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靖国に関するmario272のブックマーク (7)

  • 好評だったダボス安倍演説を台無しにした、戦争前夜発言と靖国擁護

    の首相として初めて開会式の基調講演を行った安倍首相の演説は、欧米の主たるメディアでも概ね好評で、日としては久方振りに国際舞台の表に登場した感があった。 米国で放映されたTVで見る限り、安倍首相の英語演説は声も内容も大変明快で、会場を埋め尽くした聴衆も熱心に耳を傾け、中々聞かせるものがあった。 アメリカの有力メディアも首相の演説内容を詳しく伝えながら「疲れ果てて復活の気力を失い、世界の舞台から消えつつあった日が、再生する可能性を示した」と書いた位である。 それに比べ、朴槿恵大統領の演説が米国のメディアでは殆ど話題にもならなかった事に落胆したのか、嫉妬深い韓国のマスコミは、安倍首相が朴大統領の演説会に出席し拍手までしたのは、押しかけ「ストーカー外交」だとか、「Korea Night(韓国の夜)」と言うパーテイーに下村文部科学相が姿を現すと「例え招待状を受けたからと言って、反韓教科書の旗

    好評だったダボス安倍演説を台無しにした、戦争前夜発言と靖国擁護
  • 「理解を求める」「広報外交」という、安倍政権の「根性論外交」の無意味さ

    安倍総理や菅官房長官は、「(米中韓に対して)理解してもらうための努力を重ねていきたい」と繰り返す。また、彼らはその為にも「戦略的広報外交が大事」と繰り返す。要するにPRを頑張れというのだ。しかし、これらの目的と手段は、到底不可能な愚かな行為であり、特に後者については韓国と同等もしくはそれ以下であると、以下では論じたい。 1.理解を求めるという目的の無意味さ 昨年、沖縄県から戻ってきた内閣府の友人に会うことがあったのだが、面白いことを言っていた。彼は、沖縄県庁の担当者と折衝をする中で、先方の度重なる拒否に疲れ、半分冗談で「どういう内容だったら、沖縄県の皆さんは満足するのですか?」と聞いたそうだ。それに対し、県庁の担当者は満面の笑顔で「それは皆さんで考えてください」と答えたそうだ。 このことが意味するのは、「公的な場」で、沖縄振興なり基地問題についてはどうすれば納得するかについて「現実的な回答

    「理解を求める」「広報外交」という、安倍政権の「根性論外交」の無意味さ
  • 首相が「国のために戦死した兵士」に敬意を表して何故悪い!

    何処の国でも常識とされている「国の為に倒れた戦死者へ敬意を表する」事を、安倍首相が行なうと内外からとんでもない事だと批判される理由は誠に不可解である。 以前の拙稿でも書いたように、冷戦時代のソ連当局は共産主義とその社会を賛美する日の進歩的文化人の様子を歓迎しつつも、内心ではその愚かさを軽蔑し「役に立つ馬鹿(useful idiots)」と呼んで冷笑的に利用してきた。 歴史は繰り返す。朝日や毎日に代表される「リベラル派」のマスコミや「進歩的文化人」の生き残りグループは、今や「中韓両国」にとって格好の「役に立つ馬鹿(useful idiots)」に成り下がっている。 それぞれの信奉する外国の思想を賛美し「それを可能にしたのは何故か?」と解説する事を生業とする戦後日のインテリグループが、「進歩的(良心的)文化人」と称された集団であり「役に立つ馬鹿(useful idiots)」であった。 そ

    首相が「国のために戦死した兵士」に敬意を表して何故悪い!
  • 靖国神社って何?

