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戦争と歴史に関するo-kojo2のブックマーク (30)

  • NHK NEWS WEB 「受忍論」 新資料が語る国の方針

    「受忍論」 新資料が語る国の方針 8月12日 19時14分 太平洋戦争の末期、アメリカ軍の空襲によって日の各地が大きな被害を受けました。このうち原爆によって被害を受けた人には一部医療の面などで国の援護がありますが、東京大空襲など原爆以外の空襲の被害者には国による救済はありません。 どうしてこうした違いが出たのでしょうか。その鍵となる新たな資料が見つかりました。その資料とは、昭和54年から非公開で開かれた国の懇談会の議論を記録した文書です。ここでの議論がその後の戦後補償に大きな影響を与えたと言われています。 広島放送局の中村友聡記者が取材しました。 救済ない空襲被害者 大阪・堺市に住む安野輝子さん(76)は、6歳のとき鹿児島県で空襲に遭い左足を失いました。 空襲による被害を救済してほしいと国家補償を求め、平成20年に訴えを起こしましたが退けられました。控訴・上告したものの訴えは認められ

    NHK NEWS WEB 「受忍論」 新資料が語る国の方針
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    o-kojo2 2015/08/13
    我慢の精神
  • 韓国軍によるベトナム人戦時虐殺問題――戦争の記憶と和解/伊藤正子 - SYNODOS

    かつて韓国軍はベトナム戦争に参戦した。精鋭部隊のべ31万人以上を派兵し、5000人前後の死者を出した。この間に生じた民間人虐殺は、最近の「嫌韓」ブームのなかでしばしば取り上げられている。しかしそれは、従軍慰安婦問題などに対する日の責任を問う声への反撃材料として利用することに終始した、生産性のないものである。 ここで論じたいのは、韓国とベトナム双方での虐殺の語られ方である。そして韓国軍による民間人虐殺に関して韓国世論が二分された背景をさぐり、自国の負の歴史を直視することの困難さに触れたい。 さらに負の歴史を記憶し未来の平和に役立てようとする韓国NGOの活動がベトナムで果たした役割について考えたい。 一方ベトナムでは、戦争に関する歴史認識が公定記憶に強く支配されているため、公定記憶になりえない記憶がこぼれ落ち、国際関係に影響を与えない範囲でしか歴史を語れない状況にあることを指摘する。 韓国

    韓国軍によるベトナム人戦時虐殺問題――戦争の記憶と和解/伊藤正子 - SYNODOS
  • 「軍神」の弟と言われて…/元沖縄県警刑事部長 大舛重盛さん(84)/兄25歳 ガダルカナル戦で玉砕、姉16歳 ひめゆり学徒で弾雨に倒れ

    戦死した兄は「軍神」として沖縄戦への県民総動員に利用され、姉は16歳の若さでひめゆり学徒として戦死。兄と姉を失った元沖縄県警刑事部長の大舛(おおます)重盛さん(84)は「遺族としての発言なら」と紙のインタビューに応じ、「再びあのような戦争のない世を願う」と沖縄島の自宅で語りました。沖縄戦から69年、戦後70年を前に、いまだ癒やされない遺族の痛苦の胸中は―。 (山眞直) 大舛さんは、8人きょうだいの三男として与那国島で生まれました。沖縄県警の第11代刑事部長として1989年3月に退官。 長兄の大舛松市陸軍大尉は、43年1月13日に南太平洋のガダルカナル戦で25歳の時、戦死しました。遺族の元に戦死公報が届いたのは同年10月でした。 軍人最高の栄誉である「個人感状」が授与され、当時の新聞はいっせいに「軍神大舛に続け」と沖縄戦への県民総動員報道を繰り広げました。 「兄に続く」 重盛さんは当時

    「軍神」の弟と言われて…/元沖縄県警刑事部長 大舛重盛さん(84)/兄25歳 ガダルカナル戦で玉砕、姉16歳 ひめゆり学徒で弾雨に倒れ
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    o-kojo2 2014/11/13
    若者に死を強いるなんておかしいよ
  • 時事ドットコム:台湾も「抗日」「慰安婦」記念館=来年開設の意向

    台湾も「抗日」「慰安婦」記念館=来年開設の意向 【台北時事】台湾の馬英九総統は7日、「抗日戦争勝利70周年」となる2015年に「抗日戦争記念館」と「慰安婦歴史展示館」を開設する考えを示した。馬総統はこのところ、対日関係で厳しい姿勢を見せている。  馬総統は同日、日中戦争の発端となった盧溝橋事件77年の関連イベントに出席。節目となる15年について、「台湾にとって非常に重要だ」と強調。歴史的事実の保存を目的に国防部(国防省)など関係部署に二つの施設開設を指示したことを明らかにした。   また、馬総統は領有権を主張する沖縄県・尖閣諸島(台湾名・釣魚台)に関して、「領土、主権をわずかでも譲歩することはできない」と主張。「釣魚台は最も早く日に侵略された領土だ」と述べ、「戦後、日台湾島)、澎湖諸島を返還したが、釣魚台はまだだ」と訴えた。(2014/07/07-20:31)

