45年前、ソフトウエアは米国で商品になり、日本でおまけになった 『日本のソフトウエアはここまで来た』を読む・その2 日経ビジネス1969年10月号に掲載された記事『日本のソフトウエアはここまで来た』を読んで思ったことを引き続き書く。この記事を知った経緯については『1969年、丸ノ内に「ソフトウエアの工業地帯」があった』を参照いただきたい。 『日本のソフトウエアはここまで来た』は5ページと3分の2ページあり、それなりに長い。ソフトウエアを巡る動向は重要だと創刊当時の日経ビジネス編集部は判断したわけだ。 なにより「季節感」があった。季節感は新聞や雑誌の業界用語で、ある主題を取り上げる際の根拠ないし前提を指す。「この記事を今書くべき、その理由はこうだ」と言うときの「こうだ」が季節感に当たる。 例えば編集部で次のようなやり取りがされる。記者が「ソフトウエア技術者の労働環境を調べて特集記事を書きたい
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