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戦争に関するmsyk710513のブックマーク (320)

  • 主張/日本の戦争の善悪/間違い認めぬ首相の危険明白

    今通常国会で初めての安倍晋三首相と野党党首との党首討論を聞きました。昨年の総選挙で大きく躍進した日共産党は、志位和夫委員長が11年ぶりに討論に立ちました。志位氏がただしたのは、首相自身が過去の日戦争にどのような姿勢をとるかという点です。今年はアジア・太平洋戦争終結から70年です。この節目の年にあたって、侵略戦争を引き起こした当事国である日の首相が、その戦争の善悪をどう認識しているのかは、首相の資格とともに、日の前途にかかわる大問題です。 是非判断は政治家の責任 戦争認識の問題では、戦後50年に当時の村山富市首相が談話で「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り」「植民地支配と侵略」によってアジア諸国の人たちなどに多大な損害と苦痛を与えた、とのべ「間違った戦争」という認識を明らかにしています。 安倍首相には「間違った戦争」との認識はあるのか―。志位氏の端的な問いにたいして、安倍首

    主張/日本の戦争の善悪/間違い認めぬ首相の危険明白
    msyk710513
    msyk710513 2015/05/21
    ドイツだったらと思うと分かりやすいかも。安倍に首相の資格無しとハッキリ見える。それにしても危険な素性は隠せないねえ安倍晋三、極右だ。まるでヒトラーだ。当選させた支持者も責任感じろ。世界中に害悪の安倍。
  • きょうの潮流 2015年5月18日(月)

    ことしの沖縄の梅雨入りは平年よりも遅れているそうです。青い空に肌をなでる風が心地よい。そんな初夏の季節を暗いガマの中で過ごした日々があります▼沖縄が戦場となったあの時。ひめゆり学徒隊だった島袋淑(よし)子さんは2カ月間も壕(ごう)に入りました。昼も夜もなくつづく負傷兵の手当て。暗闇の中に血やふん尿の臭いが充満します。下あごを吹き飛ばされた人、麻酔もなく手足を切断される人。叫び、うめき、死体…。そこは地獄でした▼惨禍は壕を出てからも。砲弾の中を逃げ惑い、目の前で仲間が次々と傷つき、倒れていく。死の彷徨(ほうこう)です。70年前、沖縄に刻まれた凄惨(せいさん)な体験。後にひめゆり平和祈念資料館の館長となった島袋さんは「戦争を知ってしまった私たちは二度とそれを許さないと誓った」。沖縄の原点です▼土復帰を果たしてから43年目を迎えた今、原点に寄せる思いはさらに。戦後も重くのしかかってきた米軍基地

    きょうの潮流 2015年5月18日(月)
    msyk710513
    msyk710513 2015/05/18
    過去を思い、基地押し付け許さぬ闘いへ。島ぐるみの闘いに全国が連帯しよう。まずは辺野古守ろう。
  • きょうの潮流 2015年5月15日(金)

    イラク戦争やアフガニスタン戦争から帰還した米兵は約280万人ともいわれます。退役軍人でつくる団体のアンケート調査によると、53%が心的外傷後ストレス障害(PTSD)などの精神疾患に苦しんでいます▼自殺を考えたことがある人は31%。自殺した帰還兵の知人がいる人は40%にも。米国では深刻な社会問題になっています▼そんな元兵士と家族らの姿を追ったノンフィクション『帰還兵はなぜ自殺するのか』(亜紀書房)が話題です。著者は、米紙ワシントン・ポスト記者を23年間つとめ、ピュリツァー賞の受賞経験を持つジャーナリストです▼描かれている一人ひとりの体験が壮絶です。ある帰還兵は帰国後、イラクで3歳くらいの少女を殺したことを何度も家族に告白。悪夢で目が覚めると、「そこらじゅうに子どもたちの姿が見える」と。結局、彼は自ら命を絶ちました。1歳の娘を残して▼イラク戦争は「イラクの大量破壊兵器保有」という大ウソで当時の

