「いじめ問題の次は体罰問題だ」と言わんばかりに、突然、表面化した格好の庶民ネタに各メディア(特にマスメディア)は大騒ぎになっている。少し前の、「いじめを隠蔽していた学校」という言葉を「体罰を隠蔽していた学校」に置き換えたいだけのような煽情的かつ短絡的な報道が繰り返されている。 毎度思うことながら、現在の報道を観ていると、なにやら「体罰」という言葉だけが独り歩きしているように感じられる。今回の事件の場合、「体罰という言葉を使用するのはおかしい」という比較的冷静な意見も聞かれるものの、では何がおかしいのかということになると、「暴力だ」「虐待だ」と言う意見が多いようだ。 しかし、肉体への体罰を「暴力」だとし、それが生徒を自殺に追い込んだ原因であるから体罰を禁止しなければならないと言うのであれば、少しお門が違っている。 暴力には、暴力を伴わない「言葉の暴力」というものがある。もし、今回の事件が物理
2011年から始まった原発事故を起因とした「放射能バブル」もようやく収束に向かうかなと思っていた矢先、またもや新たなバブルが発生しそうな雲行きになってきた。この調子で行くと、おそらく来年(2013年)には「活断層バブル」というものが発生することになりそうだ。 今年はマスコミを通じて放射能の危険性というものが嫌というほどに報道された。しかし、「原発選挙」とも言われた年末の衆院選では、被災地の周辺地域ですら脱原発派の政治家は全く支持されなかったという皮肉な結果が出てしまったことは周知の通りである。 マスコミが報じていたアンケート等では、明らかに脱原発派が多数を占めていたかに見えていたが、いざ、投票箱のフタを開けてみると、実は真性の脱原発派は少数派でしかなかったことが判明してしまった。 そして、この結果からもう1つ曝け出されたことは、マスコミが如何に脱原発派寄りの恣意的な報道を行ってきたかという
ここ何年かの間に「ポピュリスト」という言葉をよく耳にするようになったという人は案外多いのではないかと思う。敢えて言うまでもないことだが、日本語に訳せば「大衆の人気取り」ということになる。特に政治家に対して使われる言葉であり、大衆に迎合して意見がコロコロ変わる人物のことを揶揄した言葉でもある。 今回の衆院選でポピュリスト達は、主に「消費税」と「原発」という大衆受けする言葉を掲げて、その名の通り、大衆受けを狙った。しかし、逆に踊らされたのは彼らの方だった。 多くのポピュリスト達は、「消費税の増税反対」と「原発からの脱却」をセットで訴えた。しかしながら、ほとんどの政党は、そのどちらも代替案無しに「反対」というお題目を唱えるのみだったため、有権者に対して“掴みどころのない政党”というイメージを植え付けることしかできなかった。 単に人気を取りたい(票を獲得したい)だけの底意が有権者に見透かされてしま
前回の記事で、エレベーター事故を基に原発のリスク問題について書いたところ、案の定、相当数の反論・批判を頂いた。その反論・批判内容もある意味、予想していた範疇のものだったので特に驚きもしなかったが、誤解されたまま、このまま素通りするのもどうかと思うので、追記として述べておきたいと思う。 最も多かった反論は、「エレベーターと原発を同様に扱うのはナンセンスだ!」というものだったが、これは言われるまでもなく当たり前の話である。 実際、そういう反論が返ってくるだろうことをそれとなく書いておいたので、少しは察してもらえるのではないかと思っていたのだが、残念ながら、一部の人々には、それが理解してもらえなかったようだ。やはり感情的な反論の防波堤にはならなかったようで、この問題の根深さを改めて実感した。 私は、「エレベーター事故」と「原発事故」の直接的なリスクの比較を述べたわけではなく、間接的、または結果と
もはや、中国と日本の国家間の対立が明確化しつつあることは誰の目にも明らかだが、そんな時期に計ったようなタイミングで自民党の総裁選が行われ、安倍晋三氏が総裁に選任される運びとなった。 安倍氏の再登場を批判する向きもあるが、外交問題が政治の最重要課題となってきた現在、無難なところに落ち着いたかと思う。無論、現在の自民党を手放しで礼賛するつもりはさらさらないが、ここは党に関係なく保守政治家に任を委ねた方が無難だと思う。 以前、安倍氏が総理大臣だった時代も、海外の左巻き国家からは評判が悪かったことは記憶に新しいが、再度、安倍内閣が復活する可能性が浮上してきたことから、同国家はまるでアレルギーを発症したかのように危機感(?)を煽っているかに見える。 当初、反米親中の姿勢だった民主党は左巻き国家に重宝がられていた(=利用されていたという意味)フシがあるが、親米反中の保守勢力が前面に出てくると左巻き国家
終戦記念日である8月15日、尖閣諸島の魚釣島に香港の活動家14人が不法上陸したという衝撃的なニュースが流れたが、数日経っても各メディアではこの話題でもちきりとなっている。 逮捕後、わずか2日で強制送還という毎度の大甘な事勿れ外交も批判の的になっているが、このニュースを観ていて個人的に気になったのは、逮捕された活動家達の顔つき(と言うより目つき)と言動である。 揃いも揃って暴力団を思わせる粗暴な第一印象は言うまでもないが、彼らの言動を観ていると、確信犯的な雰囲気(演技のような印象)が漂っており、極めて悪質な空気を感じた。喩えて言うなら、「アタリ屋」のそれである。 それと、逮捕されてもすぐに釈放されるだろうことを見透かしているかのような不自然なまでの自信が漲っており、なにやら度胸試しでもしているかのような錯覚を覚えた。要するに、感情的なデモ活動ではなく、リスクを試したテスト行動のように見えたと
先週に録画していた『朝まで生テレビ』(決断できない?!日本外交)を観てみた。ケビン・メア氏がどういう人物であるのか興味があったので観てみたのだが、なるほど確かに現実が見えている冷静沈着な正論者だった。 元外務省の孫崎 享氏が1番目立っていた(?)が、ネットでは意外にも孫崎氏の人気が高かったらしい。おそらく極端な反米感情を抱いた左右翼の人々の目には孫崎氏のような人物の言動が格好良く映ったのだろうと思うが、私にはそうは見えなかった。 こういった(ある程度)本音を語れるテレビ番組を観ていると、そこに登場するパネリストが本物(正論者)であるのかどうかがよく分かる。 メア氏の言うところの「決断できない」とは、かつて、ウォルフレン氏が述べた「誰も責任を取らない」と同じ意味合いで使用されているものだろうと思う。日本の政治家は選挙に当選することが第一目的なので、批判を恐れて、表立って正論を述べることができ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く