嘘松への攻撃が激しすぎやしないか。 そもそも嘘もなにか攻撃的な部分がないだろうか。 ギスギスしすぎていないだろうか。 攻撃的なオタクが増えすぎたからだろうか。 オタクでなくただ攻撃的な人間も増えていないか。 今のネットは政治的な論争が表に出過ぎてるんじゃないだろうか。 そのような論争が増えてから息苦しくなったような気もしないか。 それとも牧歌的なインターネッツなどただの幻なのか。
その質素な暮らしぶりから「世界一貧しい大統領」と呼ばれるウルグアイの前大統領、ホセ・ムヒカ氏が今月、緊急来日した。 ムヒカ氏は4月8日に放送されたフジテレビ系列の緊急特番で池上彰氏と対談。「貧しさ」について問われこう答えた。「本当に貧しいのはわずかなものしか持っていない人ではない。もっと多くを欲しいと渇望し、いつまでも満足できない人が貧しいのだ」 ムヒカ氏によると、本当に幸せなのはわずかなものだけで満足を感じられる人だという。その逆で、どれほど多くを持っていても満足できない人が不幸と論じる。ムヒカ氏は、在任中に得ていた所得の9割を寄付。自身は月10万円で生活していたという。車は30年近く乗り続けたボロボロのワーゲンだった。多くを手にするため必死に働く日本人に対して、ムヒカ氏は「本当に幸せですか?」と警鐘を鳴らす。 豊かさや富を求めることが、どうして貧しさや不幸につながってしまうのだろうか。
上手くいかなかった、失敗してしまったというとき、その理由を内部要因・外部要因という二つにわけることができます。 そういうとき、成長できない人はどんな失敗であっても、外部要因のせいにして、自分自身には問題がないと考える。 外部要因のせいにするほうが精神的な負担は少ないですし、ポジティブ思考だともいえるでしょう。 しかし、失敗をしてしまった本当の理由から目をそらしてしまっているようでは、成長することはできないといえます。 今回は内部要因・外部要因という概念を用いて、成長できない人の考え方というお話を。 内部要因と外部要因 一般的な人の考え方は「成功=内部要因」「失敗=外部要因」 「失敗=外部要因」はポジティブ思考である 事実から目をそらさないようにするべき 成長できる人になるために 人にはそういう傾向があるんだなと意識する 他人ではなく、まず自分の中で実践するべき まとめ 内部要因と外部要因
追記:現在コメント欄がプチ炎上状態です。すべてにお答えするのは不可能なので、まとめてエントリにいたしました。こちらもご覧ください→「改めてこのブログのポジションとコメントについて考えてみた」 このブログの読者様はご存じないと思いますが、高知に移住されたブロガー「イケダハヤト」さんという方がいらっしゃいます。ネット界では数々の議論を巻き起こしながらも一定の発言力がある方です。というより極端なことを書いてネット界にさざ波を起こす力があるといいますか。 今回の氏のエントリ【「35年ローン」とか意味不明すぎて笑えるwww】(リンク先魚拓)はほぼすべての段落で事実認識が違います。普段こうした下品なエントリに対して異論反論は書かないようにしているのですが、こうした情報を本気にされてSNS等で同意シェアされている方もいらっしゃいます、そもそも前提が間違っていることに同意するのは恥ずかしいですし、デマがあ
怒らない人生が欲しい人に。 マスゴミ、経済学者、暴走老人と、世に怒りの種は尽きまじ。新聞読まないのは心の平穏のためだし、オフィスではひたすら平常心、妻の罵倒は御褒美です。それでも「イラッ」とくる瞬間が怖い。いったん怒りのスイッチが入ったら、どんどんエスカレートして逆上するから。そして、ずっと後になっても何度となく思い出してはネチネチ自分を責めるハメになるから。 なんとかせねばと読んだのが『怒らないこと』、これは素晴らしい本だった。なぜなら人生変わったから。「一冊で人生が変わる」ような軽い人生なのかと言われそうだが、違う。「怒り」の悩みは常々抱えており、ガン無視したり抑圧したり、王様の耳はロバの耳を繰り返してきた。上手くいったりいかなかったり、アンガー・マネジメントはかくも難しい。だが、そういう苦悩を重ねてきた結果、この一冊をトリガーとして一変させるだけの下準備になっていたのだろう。とにかく