    きょうの潮流 2015年5月15日(金)
    msyk710513
    msyk710513 2015/05/15
    一番読むべき安倍らが読まないだろうからなあ。戦争する国にさせない闘いはまだこれから。貴方も闘う側に。
  • 2015 とくほう・特報/戦後70年―日本の戦争を考える/シンガポールの「華僑粛清」/一般住民を占領後殺りく

    今年は、第2次世界大戦が終結して70年です。日共産党は第3回中央委員会総会(1月20日)で、「戦後70年の年に、『あの戦争は何だったのか』について、国民一人ひとりが正面から向き合い、考えること」を呼びかけました。靖国神社の軍事博物館「遊就館」が日戦争を「アジア解放の戦争だった」と正当化するなど、歴史偽造の議論が日政治にもちこまれているなか、あの戦争がどのような戦争だったのか、シリーズで考えていきます。 シンガポール市街地の中心部に高さ約68メートルの塔がそびえています。この塔の名前は「日占領時期死難人民紀念碑」で、日ではよく「血債の塔」と呼ばれます。塔の下には、日軍によって虐殺された人たちの遺骨が数多く眠っています。 塔の台座には碑文があり、その一つには「深く永遠の悲しみとともに、この紀念碑は、日軍がシンガポールを占領していた1942年2月15日から1945年8月18日まで

    2015 とくほう・特報/戦後70年―日本の戦争を考える/シンガポールの「華僑粛清」/一般住民を占領後殺りく
    msyk710513
    msyk710513 2015/04/27
    事実を無視する逆流に毅然と立ち向かい、真実に基づく認識と、過去に誠実な姿勢を。事実に学ばなくなったら破滅だ。
  • きょうの潮流 2015年4月16日(木)

    バルト海に面する、ポーランド最大の港湾都市グダニスク。交通の要所として、古くから支配の荒波を受けてきた町です。第1次大戦後はどこの国にも属さない自由都市ダンツィヒとなり、多くの民族が集まりました▼そこで生まれたドイツの作家ギュンター・グラスが故郷を訪ねたとき、1枚のボロ布を贈られます。それは子ども時代に翻っていた共和国の旗。「ある日、ナチの軍隊が進撃してきて彼らの旗を掲げた。それからというもの、何もかもがめちゃめちゃになった」▼ナチスによって蹂躙(じゅうりん)されていく町や戦争に染まっていく市民の様子を間近で見てきた少年。彼の体験は、3歳で成長を止めたオスカルの目を通して、「ブリキの太鼓」に描かれます▼民族のはざまで揺れ、暴力や国家に翻弄(ほんろう)されてきたノーベル賞作家は、言葉の力を信じるとともに、政治や社会にたいして声を上げることを惜しみませんでした▼米国のアフガニスタン戦争を「多く

    きょうの潮流 2015年4月16日(木)
    msyk710513
    msyk710513 2015/04/16
    ドイツか負の過去から逃げず、正面から向き合う誠実さで、周辺国の信頼を回復した。日本となんと違う事か。道理なき戦争の罪は重い。因みに、グダニスクと言うとワレサを思い出す。労組議長から後に大統領になったね
  • きょうの潮流 2015年4月11日(土)

    酷寒の満州から赤道直下の島々へ。サンゴ礁に囲まれ、七色に輝く海と青い空。「きれいだな」。あまりの美しさに、派遣されてきた関東軍の兵士から思わず声がもれました▼大半が20代前半だった彼らに課された任務は、守備隊として一日でも長く米軍を引き留めること。バンザイ突撃などせず、陣地戦に徹して持久戦に持ち込む。フィリピンや土防衛のための時間稼ぎ、捨て石となれ―。それが大営の命令でした▼カニの爪に似た長さ9キロ、幅3キロの小島。そこでくりひろげられた死闘は、4倍もいた米兵さえ「人肉粉砕機に放り込まれた」というほど凄(せい)惨(さん)を極めました。「敵の死体の上に味方が倒れ、その上にまた敵の兵隊が倒れてきた」▼2カ月余で日兵1万人が犠牲になり、米兵9千人が死傷した殺し合い。それがパラオ・ペリリュー島の死闘でした。当時の昭和天皇は「ますます奮闘するように」と激励し、壊滅するまでペリリューの状況を聞く

