タグ

pcと歴史に関するwalkinglintのブックマーク (14)

  • 初期マイクロソフトの成功要因 - 雑種路線でいこう

    さすがにid:shi3zはよく分かっていらっしゃる。わざわざプラットフォームって言葉を使う奴ほど自分の都合しか考えてないのが問題なんだよね。相手の都合を考えて必要なものを提供し、時に結果的にネットワーク効果が働いてプラットフォーム的な位置付けになることはあっても結果に過ぎない。BASICだってDOSだってWindowsだって同じじゃないかな。 プラットフォームをつくるときに、自分の都合を優先して考えてはいけない。 ただそれだけのことだと思う。 追記: 事実関係が微妙に違っていた模様。詳細はwikipedia:QDOS参照。 Thx > id:finalvent ちょうどいい例なのでDOSを取り上げてみよう。DOSって今時のOSと違ってメモリ管理もタスク管理もデバイス制御も中途半端にしかやっていなかったので、プラットフォームといえるかは微妙だけど米国では最初からIBM互換しかなかった。日

    初期マイクロソフトの成功要因 - 雑種路線でいこう
    walkinglint
    walkinglint 2008/03/17
    > わざわざプラットフォームって言葉を使う奴ほど自分の都合しか考えてないのが問題なんだよね。相手の都合を考えて必要なものを提供し、時に結果的にネットワーク効果が働いてプラットフォーム的な位置付けになるこ
  • これスゴ - Computer History Museum @ YouTube : 404 Blog Not Found

    2007年12月16日23:00 カテゴリ翻訳/紹介 これスゴ - Computer History Museum @ YouTube よ、涎が.... Computer History Museum YouTube Branch 眼福眼福。 Silicon Valleyにいなくても楽しめます。 でも、ニコニコ動画でやったらもっと楽しいだろうなとも思ったり。さすがにこの手の動画だと、画質一つとってもYouTubeだと不満.... Dan the Visitor Thereof 「翻訳/紹介」カテゴリの最新記事

    これスゴ - Computer History Museum @ YouTube : 404 Blog Not Found
  • iPod touchとiPhone - 日経トレンディネット

    いかにも問題だらけのようだが、それだけ夢を見させてくれる期待すべきマシンということでもある。しかしiPodとして使おうとすると、少なからず違和感がある。それはiPod touchはiPodとは違うものだからだ。実際の構造もアップルが欧米で展開しているスマートフォン「iPhone」の簡略版である。iPodと切り離したまったく別の機種として発表すべきではなかったかと思うが、アップル自身もiPodのブランドは外せなかったということかもしれない。 iPod touchは通信機能の付いたコンピュータとして考えたい。そうしたハードとして魅力がある証拠として、世界中のプログラマーがネイティブアプリの開発を行っている。ファームウェアの脆弱性を利用した「脱獄(jailbreak)」という言葉を聞いたことがあるだろう。簡単に言えばシステムの穴を使って、自作のアプリケーションをインストール可能な状態にすることだ

    iPod touchとiPhone - 日経トレンディネット
    walkinglint
    walkinglint 2007/11/28
    > iPod touchを見てなんとなく懐かしい感じがするのは、70年代末のアップルやコモドールの製品がそうであったように、これが黎明(れいめい)期の製品だからだろう。その行方や可能性を想像してワクワクできるマシンは今
  • http://blog.goo.ne.jp/drohsaki/e/013f201b73974865def2c39f50fff3e9

    walkinglint
    walkinglint 2007/08/28
    > IBM社内で語り継ぐべき者がいなくなったので、当時、我々の足を引っ張っていたような連中が、あたかも自分がやったかのように宣伝する様を見聞きするのは見苦しい。
  • Apple IIの「ジョブズ的視点」がPC革命の始まりだった

    実を言うと、わたしは大学院に入るまで自分のPCを持っていなかった。せいぜい論文を書くために大学のPCを使ったくらいのものだ。 子供のころにお隣のApple IIを使えるだけ使っていたが、このマシンは「ウルティマ」や「The Prisoner」など、Apple Computerの最初の全盛期に開花したゲームをプレイするための専用機と化していた。 従ってわたしとしては、Apple IIがPC革命の口火を切ったとは個人的には言えない。だが、もちろんほかの人にとっては、そしておそらくこの30年もの間、Apple IIは新世界をもたらしてきたに違いない。 Apple IIが最初に出荷されたのは1977年6月だが、デビューは同年4月の16日と17日、サンフランシスコで開催された第1回West Coast Computer Faireでのことだと、ポール・クンケル氏の1997年の著書「アップルデザイン」