私、お酒を一滴も飲めない完全な下戸なんですよ。しかし、身長183センチで横幅もあり、むさくるしい顔をしているせいなのか何なのか、よく「酒豪でしょ?」と勘違いされます。 「見た目、めちゃくちゃお酒強そうなのに」と数え切れないくらい言われました。飲み会では店員がジョッキを真っ先に私のとこに置きます。俺はジンジャーエールやっちゅうねん。 酒豪イメージと勘違いされる私ですが、ここ最近、もう1つ「根強い勘違いイメージ」が発生し始めました。そう、Ingressです。 オフ会やTwitterで「え? りくまさん、Ingressやってないんですか? うわー意外。絶対にIngressハマってるイメージあったけどなぁ」みたいな感想を数多く聞きます。ハマってるどころか、1秒もやっとらんのぢゃ。 だからIngress用語でボケを振られても、ツッコミ返せないどころか意味分からんので反応もできない。 聞いた話では、I
長崎市で2003年7月、中学1年の男子生徒が幼児を商業施設から連れ去って殺害する事件が発生し、04年6月には佐世保市でも、小学6年の女子児童が校内で同級生をカッターナイフで切りつけ、失血死させる事件が起きたためだ。 両事件を受けて、県教委と佐世保市教委は、毎年それぞれ「長崎っ子の心を見つめる教育週間」「いのちを見つめる強調月間」として、命の大切さや規範意識に関する授業を集中的に行う期間を設け、学校ごとに講話や授業参観、地域交流などを実施してきた。 それだけに、同県の教育関係者は大きなショックを受けている。 池松誠二・県教育長は「命を大切にする教育に努めてきたが、このような事件が発生し、痛恨の極み」とコメント。また、佐世保市の女児殺害事件当時、市教育長だった鶴崎耕一・県教育委員(66)も「事件から年月が経過し、『二度と同じ悲劇を起こさせない』との思いが次第に薄れ、子供らに伝わりきれていなかっ
一票の格差の裁判がよくニュースになっているので、気になって投稿いたします。 岡山の裁判で違憲の判決が出たものの、対策として区割りをし直しても参議院の選挙では1回の選挙で人口の少ない1区に最低一人、3年交替で最低二人が必要とのことで、大都市では人数が膨大になるので数が合わせられないとのこと。 素人ながら、もっと簡単に解決しないのか、とても不思議です。どなたかにご説明いただきたく存じます。 私が考えた対策は、恒久的ではないにしても、暫定的に使用してはどうかという案です。 1.一票の格差はそのままにする。 2.国会議員一人当たりの国会での投票に大きな票数を持たせる。格差が5倍であれば、国会議員が国会で投票するときは5票を持つ。 一票の格差は、国民一人当たりの票が国会議員一人に対してどれくらいの票の価値があるかで比較したときに発生する差です。 ある地区Aで1000人に選ばれた議員一人と、他のある地
最近、いろいろなビジネスを見るようになって、アメリカン・ドリーム方式っていうのは、じつによくできてるな、と思った。 小さな会社の経営から大国の統治に至るまで、大小様々な組織を運営するひとつの方法として、とてもよくできているのだ。 僕なりのアメリカン・ドリーム方式の理解っていうのは、こういうことだ。 出自や肌の色に関係なく、努力し続け、リスクを取って上手くいったやつは誰でも成功できる。 どこまでも成功できる。 億万長者だって、大統領にだってなれる。 だからこそ、このチャンスが平等に与えられる国で、みんな腐らずがんばれ、ということだ。 たとえば、スラム街の貧乏な家庭に育った黒人の子供も、奨学金を得て、一流大学に行き、世界的な企業に就職し、CEOにだってなれる。 起業して成功すれば、大金持ちになれる、誰だって大統領になれる。 そして、実際にそれは嘘じゃない。 アメリカ社会では、底辺から這い上がり
昨今、主にはてなブックマーク界隈で「低学歴の世界」というのが話題である。「低学歴」って言うな。という記事もあり、まあ象徴としてわかりやすいネーミングではあるのだが確かにレッテル貼りに使われるのもよろしくはない。 ここでは「低学力の世界」という言い方をしようかと思う。文字通り、学ぶ力の低い人たちの世界だ。俺の読んだ記事はだいたい以下のようなもの。 「うちら」の世界 - 24時間残念営業 『「うちら」の世界』についての一私見 | Kousyoublog 私のいる世界 - ひきこもり女子いろいろえっち 低学歴と高学歴の世界の溝 DQN、大企業と出会う。 - 漂流する身体。 地方都市で、低学歴と高学歴の世界が交わるとき - 常夏島日記 学力というのは、努力で埋められるものではあるのだが、そもそも持ってる資質による影響というのは存外無視できない。特に小中学校では顕著であったりする。 小学校のテストな