    きょうの潮流 2015年4月11日(土)
    msyk710513
    msyk710513 2015/04/11
    同じ天皇でも大違いだ。きな臭い昨今こそ、平和の大切さ・平和憲法を高く掲げて、逆流に立ち向かおう。戦争は不幸を生むばかり。過去に学ぶなら、二度と戦争しないことだ。
  • 平和への一票 共産党へ/選挙直後に「戦争立法」協議再開

    大激戦・大接戦となっている道府県議選・政令市議選(12日投票)で、米国の戦争自衛隊が参加・支援する「戦争立法」がいよいよ重大争点に浮上しています。投票日翌々日の14日には、自民・公明両党が「戦争立法」の法案原案にもとづく与党協議を再開。「戦争立法ストップの声は共産党へ」の訴えに、党部にも「いまの安倍政権は当に怖い。自民党支持だったが、共産党に入れようとまわりにも話している」との声が寄せられています。「自民、公明、維新への一票は『戦争への一票』、共産党への一票は『平和への一票』」という対決構図が鮮明です。 自民・公明両党の与党協議は、安倍首相の訪米(26日~)をにらんで、いっせい地方選前半戦終了後の14日に再開。5月の連休明けに「戦争立法」の法案を閣議決定して審議入りし、6月24日までの国会会期を大幅延長してお盆前の強行採決を狙っています。 これに対し、きっぱりと反対の姿勢を貫くのは、

    平和への一票 共産党へ/選挙直後に「戦争立法」協議再開
    msyk710513
    msyk710513 2015/04/09
    ね、底流の自共対決があちこちで表面化しているでしょ。戦争立法許さぬ闘いもその一つ。地方選で共産党を躍進させ、暮らし守れ平和守れを高く掲げよう。地方選の後の世論も重要。逆流包囲する世論を大きく。
  • きょうの潮流 2015年4月8日(水)

    最新式の無影灯まで備えつけられ、大病院の手術室そのものだった―。『長寿を科学する』の著者で医学博士の祖父江逸郎さんはあの戦艦大和の軍医でした▼臨床や病理検査室、レントゲン室までそろった「大和」は医療設備の点からも世界一。そう証言する祖父江さんは当時、乗員の診察に多忙を極めました。戦闘時以外にも毎日の特訓とストレスで発病者が多く、感染症に苦しむ者もいたと▼70年前の1945年4月7日。米軍との地上戦が始まっていた沖縄をめざした「大和」は鹿児島の南海上で攻撃を受けて沈没しました。乗員3300人余のうち生存者はわずか276人。無謀な特攻作戦は“一億総特攻の先駆け”として決行されたのです▼「何のために死ぬのか」。最後は竹の棒で敵機と対峙したという中谷健祐さんは、「大和」が沈んで海に飛び込んだ瞬間が海軍生活で最も幸せなときだったといいます。「あー、やれやれ、これで生きられる」と思いながら▼きのう広島

    きょうの潮流 2015年4月8日(水)
    msyk710513
    msyk710513 2015/04/08
    二度と戦争しない誓いがいかに大切か、表面で惑わされず、大局で地域のそして世界の平和を構想しよう。安倍逆流に抗して平和の対案を掲げて。
  • きょうの潮流 2015年3月30日(月)

    桜の季節が巡ってきました。桜の名所、東京・目黒川のほとりの郷(さと)さくら美術館では、第3回桜花賞展が開催されています。若手日画家30人が描いた、それぞれの桜▼爛漫(らんまん)と咲く桜、散りしきる桜、どの作品も、どこか痛みを感じさせます。桜には、過ぎ去って帰らないもの、失われてしまったものの面影が二重写しになるのかもしれません▼古代の桜は山深くひっそりと咲いていたのでしょうか。『万葉集』には〈阿保山(あほやま)の桜の花は今日もかも散り乱ふらむ見る人無しに〉(詠人(よみびと)しらず)と歌われています。『古今和歌集』の平安時代には〈見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける〉(素性(そせい)法師)と、都の町並みを彩る花へ▼そしていつしか、満開の豊かさよりも、吹雪のように一斉に散る風情が注目され始めます。赤穂浪士(あこうろうし)のあだ討ち事件を題材とした江戸時代中期『仮名手忠臣蔵』には、「花