    時事ドットコム:台湾も「抗日」「慰安婦」記念館=来年開設の意向
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    o-kojo2 2014/07/08
    誰も戦前の日本なんて肯定してくれない
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  • 元谷 外志雄氏の脳内「エネルギー謀略戦」(Oct 14, 2013) - flagburner's blog(仮)

    つい先日のことになるが、小泉 純一郎(Junichiro KOIZUMI)元日国首相が「原発ゼロを実現し、再生可能エネルギーによる循環型社会を目指すべきだ」なんて趣旨の発言してたらしい。 正直、小泉元首相の性格と過去の言動を踏まえれば、真っ当に(?)原発廃止を訴える人なら小泉元首相の発言を信じられるとは思えないのだが・・・。 そんな小泉元首相の発言について、一部の人達から熱狂的な支持を集めてる「アパグループ大賞」なるイベントの立役者にしてアパグループ代表である元谷 外志雄(Toshio MOTOYA)氏がわけのわからない陰謀論をカマしていた。 ・【誇れる国、日】「脱原発」論に感じる石油メジャーの謀略 国益のために再稼働の決断を(2013年10月13日 zakzak.co.jp) タイトルの時点で危険なにほひしかしないこの論説。 当然のように、中身はどこから読んでもヤバさが一発でわかる危

    元谷 外志雄氏の脳内「エネルギー謀略戦」(Oct 14, 2013) - flagburner's blog(仮)
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    o-kojo2 2013/10/16
    妄想力高いな
  • 山田耕筰、獅子吼す。米国は未開のジャングル、米国人は蕃人以下の悪鬼! 戦中論文「敵米国の音楽観と我等の進撃」を読む : 「集団音楽」の研究(軍歌ブログ)

    2月15 山田耕筰、獅子吼す。米国は未開のジャングル、米国人は蕃人以下の悪鬼! 戦中論文「敵米国の音楽観と我等の進撃」を読む カテゴリ:日の軍歌人物 山田耕筰については今更説明も不要かと思います。日洋楽界の一大功労者で、逸話も豊富です。  欧州留学中に同性愛者に見初められたり、日初の管弦楽団を自身の不倫でぶっ潰したり、占星術に嵌ってまで出しちゃったり。そして戦時中は、将官待遇で意気軒昂、軍装帯刀し、音楽挺身隊を率いて軍歌を演奏しまくり、ユダヤ陰謀論にジャズの排撃と獅子奮迅の活躍をしておりました。  戦時中の大活躍については今やよく知られていますが、では具体的にどのようなことを書いていたのか、となるとそれほど知られていないかもしれません。そこで、1944年に書かれた論文「敵米国の音楽観と我等の進撃」を読み、山田耕筰が米国人を「人間ではなく悪鬼そのもの」と獅子吼していた姿を確認してみよ

  • 狂気の「ぶち殺せ!」標語

    『主婦之友』昭和19年12月号 昭和17年から20年までの、いわゆる「決戦下」の婦人誌は、「必勝の耐乏生活」 「勝利の頑張り生活」「戦う育児生活」などなど、特集タイトルを見るだけで、泣けてくるほどのトンデモぶりだ。 中でも『主婦之友』のこの号は群を抜いてい る。特集は「これが敵だ! 野獣民族アメリカ」。興味深い記事内容は次回に紹介するとして、それ以上にスゴイのが、総52頁のうち21頁にわたって という4パターンのスローガンが刷り込まれていることだ。1頁めくれば「……ぶち殺せ!」次の頁には「……生かしておくな!」……。 これには驚いた。誌面全体が異様な憎悪と興奮に満ちている。『主婦之友』編集部の〈呪い〉にも似た「ぶち殺せ」スローガンは、敗戦直前の昭和20年6月号まで続き、 と、さまざまなバリエーションで繰り返された。戦時史研究家・高崎隆治氏によれば、この『主婦之友』昭和19年12月号は古書店

    狂気の「ぶち殺せ!」標語
  • Gazing at the Celestial Blue 旧日本軍第32軍司令部壕説明板記述から「慰安婦」等の記述が削除

    「沖縄情報うちなーぐちフェスタ」さんでは、「旧日軍の第32軍司令部壕」をこう説明していた。この司令部跡は首里城と弁財天の間にあるのですが、看板もなく、どのサイトでもあまり紹介されていないため、誰も訪れることが有りません。 あるいは、「沖縄発!役に立たない写真集」さんによると、首里城と弁財天堂との間の木々の中にひっそりと、首里にあった旧日軍の第32軍司令部壕の痕跡が残っています。案内板も説明板も無く、首里城とは対照的に、観光客はだれも誰も訪れてはいません。 草場の中に埋もれようとしているこのコンクリートの残骸が、旧32軍司令部壕の入口の一つでした。現在戦闘による落盤の為、この入口からは入る事ができません。 そんな旧日軍第32軍司令部壕に、説明の看板が設置されるという話を目にした。説明文案はこんなだったというのだが…。 第32軍の創設と司令部壕の構築 1944(昭和19)年3月、南西諸島