    安倍首相の靖国神社参拝が話題になっています。実際に行った小学生は少ないと思いますが、これは東京の九段にあります。都心なのに静かで緑の多い、美しい神社です。 これは幕末に天皇家の社としてつくられ、「東京招魂社」と呼ばれていました。明治時代に靖国神社という名前になり、政府が運営するようになりましたが、これは昔も今も国のために命をささげた人をまつる神社ではありません。 それは天皇家のために死んだ人をまつる私的な神社なので、勤王の志士として死んだ坂龍馬はまつられていますが、彼らを殺した新撰組はまつられていません。しかし明治維新までは徳川幕府が正式の国で、勤王の志士はそれを暴力で転覆しようとするテロリストでした。新撰組は京都を警備する警官だったので、国のために死んだのは彼らです。 要するに「勝てば官軍」なのです。だから明治維新の最大の功労者である西郷隆盛もまつられていません。西南戦争で政府(天皇家

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  • 「英霊」は餓死、自殺攻撃をさせられた--装置「靖国」賛美の違和感 : アゴラ - ライブドアブログ

    社会・一般 「英霊」は餓死、自殺攻撃をさせられた--装置「靖国」賛美の違和感 靖国神社社殿。事実上の国章だった天皇家の菊紋が飾られ、天皇家との関係を誇示している。(Wikipediaより) 宗教施設ではなく「聖化」の装置 安倍首相が戦没者の慰霊を目的に、靖国神社を訪問した。太平洋戦争をはじめ、戦争で亡くなった方を慰霊することに反対する人はいないであろう。私もそうだ。 しかし慰霊の形が「靖国神社を参拝すること」であるべきとは思わない。靖国神社は、合理性、人間性を欠いた組織である帝国陸海軍の施設であり、問題の多いイデオロギーである国家神道の「装置」である。「慰霊の場」だけの意味を持つ存在ではないのだ。それを賛美するのは不思議だ。 1・近代国家では、どの軍隊でも、異常な行為である戦争を遂行するための精神的支柱を必要とする。日帝国の場合は、天皇を神とし、それが軍を統率するという虚構を作っ

  • 首相の靖国参拝 ~ 日本は一人で生きて行く覚悟はあるか?

    安倍首相は「自ら顧みてなおくんば、千万人ともいえども我行かん」と言う同郷の先輩の吉田松陰の言葉に急かされたのか、靖国に突如参拝し世界を驚かせた。 気になるのは中韓を除く他の諸国、特に友邦諸国の反応だが、今のところ参拝を支持した報道はなく、幼稚で無用な挑発だと批判した報道一色で、日は総スカン状態である。 もともと親中国的な独仏が靖国訪問に批判的である事は計算内としても、ウイグルの騒乱などで中国と微妙な関係にある回教圏を代表するアルジャジラまで、靖国訪問には冷淡な反応を示している。 中でも憂慮すべきは、日の外交・防衛の基軸である米国まで「日は大切な同盟国だが、日の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに米国政府は失望している」と外行史上前例のない強い調子で首相の批判に踏み切った事だ。 これは、アジアで最も重要な国は中国だと言う米国世論調査の結果にも拘らず、異例の強さ

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  • 靖国神社に「政教分離」はありえない

    安倍首相の靖国参拝を批判する人は口をそろえて「憲法の政教分離の原則に反する」というが、靖国神社は来の意味での宗教施設ではない。きのうの記事でも書いたように、国家神道は天皇制を神聖化するために明治政府の偽造した政治的イデオロギーで、およそ宗教といえるようなものではないので、安倍氏は特定の宗教を支持したわけではない。 宗教は国家権力を支える精神的権威だから、ユダヤ教でもイスラム教でも宗教的な律法が国家の法律であり、中国でも儒教が皇帝の正統性を支える国教だった。特に中世ヨーロッパでは、皇帝の権力は精神的権威に依存していたので、教皇との長い叙任権闘争の後、国家が教会を支配下に置くようになった。 しかし近代の市民革命のほとんどは(アメリカ独立革命を除いて)カトリック教会への反逆に始まった。彼らは国家と教会の癒着を批判し、個人は信仰のみによって救済されるというパウロ主義への回帰を主張した。カトリック

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