    きょうの潮流 2015年3月30日(月)
    msyk710513
    msyk710513 2015/03/30
    桜を軍国主義に再び利用させない誓いを。きな臭い今こそ。今、歴史逆行止めねば。
  • 沖縄・座間味村 地上戦から70年/「集団自決」遺族ら「平和之塔」に献花

    アジア・太平洋戦争の末期、沖縄県の慶良間(けらま)諸島に米軍が上陸して沖縄で地上戦が始まった1945年3月26日から70年を迎えた同日、最初の米軍上陸の地となった座間味(ざまみ)村で村主催の「慰霊祭」が営まれました。 70年前の3月23日、米軍は慶良間諸島に激しい砲撃を行い、26日に座間味村の島々、27日に渡嘉敷(とかしき)村の島々に上陸しました。多くの住民が犠牲となり、日軍が強制し、家族が殺し合う「集団自決(強制集団死)」も起きました。 遺族代表としてあいさつした平田文雄さん(85)は「70年前の今日この地において苛烈なる戦闘が行われ、多くの村民、私たちの親兄弟、親族も残念ながらこの地で命を絶たれる運命となりました。私たち残された遺族もこの地の歴史を子や孫に伝え、歴史が風化しないように努め、次の平和へつなげていきたい」と述べました。 中学生3人が「受け継がれた命を大切にし、この美しい島

    沖縄・座間味村 地上戦から70年/「集団自決」遺族ら「平和之塔」に献花
    msyk710513
    msyk710513 2015/03/27
    地上戦の悲惨さ味わった沖縄を踏みつけて辺野古基地強行の日米政府に怒り新たに。両政府高官は生存者の証言を聞きに来るべきだ。
  • “空爆でテロなくせない”/米の平和団体が集会

    (写真)イラクやシリアに対する空爆や無人機作戦をやめるよう求めてデモ行進する人たち=21日、ワシントン(島田峰隆撮影) 【ワシントン=島田峰隆】米国の反戦平和団体や帰還兵を支援する団体などは21日、イラクやシリアに対する空爆や世界各地での無人機を使った作戦をやめるよう米政府に求める集会をホワイトハウス前で開き、ワシントン市内をデモ行進しました。 イラク戦争開始12年にあたり平和団体が共同で18日から開いてきた催しの締めくくりの集会です。観光客でにぎわうホワイトハウス前には数百人が集まりました。 参加者らは「これ以上の戦争はもうごめんだ」「イラン(核問題)に対しては爆弾でなく対話を」「帰還兵は終わりのない戦争と軍国主義に反対する」などと書いた横断幕やプラカードを掲げました。 反戦団体「退役軍人平和会」のバリー・ラデンドルフ議長は「政府は米国や世界を安全にすると言って各地で空爆やテロ容疑者への

    “空爆でテロなくせない”/米の平和団体が集会
    msyk710513
    msyk710513 2015/03/23
    帰還兵支援団体などが訴える、オバマに届け。やはり空爆では解決しないのか。地道に温床に切り込む必要。
  • 戦場は人を殺人者に/イラク帰還兵ら体験語る/米国で集会

