視点から、この三人が選ばれたようだ。ほかの二冊は未見だが、アレントに関してはクリステヴァはこの天才の描写に成功していると言えるだろう。ときに難解な文章も書くクリステヴァだが、書はきわめて平明であり、アレントの個性を鮮やかに描きだしている。 とくに大きな印象をうけたのが、アレントの『ラーエル・ファールハーゲン』という書物の、わずかに精神分析的な解釈である第一章第三節「範例の意味」である。一七世紀末から一八世紀の始めにかけてベルリンでロマン主義者たちを集めたサロンを開いていたラーエルについてのアレントの解釈は、アレントの思い込みの強さによって見通しが悪くなっている

    『ハンナ・アーレント -- 〈生〉は一つのナラティヴである』ジュリア・クリステヴァ(作品社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
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    walkinglint 2007/09/27
    > 「生は一つのナラティブである」というアレントの生き方と思想
  • 『スナ-ク狩り』ルイス・キャロル[作] 高橋康也[訳] 河合祥一郎[編] (新書館) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 虚無の大海もトリヴィア泉の一滴に発す マーティン・ガードナーのファンである。1914年生まれというから、少し頑張ってもらえばめでたい百歳も夢でない。アメリカ版・竹内均先生と大学生に紹介しても、肝心の竹内氏が科学雑誌『ニュートン』他を宰領したポピュラーサイエンティストの大物だったことさえ知らない時代だから、ガードナーの偉さはなかなかわかってもらえない。『自然界における左と右』(紀伊國屋書店)で、DNAやアンチマターの説明を、ごく卑近のたとえ話を駆使して巧みにやる啓蒙科学の名手。それもそのはず、最先端科学を一般読者に紹介する名雑誌『サイエンティフィック・アメリカン』誌の伝説的編集長だった。繰りだす話柄に事欠くはずもない。整数論や幾何学にみられるパラドックス現象のコレクションや解説が『ガードナーの数学サーカス』、同『数学カーニバル』で余りに見事なものだから、数学の万年落第生

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    walkinglint 2007/08/01
    > 「詳注」はこうして焼酎に通ずで、ほどほどに酔うが肝心。詳注好きのぼくなど、いつも書き込み過ぎて失敗してきた。
  • 『体位の文化史』 アンナ・アルテール、ペリーヌ・シェルシェーヴ[著] 藤田真利子、山本規雄[訳](作品社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「エロティックなサーカス」の俗流マニエリスム 「古今東西の性典や史料を蒐集し、すべての体位と性技の歴史を辿った、世界初の“体位の文化史”」と帯に謳われては、「文化史」の権威と呼ばれるぼくとしては、この一冊、目を通さずにはすまない。『ヴァギナの文化史』、『ペニスの文化史』、『お尻とその穴の文化史』 を既に入れた作品社「異端と逸脱の文化史」叢書(?)の新刊となれば、是非にも読みたい。 ロミの『悪大全』、『おなら大全』、『でぶ大全』 を高遠弘美の抱腹絶倒訳で入れたこの叢書は、さらに石川弘義『マスタベーションの歴史』だの、ジョルジュ・ヴィガレロ『強姦の歴史』だの、この『体位の文化史』の直前には、ロベール・ミュッシャンブレ『オルガスムの歴史』だの、どこまで行けば気がすむのといいたくなるほどのセレクションで此方を喜ばせてくれる。そのほとんどに手を付けて、なかなか達者な文体で笑わ

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    walkinglint 2007/07/25
    ほう > 愛の国がそれらしくなったのは1968年のいわゆるパリ五月革命以降という話には驚かされた。
  • 高山宏の読んで生き、書いて死ぬ:『先生とわたし』四方田犬彦(新潮社)

    →紀伊國屋書店で購入 由良君美という「敗者の精神史」 もう60冊は簡単に越えているのだろうか、四方田犬彦氏の仕事には無条件に脱帽してきた。とにかくアクチュアルであることに憑かれてパレスチナへ、クロアチアへ、韓国へと飛ぶ。どこまで知っているのかという博読ぶりにも驚くが、だから現地ルポがルポルタージュに終るはずもない。過激な政治的スタイルで文章が荒れる虞(おそ)れなどなく、『摩滅の賦』を頂点とする、澁澤龍彦ぶりの小さな対象へ感入していく微細玄妙の感覚と文体を放すこともない。つい先日も阿部嘉昭氏が『摩滅の賦』収中の「オパールの盲目」の精緻を激賞していたが(『d/SIGN』14号)、当に主題の自在、観察の巨細、驚くばかりで、ぼくは実は世間的に言えば氏の「先輩」ということになるが、この「後輩」にはずっと頭が上がらないで今日に至っている。 中でも特別の才と感じるのが、『モロッコ流謫』に極まる評伝の書