  • 南京1945年-日僑集中営- - bat99のブログ

    昨日紹介した「南京1945年」だが、Amazonで検索しても見つからないので、もう少し詳しく引用してみる。 副題の日僑集中営とは「日僑」は華僑と同じような使われ方で在留日人というほどの意味で、不安や危険をなくすために一か所に集まって集団生活を行った記録である。 在華日人が一番恐れていたことは、戦争に負けたら敵兵が侵入してきて自分たちが掠奪や暴行をうけるに違いないという恐怖や不安であった。少なくとも従来の戦争というものはそういうものりであったし、日の軍隊も現に中国各地でそうしてきたのである。 しかし、私たちは敗戦後すぐに全中国にラジオを通じて放送された、 「われわれに加えられた残虐と凌辱は筆舌につくし難いものがあったけれど、敵は日の軍閥であり敵国の無辜の人民に汚辱を加えてはならない。」 という、在華日人に報復的な行為をしてはならないと諭した蒋介石総統のあの有名な「以徳報怨」の演説に

    南京1945年-日僑集中営- - bat99のブログ
  • 河村たかしメソッドとは - Apeman’s diary

    コメント欄でpipisanさんにご教示を受けたので調べてみたところ・・・ 毎日jp 毎日新聞 2009年9月15日 「河村・名古屋市長:南京大虐殺「誤解ある」 議会で発言」 どのような脈絡での発言なのかは追って調べておきたいと思います。 例によって陳腐な否定論なのですが、河村たかしに特徴的なのは次の論法です。 河村市長は「おやじは終戦を南京で迎えた。南京の人に当に優しくしてもらい、名古屋に帰ることができたと言っていた。虐殺があったのなら8年後に南京の人が優しくしてくれるのか」と述べ、(後略) まさに恩を仇で返すメソッド。 関連エントリ http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20060630/p1 http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20060922/p1

    河村たかしメソッドとは - Apeman’s diary
    o-kojo2
    o-kojo2 2012/02/21
    こんな息子になって・・
  • Criticism to Yomiuri's editorial about the former Korean comfort women (慰安婦問題: 読売社説批判) - 村野瀬玲奈の秘書課広報室

    社員一人のサイバー政治団体(笑)「世界愛人主義同盟」秘書課勤務、村野瀬玲奈オフィシャルブログ。日政治は消費税増税・震災復興増税を福祉にも被災者にも使わず、雇用と社会保障を弱体化させるだけ。日政治の何が間違いなのか過去の失敗と国際的歴史に学んで、議員や政治やマスコミに意見を届けましょう。

    o-kojo2
    o-kojo2 2012/01/06
    ご苦労様です
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  • asahi.com:収容所跡訪ね苦難思い語る-マイタウン神奈川

    元従軍看護師で、捕虜として横浜に約3年間抑留されたオーストラリア人女性ローナ・ジョンストンさん(96)が1日、横浜市泉区の収容所跡を訪ねた。当時の記憶を持つ近所の人が古い写真などを持ち寄り、苦難の日々を過ごしたローナさんと思い出を語った。 日外務省の招待で来日し、第2次大戦中の連合軍捕虜について調査する「POW研究会」が市民交流会を主催した。 オーストラリア陸軍所属の看護師だったローナさんは1942年1月、ラバウル(現パプアニューギニア領)で野戦病院の患者や同僚と捕虜となった。7月に日に送られた当初は、海辺のホテルやヨットクラブが収容先だったが、44年7月にローナさんら女性19人は廃業した病院を転用した「戸塚収容所」(現・横浜市泉区)に移された。 収容所の生活は過酷だった。10畳ほどの和室に4人ずつ寝起きし、水道がないから重い木のおけで毎日井戸水をくんだ。南の島にいて薄着だったの

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    o-kojo2 2011/12/02
    「ひどい仕打ちをした兵隊は別にして、ここで仲良くなった人たちに憎しみはない。」
  • asahi.com(朝日新聞社):旧日本軍、中国で細菌戦 陸軍の極秘公文書に記述 - 社会