    【ワシントン=島田峰隆】米首都のワシントン市内で20日、ブッシュ前政権が強行した2003年のイラク戦争などに参加した帰還兵やその遺族の体験を聞く集会が開かれました。反戦イラク帰還兵の会(IVAW)などのメンバーが証言し、約80人の市民が聞き入りました。 集会は、イラク戦争開始12年に合わせて、米国の平和団体が18日から21日まで共同で取り組んでいる催しの一環です。 東部マサチューセッツ州に住むケビン・ルーシー氏は、イラク戦争に従軍した息子のジェフリーさんが帰国後に心的外傷後ストレス障害(PTSD)を患い、翌年に自殺してしまったと語りました。ルーシー氏によると、戦争から戻ってきたジェフリーさんはお酒を大量に飲んだり、怒りで荒れ狂ったりするようになりました。 自殺した息子を発見して抱き上げた時の様子を声を詰まらせながら話したルーシー氏。「米国では1日に22人の帰還兵が自殺しているといわれる。無

    戦場は人を殺人者に/イラク帰還兵ら体験語る/米国で集会
    msyk710513
    msyk710513 2015/03/22
    米国の、今だ遅れた発想を転換するべき。軍産複合体に毒されていてはいけない、現実が如何に非人道的か、そして兵士に帰還後も苦しみ強いるのだ。否応なしに殺人者を強いる戦争、無くさねば。
  • 戦没者遺族/給付金は国家補償/高橋氏に厚労相姿勢表明/衆院厚労委

    共産党の高橋千鶴子議員は20日の衆院厚生労働委員会で、戦没者のなど遺族に国が支給している特別給付金について質問しました。 高橋氏が同給付金の趣旨をただしたのに対し、塩崎恭久厚労相は「国家補償の精神に基づいて国が使用者の立場から行う」との姿勢を表明しました。 質問で厚労省は、戦没者のへの給付金では8000件(2003年)、戦傷病者のへの給付金では500件(06年)、時効により受給権が失効したと説明しました。 高橋議員らが国会で時効を撤廃せよとくり返し要求する中で、厚労省は、総務省の恩給データの情報も得ながら、人に制度案内を個別に送付。戦傷病者のに対する特別給付金の時効失権者は11年にはゼロになりました。 同日、戦没者のなどに対する特別給付金の期限延長・改正(5年ごとに10年間、子や兄弟に対する弔慰金を年額5万円に引き上げ)が全会一致で可決されました。

    戦没者遺族/給付金は国家補償/高橋氏に厚労相姿勢表明/衆院厚労委
    msyk710513
    msyk710513 2015/03/22
    申請待ち、時効待ちではいけない。戦没者遺族はこうして補償されるが、空襲などの被害は何もなされず放置、おかしい。ともあれ一部とはいえ国家補償と認めたのは前進。
  • きょうの潮流 2015年3月19日(木)

    ヤシ科の植物シュロ(棕櫚)は国内の温暖な地域にも育ち、樹皮は古くから利用されてきました。網や縄、たわしやほうき。強靱(きょうじん)で伸縮性に富むシュロの繊維は生活に密着しています▼日中国への侵略戦争を拡大していったころ、シュロの繊維が市場から消えたことがあります。買い占められ、長崎の造船所に集められていたのです。極秘中の極秘だった巨大戦艦の建造を隠すために▼つなぎ合わせたシュロ縄のすだれの中で形になっていく怪物のような物体。作業に携わった者は一切漏らさずという宣誓書に署名させられ、街にはかん口令が敷かれました。目を光らせる特高や憲兵。中国人街が襲われ、拷問にあう作業員や市民も…▼吉村昭の小説『戦艦武蔵』に詳しい。「大和」とともに膨大な国家予算と人員をつぎ込み、技術の粋を結集してつくられた世界最大の“不沈艦”。しかし戦争はすでに、大艦巨砲から航空機の時代に移り変わっていました▼太平洋戦争

    きょうの潮流 2015年3月19日(木)
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    msyk710513 2015/03/19
    戦争のやり方の変化を無視して、無駄に戦死者増やした旧日本軍。過去の記録に触れ、二度と戦争しない誓いをいつまでも。
  • “戦火二度と”誓う平和/東京大空襲70年 「9条守ろう」/台東で追悼集会 小池議員が出席