    Apple IIの「ジョブズ的視点」がPC革命の始まりだった
    walkinglint
    walkinglint 2007/06/15
    > ジョブズ氏はApple IIで、手作りの木のケースと「冷たくて非人間的な」IBMのブラックメタルやDECの「鉄のかたまり」との間に位置する外観――「つややか」で「面取りされた」当時のHP電卓のコンピュータ版――を求めて
  • 古川 享 ブログ: 私の知っているビルゲイツ、その12

    You are about to permanently delete this entry. When you delete an entry, you also delete any comments and trackbacks associated with it. This action cannot be undone. Delete|Cancel ビルゲイツ、自分の限界を知りプログラムを書かなくなったわけ 注:今日のブログは、フォント指定を外してみました。文字が大きすぎると思われる方は「表示(V)文字サイズ(V)」もしくは他のブラウザのフォントサイズ指定で好みの大きさに変更してご笑覧頂ければ幸いです。フォントサイズ変更後に改行位置や行間スペースがおかしい時には、当該ページの「更新」表示(V)最新の情報に更新(R)もしくはF5キーを押す(IE以外のブラウザの方は同様の当該ページ

    walkinglint
    walkinglint 2007/06/15
    > 後もしばらくの間は、「お前らバカじゃないの!!!」と人を罵倒することはあっても、「俺にやらせろ、月曜の朝までにおれが書いてくるから」とは決して言わなくなったのでした。
  • ジョブズとゲイツが出会った瞬間、実際には何が起こったのか(動画)

    ボーイズ・ラブ(BL)を存分にご堪能いただけます。 先日行われたジョブズとゲイツの邂逅イベント。 既にあちこちにレポートが上がっていますが、でも言葉で伝えきれないニュアンスって、やっぱあるじゃないですか。 ふと交わす視線とか、 ほのかな頬の高潮とか、 含みのある笑みとか。 まるで熱愛の末に別れたカップルが十数年ぶりに再会し、なごやかに談笑しているかのような、あまりにも微妙な空気。まあ上の映像を見てください。言ってる意味がわかると思いますから。 -Jason Chen with video by Richard Blakeley(MAKI/いちる) 【関連記事】 ギズモード、スティーブ・ジョブズに会う 【関連記事】 2世界の融合~ゲイツとジョブズのツーショット 【関連記事】 ゲイツvs.ジョブズ、WSJ主催D5で夢のステージ競演

    ジョブズとゲイツが出会った瞬間、実際には何が起こったのか(動画)
  • 校長日記 デジタルハリウッド大学・学長ブログ

    walkinglint
    walkinglint 2007/04/26
    > コンピュータサイエンスの中で、もっとも有名なそのイラストは、実は、アラン・ケイ博士が、1968年、初めてシーモア・パパート博士に会ったことにインスパイアされ、その帰りの飛行機の中で描いたんだと教えて
  • 古川 享 ブログ: PC98シリーズの父、NECの戸坂馨氏、死去

    You are about to permanently delete this entry. When you delete an entry, you also delete any comments and trackbacks associated with it. This action cannot be undone. Delete|Cancel ドン・エストリッジ氏がIBM PCの父であるとすれば、戸坂馨氏は間違いなく日のパソコンPC98シリーズの父でありました。その戸坂氏が2月28日にすい臓ガンで亡くなられたという訃報を受け取りました。 戸坂馨氏はACOSの時代からNECのコンピュータ開発に深く関わり、System 100、N5200-05、海外向けAPCからPC-98シリーズのデビュー、NECパソコンのIBM互換機への移行、サーバー群を含む一連のNEC製コンピュータを

    walkinglint
    walkinglint 2007/03/09
    > 戸坂馨氏はACOSの時代からNECのコンピュータ開発に深く関わり、System 100...PC-98シリーズのデビュー、NECパソコンのIBM互換機への移行、サーバー群を含む一連のNEC製コンピュータを世の中に送りだした技術畑の総帥でした。
  • PC革命は60年代ヒッピー文化の所産か

    1960年代が表すものは人によってさまざまだが、当時隆盛を極めたセックス、ドラッグ、ロックンロールに代表されるヒッピー文化がパーソナルコンピュータ革命を生みだすきっかけになったというのは当だろうか。 現代史のこういう見方はまだまだ型破りである。確かに、軍事研究への膨大な投資や市場に有利な税制が原動力となったという説であれば納得できるだろう。しかし、マリファナ常用者と徴兵忌避者の世代がパーソナルコンピュータ革命を生み出したと言われると、首をかしげる人が多い。 言うまでもなく、こうした議論には、酒場における酔った勢いのでまかせという雰囲気がある。しかし、そう簡単に片づけてしまってはならない。実は、Whole Earth CatalogをつくったStewart Brandが、10年前にこの説に対してなるほどと思わせる議論を展開している Brand は、1995年にTime誌に寄稿したエッセイで