    印刷 細菌戦を行ったとして記されていた場所と「効果」掲載されていた細菌作戦の一覧表=陸軍軍医学校防疫研究報告第1部第60号「PXノ効果略算法」から  旧日陸軍が1940〜42年、中国で細菌兵器を使用していたことを示す陸軍軍医学校防疫研究室の極秘報告書が見つかった。細菌兵器の使用は93年に見つかった陸軍参謀の業務日誌にも記述があるが、細菌戦に直接携わった研究室の公的文書でも裏付けられた。  旧日軍の細菌戦については中国人遺族らによる損害賠償訴訟で東京地裁、高裁とも事実と認定したが、日政府は「証拠がない」との見解を示している。  この文書は「陸軍軍医学校防疫研究報告」のうち第1部の「PXノ効果略算法」。市民団体「731・細菌戦部隊の実態を明らかにする会」(事務局・東京)のメンバーが、国立国会図書館関西館(京都)で見つけた。 関連リンク中国の731部隊跡地に謝罪の碑 日人の募金で設置(7

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  • もちつけblog(仮)、、、の跡地(はてなダイアリーに移転。) 「これは"太平洋戦争"ですか」「はい、"アジア・太平洋戦争"です」 -旧日本軍が東南アジアにいた頃-

    倉沢愛子『「大東亜」戦争を知っていますか』を読む。 所々、反論したい所も出てくるけど、主題部分については勉強になる箇所が多い。 ちなみに、著者は、太平洋に面してなくても東南アジアも戦場・占領地だったんだから、カッコつきで、「「大東亜」戦争」というべきじゃないかと提起している。 これについては、その後使われるようになった「アジア・太平洋戦争」の方がより、的確と思われる。(著者も同意されるだろう) 「大東亜」戦争なんて、所詮帝国主義諸国が領土の再分配を求めて戦った戦争に過ぎないよ、と著者は言う。 だって、同じ植民地なのに、同盟国ナチスの影響下にあるフランス(ヴィシー政権)の植民地(ベトナムやラオスやカンボジア)に対して、日は攻撃してないんだよね(24頁)。 もし当にアジア解放が目的なら、フランス領も「解放」すべきだろ、と。 実際の所、フランスを追い出さなくても、日は既にこの地域に軍隊を駐

  • Japan probes possible WWII prisoner experiment site

    The excavation was ordered after former nurse Toyo Ishii spoke out Excavations are beginning at the site of a former medical school in Japan which could yield evidence of war-time experiments on prisoners. The site in western Tokyo is said to be linked to Unit 731 of the Japanese Imperial Army, which used prisoners for biological warfare experiments. The excavation was ordered after a former nurse

    Japan probes possible WWII prisoner experiment site
  • 『故郷はなぜ兵士を殺したか』 - Apeman’s diary

    一ノ瀬俊也、『故郷はなぜ兵士を殺したか』、角川選書 著者の過去の著作に比べると格段に挑発的な書名なのでちょっとびっくり。日露戦争以降の(ただし重点はアジア・太平洋戦争におかれている)銃後における軍事援護活動――出征兵士の家族への援護、戦死者家族への慰藉や援護、出征兵士への慰問、傷痍軍人への援護、戦死者の顕彰等々――が遺家族・留守家族を監視し、出征兵士に“名誉の戦死”を慫慂し、戦死者の死に意味付けをするという機能をいかに果たしたかを明らかにしようとすると同時に、そうした機能がほころびを見せる瞬間をも拾い上げようとする、社会史らしいアプローチ。日中戦争以降の、「大義」を明確にしがたい戦争において戦死への意味付けを強行しようとすると、結局は戦死それ自体に価値があるというロジックに行き着かざるを得ず、それゆえ「故郷」は出征兵士に戦死を要求することになる……とまとめると強引にすぎるだろうか。 全4章

    『故郷はなぜ兵士を殺したか』 - Apeman’s diary
  • 「平和と安全を求める被爆者たちの会」なる団体の主体性を問う - 法華狼の日記

    サイトのトップページを見ての通り、田母神俊雄氏を広島に呼ぼうとしている団体である。 戦争被害者にも様々な考えの人がおり、会の設立に被爆者が主体的に深くかかわっている可能性は充分にあるだろう。被爆者という表記がほとんど見当たらず、「被爆二世」や「被爆関係者」という記述ばかりであることは、逆に会の誠実さを示していると評してもいい。しかし、被爆関係者が参加していても、それが即座に会の妥当性を証明するものではないことも確かである。 平和と安全を求める被爆者たちの会 - 平和と安全を求める被爆者たちの会 この会の設立を決意するに至りましたのは、昨年の日会議広島の開催された、8月6日の「ヒロシマの平和を疑う!」田母神俊雄氏講演会でした。 市長を初めとする様々な講演妨害のある中で、被爆二世や関係者から多くの激励のあったことから、この講演に賛同し激励する、これまで沈黙を続けていた被爆関係者が多数居ること

    「平和と安全を求める被爆者たちの会」なる団体の主体性を問う - 法華狼の日記