    1945年に東京大空襲で10万人以上が犠牲になってから70年になる10日、東京都台東区の隅田公園の追悼碑前で、追悼集会が開かれ、160人以上が出席しました。東京大空襲犠牲者追悼・記念資料展実行委員会が主催し、台東区も共催しているもので、今回で28回目。 日共産党から小池晃副委員長・参院議員が出席してあいさつしました。 川杉元延実行委員長は、大空襲のとき言問橋に逃げてきた人が炎にのまれ、縁石に今も痕跡が残っていることを語り、「私たちは戦争の事実を風化させることなく後世に語り継がなければならない」と述べました。 高森大乗区教育委員長は「私たちは教育の分野から、子どもたちに平和の尊さ、戦争の悲惨さを伝えます」と表明しました。 東京大空襲の体験者3人が証言。当時8歳だった女性は弟と母に連れられて逃げ、1人家を守るために残った兄が防空壕(ごう)で亡くなったことを語りました。 小池氏はあいさつで、集

    “戦火二度と”誓う平和/東京大空襲70年 「9条守ろう」/台東で追悼集会 小池議員が出席
    msyk710513
    msyk710513 2015/03/11
    二度と戦争しない誓いが今増々重要に。平和な暮らしのありがたさを語り伝え、逆流に立ち向かおう。
  • 平和の尊さ伝えたい/東京大空襲「時忘れじの集い」/市田・吉良両氏が出席

    エッセイストの海老名香葉子さんが中心になって建てた東京都台東区上野公園にある「慰霊碑・哀しみの東京大空襲」と「時忘れじの塔」で9日、東京大空襲の犠牲者を追悼する「時忘れじの集い」が行われました。全国から多くの市民が参加しました。今年で11回目。 1945年3月9日深夜から10日にかけて米軍爆撃機B29は東京都の下町を約2時間爆撃し、推定10万人以上の市民が犠牲になったといわれています。 両親兄弟ら家族6人を大空襲で失った海老名さんは声を詰まらせながら、自らの体験を語りました。「命のある限り動き続けたい。世界中の人たちがみんなで手をにぎって、仲良くなれたら良い」とのべました。 海老名さんが戦災孤児を題材に執筆した『さくらいろのハンカチ』を忍岡中学校の生徒が朗読しました。 を読んだ感想を発表した根岸小学校6年生の女子児童は「一瞬にして全てのものを失ってしまうから、戦争は絶対にしてはいけない

    平和の尊さ伝えたい/東京大空襲「時忘れじの集い」/市田・吉良両氏が出席
    msyk710513
    msyk710513 2015/03/10
    戦争の酷さを伝え続け、二度と戦争をさせない。安倍らに突きつけたい。
  • 主張/戦後70年と大空襲/被害解決へ国は責任を果たせ

    アジア・太平洋戦争末期の東京大空襲からきょうで70年です。1945年3月10日未明、米軍B29爆撃機約300機が投下した大量の焼夷(しょうい)弾で東京の下町一帯は火の海にされ、約10万人の命が奪われました。米軍の民間地域への無差別空襲は東京だけでなく全国の都市などを焼き払い、甚大な犠牲を生みました。生き延びた人たちも心や体に深い傷を負い苦難の人生を強いられました。日政府はいまだに民間人の犠牲者・被害者への補償を拒み続けています。「命あるうちに解決を」。高齢化する被害者らの悲痛な叫びに、国は今こそこたえるべきです。 「防空法」が悲劇拡大 アジア・太平洋戦争は、日の無法な侵略によって引き起こされ、アジア各地に多大な犠牲と被害を強いましたが、戦争末期の日各地への米軍の無差別空襲は、軍人ではない一般市民・労働者の住む地域を標的にした非人道的な作戦でした。広島と長崎への原爆投下と並んで、国際法

    主張/戦後70年と大空襲/被害解決へ国は責任を果たせ
    msyk710513
    msyk710513 2015/03/10
    一連の空襲が国際法違反で、日本政府が不当にも賠償請求放棄したことも知らない人が多いのでは?加えて防空法、政府は二重の罪がある。民間人賠償を拒否する正当性はゼロ、勝つまで闘おう。
  • きょうの潮流 2015年3月10日(火)