    PC革命は60年代ヒッピー文化の所産か
    walkinglint
    walkinglint 2006/10/05
    > その中には、後に伝説となるHomebrew Computer Clubに所属するさまざまなコンピュータマニアたちも含まれていた。
  • ■コンピュータは人間を進化させるか■アラン・ケイ氏インタビュー - 後藤貴子の米国ハイテク事情

    ●ビジョナリーが夢見るのは数百年後の世界 数年先のPCや家電の規格とか、Webやケータイの新しいサービスとか。IT業界の大きなテーマが、当はいかに小さいか、この人に会うとよくわかる。 “この人”とは、アラン・ケイ(Alan Kay)氏。メインフレーム主流の時代に、パーソナルでダイナミックなメディア「Dynabook(ダイナブック)」を構想し、先進的アイデアを詰め込んだワークステーション「Alto(アルト)」の開発でも中心的役割を担った伝説的人物。未来を予測する最良の方法は未来を発明することだとの名言を自ら実践してきた、最高のビジョナリーの一人だ。 だが、著名な学者やビジョナリーの中でも、ケイ氏はちょっと毛色が違うように思う。米国のビジョナリーには、起業したり企業の顧問になったり、あるいは自分の大学への企業の寄付集めに熱心だったりと、ビジネスと深い関わりを持つことで自分のアイデアの実現を図

  • 古川 享 ブログ: シフトJISの産まれた歴史的背景

    You are about to permanently delete this entry. When you delete an entry, you also delete any comments and trackbacks associated with it. This action cannot be undone. Delete|Cancel 20005年の11月14日付けのブログで、「私のマイコン遍歴、日のパソコン30年史、その1」というエントリをしております。その中で記載されている、当時シフトJISの開発に関わった中心人物の山下良蔵さんから詳細なコメントを投稿いただきました。日のパソコン史の残しておかなければならない重要な史実をまさしく当事者からコメントを頂いたので...歴史の隙間が完全に埋まったようで、私もとてもスッキリしました。 頂いたコメントに、私からコメ

  • FIFTH EDITION この道は破滅に至る道@web2.0といつかきた道

    ちと、弾さんとこと、最近、ちょっと話題になっている「セガがwiiの8年先を行っていた」なんて件について、日は言及。 1.0の受難 いや、まぁ、色々あるのだが、弾さんの行っているように、 1.0の受難とは、「既存の常識への最初の挑戦者には罪が与えられ、次の挑戦者は賞が与えられる」ことを意味する。 という話についてなんだけども。セガの例を引き合いに出せば、これはまさにその通りになる。 ソニック・ザ・ヘッジホッグ』の作者が振り返る「ゲームこの10年」――プロペ・中裕司社長(1) セガ「Wiiのいる場所は我々はすでに8年前に通過している」 なんて話もでているけど、セガの方針は間違っていなかった。ただ、早すぎた。 同じように速すぎて失敗した例をPC産業で出すなら、最も名高い失敗例(世紀の失敗とも言われる)は、ゼロックスのパロアルト研究所の研究結果だろう。 パロアルト研究所が1970年代に行なった研

    FIFTH EDITION この道は破滅に至る道@web2.0といつかきた道
    walkinglint
    walkinglint 2006/09/22
    盛者必衰
  • 古川 享 ブログ: 私のマイコン遍歴、日本のパソコン30年史、その1

    You are about to permanently delete this entry. When you delete an entry, you also delete any comments and trackbacks associated with it. This action cannot be undone. Delete|Cancel 私がその昔、秋葉原少年だった頃(今のアキバ系とちょっと違うとは思うのだけど、まぁ普通の人から見ると同類項だったのかな?)秋葉原にはアスターインターナショナル、コンピュータLab、若松通商、ビットイン、田通商、そして新宿のムーンベース、タンディ・ラジオシャック、御苑前のアスターインターナショナル店などに当時のマイコン少年は毎日たむろしていたのでした。 当時はTK-80、KIM-1、SCAMP、HitachiやL-Kit16などの1

    walkinglint
    walkinglint 2006/09/22
    少し懐かしいかも ^^
  • 1