    高山宏の読んで生き、書いて死ぬ:『先生とわたし』四方田犬彦(新潮社)
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    walkinglint 2007/07/11
    由良ゼミ面白そうだったものな... > ハイデガーやディルタイ、カッシーラのドイツに留学しながら、やがてナチズムに傾倒していったこの父親の圧倒的影響力に対するアンビヴァレンツとして、由良君美のダンディズムの
  • 『食卓談義のイギリス文学-書物が語る社交の歴史』圓月勝博[編](彩流社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「卓」越する新歴史学の妙 学問史といってもよいし、知識形成論、知識関係論といってもよいが、才物たちの離合と集散の中から新しい知識が算出される様子を描くはどれも面白い。田中優子『江戸の想像力』は「連」のそうした出会いの産出力を描いて魅力的だったし、山口昌男歴史人類学はそもそもの『の神話学』から『内田魯庵山脈』まで、要するに大小のコロニーの中で生じるパラダイム変換の記述誌といってもよいほどだ。 洋書には無数にあるが、フロイト・ユング往復書簡(邦訳:講談社学術文庫〈上〉・〈下〉)編集で有名なウィリアム・マクガイアの書いた『ボーリンゲン』(1982)以上のものはない。分析心理学のC・G・ユングが世界中の知性を領域横断的に周りに集めたいわゆるエラノス・ターグンク(エラノス会議)が、アメリカにそのディヴィジョンとしてボーリンゲン基金・出版をいかにして創設したかを、20世紀を変

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    walkinglint 2007/06/19
    > 一番初めに、政治論が飛び交い、商人ダニエル・デフォーや文豪ジョン・ドライデンの耳学問の舞台となり、最後にはロマン派の文学談義の白熱の場になだれこんでいった人と人を会わせ、喋り合わせるテーブルの百年
  • 『表象のエチオピア-光の時代に』高知尾 仁(悠書館) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

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    walkinglint 2007/06/19
    > 英独仏伊の洋書で自分が良いと思ったものは、しかし全然というくらい訳されていないので、自分が訳してしまうものだから、出版や書評界の仁義として翻訳者が書評者になるのがおかしいとされる以上、
  • 書評空間:高山宏の読んで生き、書いて死ぬ

    高山宏 (たかやま・ひろし) 1947(昭22)年生まれ。1974年東京大学大学院人文科学研究科修士。批評家。翻訳家。 2008年4月より明治大学国際日学部教授。長年、無目的・快楽的に蓄積してきた知識の整理と、発信型カリキュラムへの編成・伝習という、なにやら明治啓蒙家的な意欲が湧くのも、「明治」へ行ったせい? 5月24日(土)新学部開設記念講演会で喋る。来れよ。 また、4~8月の第2土曜日・15時~16時半・稲城市地域振興プラザ会議室にて、「江戸の美術を新しく観る!」開講中。照会・申込はいなぎICカレッジまで。 やっと十年待望のまとまった暇がとれたところで、執筆・翻訳に戻る。乞う御期待。 2008年6月に『新装版・アリス狩り』『アリスに驚け』(青土社)刊行予定。翻訳はS.シャーマ『レンブラントの目』(河出書房新社)、B・M・スタフォード『実体への旅』『象徴と神話』(産業図書)などを予定。

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    walkinglint 2007/06/19
    喝采 > ただの書評を続けていくつもりはない。世に高山学、タカヤマ・ワールドと呼ばれる百学連環の世界を、いかなる本を相手にしようと、その本を評するという枠の中に、いつもめいっぱいに注ぎこんでみたいと念じて
  • アップルコンピュータ株式会社・増井俊之の書評ブログ : 2007年05月15日

    →bookwebで購入 「一極集中への警鐘」 Googleが/Amazonが/Web2.0が凄いというが最近巷にあふれているが、 書はこれらのサービスの凄さや面白さを宣伝するではなく、 ネットの進化によって発生する一極集中の問題について議論したである。 ネット上のGoogleAmazonなどのサービスのおかげで、 今までアクセスできなかった情報に簡単に触れることができるようになったのは間違いない。 沢山の情報が手に入るようになれば人間の行動は多様化しそうなものであるが、 実際はこのような予想に反し、 特定のがベストセラーになったり特定の会社がひとり勝ちしたりする現象が最近はなはだしい。 簡単に情報を手に入れることができるようになったおかげで、 人気のあるものについての情報が簡単に行きわたるようになり、 誰もがその情報に流されてしまう可能性がある。 また、個人が積極的に情報ソース

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    walkinglint 2007/05/18
    > 人為的に情報の流れを制御して、ガラパゴスのように分裂した環境を作ることができれば、環境ごとに全く異なる進化がみられるかもしれない。
  • 『言語のレシピ』 ベイカー (岩波書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 明治以来、日人は日語を特殊な言語と思いこんできたが、日語が特殊だというのは欧米の言語や中国語と比較するからであって、世界的に見れば決して特殊というわけではない。 書は文の作り方という視点からまとめた言語類型論だが、現存する6000の言語のうち、英語のような語順の言語(主語-動詞-目的語)と日語のような語順の言語(主語-目的語-動詞)はほぼ同数で、それぞれ2500ほどあるという。書では「主語-動詞-目的語」型の言語を「主要部先行言語」、「主語-目的語-動詞」型の言語を「主要部後続言語」と呼び、英語と日語で代表させている。日語は特殊どころか、二大類型の一方を代表する言語なのだ。 三番目に多いのは「動詞-主語-目的語」型の言語で、ウェールズ語、中米のサポテック語など600ほどある。以下、「動詞-目的語-主語」型、「目的語-主語-動詞」型がつづくが、「目的語-

    『言語のレシピ』 ベイカー (岩波書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
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    walkinglint 2007/04/02
    > 本書は文の作り方という視点からまとめた言語類型論だが、現存する6000の言語のうち、英語のような語順の言語(主語-動詞-目的語)と日本語のような語順の言語(主語-目的語-動詞)はほぼ同数で、それぞれ2500ほどある
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