ネットもつまらなくなった 「ネットがつまらない」=「自分がつまらない」は言い過ぎとしても、「ネットがつまらない」=「自分のネットユースがつまらない」「自分の眺めているネットがつまらない」なので、ネットそのものが問題というより、その人自身の所業によるところ大な問題だと思う。 ネットがつまらないなら、どうして観測範囲を変えないのか テレビ番組がつまらなければ、チャンネルを回せばいい。それと同じように、ネットがつまらなければ観測範囲を変えればいい。マスメディアと違ってインターネットには無限に近い選択肢があり、多種多様なネットサービス上に、これまた多種多様な表現、プレイヤーがひしめき合っている。だから、「ネット、つまらないな」と思ったら、自分から面白いものを探しに行けば、たいていどこかに面白い表現、面白いプレイヤーが隠れている。 例えば、twitterを眺めていて物足りなければ、followしてい
酒を飲んでいるので軽くひとつ。 日本人1億2,000万の人がいて、1億2,000万の人生がある以上、1億2,000万の真実があるのは当然でしょう。 その日本人同士や日本に来ている外国の人たちが集まって日本を形成しているのですから、その数百倍の絆が折り合って日本社会というものを形成しているわけです。 ネット業界は、その絆をより良くしていきましょう、より太くして、日本社会を構成している日本人やその他皆さんの、その同士の絆を深めていくことで、日本社会をもっと豊かに、素晴らしいものにしていこうね、と考えるべきなんだろうと思います。それは基幹系だろうがアプリレベルだろうが、入り口も出口も人です。すべてのデジタルも数字も、人がこの社会で暮らしていく営みをより良くしていくために存在する。そんなことは、当たり前のように理解されているのだと思っていました。 また、人が知ることのできる範囲なんてちっぽけなもの
東京造形大学の2013年度入学式で、学長の諏訪敦彦さんが入学生に贈ったメッセージが胸を打つと評判になっています。同大学のサイトで全文が公開されています。 諏訪さんの式辞は、自身の学生時代のエピソードから始まります。高校生の時に、1台のカメラを手に入れ、自分の表現として映画作りを志したこと、希望に溢れて造形大に入学するも、学外での活動に夢中になったこと……。気がつくと諏訪さんは大学を休学し、数十本の映画の助監督を務めていました。現場での経験を重ねるうちに、プロとして仕事ができるようになってる自分を発見し、「もはや大学で学ぶことなどない」とすら思えましたが、その頃ふと大学に戻ります。 そこで、初めて自分の映画作りに挑戦しました。同級生たちに比べ「多くの経験がある」という自信があったそうです。ところが、いざその経験に基づいて作られた作品は惨憺(さんたん)たる出来で、まったく評価されなかったのだと
昨日は「第3回NPO×IT EXPO」という大規模イベントを開催しました。160名近い方が集まり、熱量の高い場となりました。参加者のみなさま、登壇者、スタッフのみなさま、そして全体統括をしてくださった日本財団の山田さん、ありがとうございました! 出る杭になるな!と諭す日本人 イベント終了後に、大変面白い方とお話しする機会がありました。 彼女はニューヨークで長年ボランティア活動をしている女性で、最近日本に帰国したそうです。アメリカ滞在が長かったため、まだまだ日本語・日本文化に適応するためのリハビリ中だとか。 そんな彼女ですが、日本の友人に会うたびに「アメリカ的な態度は日本だと叩かれるから、気をつけた方がいいよ」とアドバイスされるそうなのです。たしかに、竹を割ったような性格の方なので、そう言いたくなる気持ちもわからないでもありません。 しかし、このアドバイスってどうなんでしょう。もちろん友人の
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