    戦後の児童文学を築いてきた松谷みよ子さんが亡くなりました。89歳。物心ついてから戦争の中で育った松谷さんは、よく「私の血の中には平和を願う気持ちが流れている」と語っていました▼戦争を描いた子どものを多く世に出し、「子どもの・九条の会」の呼びかけ人にも。人間ある限り民話は日々生きて動くと現代の民話を集め、民の記録として数々の戦争体験を伝承してきました▼70年前のきょう、東京は火の海に包まれました。燃え盛る炎の中を逃げ惑う人びと。がれきと化した街に転がる黒焦げの焼死体、川を埋める無数の亡がら…。阿鼻(あび)叫喚の地獄でした▼焼け野原になった下町には惨状を伝える跡が残っています。旧墨田電話局跡にある「慰霊碑」。当時交換手として勤めていた20歳前後の女性たちは死んでも送受器を外すなといわれ、28人が男性職員3人とともに犠牲に。生き残った職員の言葉が刻まれた碑には「世界平和こそが最大、最高の幸に

    きょうの潮流 2015年3月10日(火)
    msyk710513
    msyk710513 2015/03/10
    きな臭い今こそ、過去を思い出し、逆流許さない闘いを。平和を壊す連中の手練れ手管を打ち破ろう。
  • “平和の大切さを学ぶ”/東京大空襲語り継ぐ集い

    (写真)500人以上が参加した「東京大空襲を語り継ぐ集い~東京大空襲・戦災資料センター開館13周年~」=8日、東京都江東区 東京大空襲から70年の今年、「東京大空襲を語り継ぐ集い~東京大空襲・戦災資料センター開館13周年~」が8日、東京都江東区の江東区文化センター・ホールで行われ、500人以上が参加しました。 1945年3月10日、約300機の米軍爆撃機B29によって東京の下町は一夜にして焦土と化しました。推定10万人以上の市民が犠牲になったと言われています。 当時、城東区(現江東区)第一大島国民学校で2年生の担任をしていた田近治代さん(88)が、もんぺ姿で登壇。田近さんは当時、千葉県の市川に住んでおり、空襲を逃れましたが、学校の教え子全員を失いました。「あたり一面の死臭で息ができなくなりました。人や馬の焼死体につまずきながら子どもたちを探しましたが、会えることはありませんでした」 田近さ

    “平和の大切さを学ぶ”/東京大空襲語り継ぐ集い
    msyk710513
    msyk710513 2015/03/09
    空襲の恐ろしさを知っている人から今の世代へ語り継ぐ。きな臭い今こそ、平和を守るために過去に目を向けよう。
  • すべての戦争被害の解決を/空襲被害者ら集会 東京

    空襲被害者など民間人の戦争被害の解決を求めて「ふたたびこの国を火の海にさせないために!戦後70年・戦争被害のすべて解決を!大集会」(実行委員長・中山武敏弁護士)が6日、東京都台東区の浅草公会堂で開かれ、約800人が参加しました。 高橋哲哉東京大学大学院教授は記念講演で、「村山談話」にある“国策の誤り”に触れ、「政府が曖昧にしてきた歴史認識と戦争被害に対する姿勢を問い、政府は国策の誤りに責任を負うべき」だとのべました。 東京、大阪、名古屋、長崎、沖縄の空襲被害者や被爆者が登壇し語りました。 名古屋市の杉山千佐子さん(99)は「防空法でがんじがらめにされ逃げられなかった。私は顔の半分、片腕、足を失った。国はこれ以上、犠牲者をほったらかしにしないでください」と訴えました。 長崎県佐世保空襲犠牲者遺族会の臼井寛会長は「被害者の高齢化により風化されつつある。悲惨な空襲の事実を、遺品とともに後世に残し

    すべての戦争被害の解決を/空襲被害者ら集会 東京
    msyk710513
    msyk710513 2015/03/08
    国際法違反の無差別爆撃の被害を不当に賠償請求放棄した以上、国が償う義務がある。民間被害切り捨て許さん。